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死が美徳とされたのは

特にこの時期、第二次大戦に関する番組がよく放送されますが、観れば観るほど「なんで死なせるん?」「お国の為にって…」と頭の中に「なんでなんで?!」が飛んでいます。 そういう教育だったと言われればそれまでですが、そもそも日本人がその様な教えをする様になった要因は何で、いつからですか?

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noname#159989
noname#159989
回答No.3

まあ武士道の名残りでしょうね。 大義名分のためには命も投げ出す、という。 戦争しては統治していたという歴史が長い国です。それは日本に限ったことじゃないですが。 主君に逆らえば切腹を言い渡される。面目立たねば死んで詫びる。 でも何も武士の世界だけじゃなく庶民の中でも命より義理が重いという文化がありました。 歌舞伎の演目など見ると実に人が死にます。 親子や男女の間でも義理を通す。親の仇であれば殺人が許されたという時代。 昔は人の命というものが現代よりもずっと儚い存在だったのでしょう。 一歩外に出れば敵が七人いると言われた時代がありました。 いつでも簡単に命を失う危険があった生活だったのです。 生まれた子供が無事に育つのも当たり前ではなかった。 今のようにワクチン等の薬がなかった時代ですから。 お国のためにと短い命を散らせるのも美談であったのでしょう。 でも太平洋戦争を機に、その価値観が塗りかえられました。 無駄に命を散らせる事のない平和な社会が求められるようになり、現代の価値観へと変化して行ったのです。 原爆一つで数万人が死ぬ。そんなのは誰でも解せない事でしょう。 ようやく日本人も気づいたのだと思います。

anjushio
質問者

お礼

細かな例えを沢山、丁寧なお答え有難うございます。 切腹に仇討ち、「死んでお詫びを…」なんて言葉がある国ですからね… 今この様な疑問を持っている私ですが、戦時中に生きていたら「鬼畜米英!!」なんて言い乍ら何の迷いもなく竹槍持って訓練に励み、少しでも戦争を批難する人がいたら「非国民だ!」と軽蔑すらしていたと思いますね。恥ずかしいですが…

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回答No.4

おじいちゃんに不思議で聴いたことがあります。昔は 国の為に死ぬこと。 が誇りだった。 と言っていました。 おじいちゃんのお兄さんが 戦争で亡なっています。 昔は兵隊の学校があり お兄さんは、数ある 学校から兵隊の学校を選んで 「お国の為に」と自ら学びに 行ったそうです。 やはり周りが 兵隊=誇り という考えの 環境だったからですかね;;

anjushio
質問者

お礼

丁寧に有難うございました。 私は伯父(父の兄)が戦死をしていて軍服姿の遺影でしか見た事がないのですが祖母には最後まで戦争の話しを聞く勇気は出ませんでした。

  • DJ-Potato
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回答No.2

息子を死なせたくない、とかいう戦争反対な人たちが増えたら困るから、 お国のために戦って死ぬことをひたすら美化したんだと思います。 実際戦争を生き残った親戚などから話を聞く機会があれば、個人レベルではお国のために死ぬより生きて家族に会いたい、と思っていた、ような話が聞けると思います。 もともと、武蔵坊弁慶の立ち往生とか、切腹とか、 どうせ死ぬなら潔く、の文化はあったと思いますが。

anjushio
質問者

お礼

回答有難うございました。 『死んでお詫びを…』なんて言葉がある国ですからね…

回答No.1

教えるようになったのは、多分戦国時代からのなごりではないでしょうか? お国のためにと主君のためにという感じで・・・ 人生経験が浅いのでこのような回答しかできませんですいません・・・

anjushio
質問者

お礼

いえいえ、こんな時間なのに有難うございます。 武士道からきているんでしょうかね…

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