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宮城県知事について

松本元復興相が散々叩かれたわけですが…。 宮城県知事も常識が無いように思われます。 普通お客さんが来るという時は出迎える、ないし会場に先に入っておくべきではないでしょうか? 松本元復興相の肩を持つわけではないですが、あれではイライラするのも無理はないと思います。

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回答No.19

記者への恫喝は擁護のしようがない。しかし、地方首長より大臣の方が偉いことは確かなので、至極当然とは言いませんが、問題のない振る舞いでしょう。

その他の回答 (18)

  • beingpeace
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回答No.18

すいません。URLを間違えました。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E9%BE%8D_(%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6) ちなみに、カンニング竹山氏の怒りの発言も貼っておきます。

  • beingpeace
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回答No.17

暴言と知性について(内田樹の研究室より) http://blog.tatsuru.com/2011/07/05_1924.php 松本復興相が知事たちに対する「暴言」で、就任後わずかで大臣を辞任することになった。 この発言をめぐる報道やネット上の発言を徴して、すこし思うことがあるので、それについて書きたいと思う。 松本大臣が知事に対して言ったことは、そのコンテンツだけをみるなら、ご本人も言い募っていたように「問題はなかった」もののように思われる。 Youtube で見ると、彼は復興事業は地方自治体の自助努力が必要であり、それを怠ってはならないということを述べ、しかるのちに「来客を迎えるときの一般的儀礼」について述べた。 仮に日本語を解さない人々がテロップに訳文だけ出た画面を見たら、「どうして、この発言で、大臣が辞任しなければならないのか、よくわからない」という印象を抱いたであろう。 傲慢さが尋常でなかったから、その点には気づいたかもしれないが、「態度が大きい」ということは別に政治家が公務を辞職しなければならないような重大な事由ではない(それが理由になるなら、石原慎太郎はとうに辞任していなければならない)。 だから、問題は発言のコンテンツにはないのである。 発言のマナーにある。 自分の言葉を差し出すときに、相手にそれをほんとうに聞き届けて欲しいと思ったら、私たちはそれにふさわしい言葉を選ぶ。 話が複雑で、込み入ったものであり、相手がそれを理解するのに集中力が必要である場合に、私たちはふつうどうやって、相手の知性のパフォーマンを高めるかを配慮する。 たいていは、低い声で、ゆっくりと、笑顔をまじえ、相手をリラックスさせ、相手のペースに合わせて、相手が話にちゃんとついてきているかどうかを慎重に点検しながら、しだいに話を複雑な方向にじりじりと進めてゆく。 怒鳴りつけられたり、恫喝を加えられたりされると、知性の活動が好調になるという人間は存在しない。 だから、他人を怒鳴りつける人間は、目の前にいる人間の心身のパフォーマンスを向上させることを願っていない。 彼はむしろ相手の状況認識や対応能力を低下させることをめざしている。 どうして、「そんなこと」をするのか。 被災地における復興対策を支援するというのが、復興大臣の急務であるとき、被災地の首長の社会的能力を低下させることによって、彼はいったい何を得ようとしたのであろうか。 人間が目の前の相手の社会的能力を低下させることによって獲得できるものは一つしかない。 それは「相対的な優位」である。 松本復興相がこの会見のときに、最優先的に行ったのは、「大臣と知事のどちらがボスか」ということを思い知らせることであった。 動物の世界における「マウンティング」である。 ある種の職業の人はこの技術に熟達している。 大臣のくちぶりの滑らかさから、彼が「こういう言い方」を日常的に繰り返し、かつそれを成功体験として記憶してきた人物であることが伺える。 それ自体はいいも悪いもない。 ひとつの政治技術である。 それが有効であり、かつ合理的である局面もあり、そうでない場合もある。 今回彼が辞職することになったのは、政府と自治体の相互的な信頼関係を構築するための場で、彼が「マウンティング」にその有限な資源を優先的に割いたという政治判断の誤りによる。 気になるのは、これが松本大臣の個人的な資質の問題にとどまらず、集団としてのパフォーマンスを向上させなければらない危機的局面で、「誰がボスか」を思い知らせるために、人々の社会的能力を減殺させることを優先させる人々が簇生しているという現実があることである。 「ボスが手下に命令する」上意下達の組織作りを優先すれば、私たちは必ず「競争相手の能力を低下させる」ことを優先させる。 自分の能力を高めるのには手間暇がかかるけれど、競争相手の能力を下げるのは、それよりはるかに簡単だからである。 ある意味で単純な算術なのだが、この「単純な算術」によって、私たちの国はこの20年間で、骨まで腐ってきたことを忘れてはいけない。 コミュニケーションを順調に推移させるためには、「相手が自分の言うことを理解できるまで、知的パフォーマンスを向上させるためにはどうすればいいのか?」という問いが最優先する。 少なくとも30年間の教師生活において、私はそのことを最優先の課題としてつねに考えてきた。 学生に向かって「お前はバカだ」とか「お前はものを知らない」というようなことを告げるのは(たとえそれが事実であったとしても)、教育的には有害無益である。 「お前はバカだ」と言われて、頬を紅潮させ、眼をきらきらと輝かせて、「では、今日から心を入れ替えて勉強します」と言った学生に私は一度も会ったことがない。 教師として私は、若者たちに「知性が好調に回転しているときの、高揚感と多幸感」をみずからの実感を通じて体験させる方法を工夫してきた。 その感覚の「尻尾」だけでもつかめれば、それから後は彼ら彼女らの自学自習に任せればいい。 いったん自学自習のスイッチが入ったら、教師にはもうする仕事はほとんどない。 読みたいという本があれば貸してあげる、教えて欲しいという情報があれば教えてあげる、読んでくれという書きものをもってきたら添削する、行きたいという場所があれば案内する、会ってみたいという人がいれば紹介する・・・それくらいのことである。 それで十分だったと教師生活が終わった今でも思っている。 現状認識やなすべき手立てについて、自分と考え方が違う人と対面状況に置かれたときに、多くの人は、両者の意見の相違の理由をもっぱら「オレが利口で、あいつがバカだから」と思い、口にもする。 だが、当人が言うように、知的力量にほんとうに天地ほどの差があるのなら、相手を説得するくらいのことはできてよいはずである。 クリアーなロジックで、平明な文体で、カラフルな比喩を駆使し、身にしみる実例を挙げて、「なるほど・・・そう言われれば、そうですね」というところまで導けるはずである。 でも、そういうふうな話し方をする人を、私は論争場裏では見たことがない。 論争的場面において、人々は詭弁を弄し、論点をすり替え、相手の思考を遮り、相手が「むずかしいことも理解できるように知性が好調になること」を全力で妨害している。 それは論争の目的が、相手の知性を不調にさせて、ふつうなら理解できることも理解できなくなるように仕向けることだからである。 論争相手を知的に使い物にならなくすることによって「どちらがボスか」という相対的な優劣関係は確定する。 この優劣の格付けのために、私たちは集団全体の知的資源の劣化を代償として差し出しているのである。 よほど豊かで安全な社会であれば、成員間の優劣を決めるために、競争相手を効果的に無能力に追い込むことは効果的だろう。 けれど、それは「よほど豊かで安全な社会」にだけ許されたことであって、私たちの社会はもうそうではない。 私たちは使える知的資源のすべてを最大化しなければどうにもならないところまで追い詰められている。 その危機感があまりに足りない。 メディアの相変わらず他罰的な論調を見ていると、メディアにはほんとうの意味で危機感があるようには思えない。 どうすれば、日本人の知的アクティヴィティは高められるのか、ということを政治家や官僚やビジネスマンやジャーナリストは考えているのだろうか。 たぶん考えていない。 できるだけ「バカが多い」方が自分の相対的優位が確保できると、エスタブリッシュメントの諸君は思っているからだ。 松本大臣の「暴言」は単なる非礼によって咎められるのではなく(十分咎めてよいレベルだが)、この危機的状況において、彼の威圧的態度が「バカを増やす」方向にしか働かないであろうこと(それは日本の危機を加速するだけである)を予見していない政治的無能ゆえに咎められるべきだと私は思う。

  • beingpeace
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回答No.16

松本龍 (政治家) http://c.oshiete.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=6857978 岩手・宮城両県知事への発言、大臣辞任へ 2011年7月3日に復興担当相就任後で初めて被災地入りし、岩手県の達増拓也知事と宮城県の村井嘉浩知事と会談を行った。その際の発言が問題となり、7月5日に復興相と防災相を辞任することとなった[23]。 問題となった発言は以下の通り[24][25][26][27][28]。 達増知事に対して 「九州の人間だから、何市がどこの県とか分からん。」 「本当は仮設はあなた方の仕事だ(仮設住宅の要望をしようとする達増知事に対して)。」 「知恵を出したところは助けるけど、知恵を出さないやつは助けない。そのくらいの気持ちを持って。」 村井知事に対して 「お客さんが来る時は、自分が入ってから呼べ。しっかりやれよ」「長幼の序がわかっている自衛隊ならそんなことやるぞ」(応接室に村井知事が後から入ってきたことに対して) 松本は「(村井知事が)3、4分出てこなかった。だから怒った」としたが、松本が待った時間は1分27秒(TBS調べ)であった。また、知事は「時間通り」に入室していた[29]。松本は応接室で待たされ、知事が出迎えなかったことに腹を立てたが、これは通常の応対に過ぎず、村井も「社会通念上、このような接遇が正しいと理解している」と述べている[29][30]。 「県でコンセンサスを得ろよ。そうしないと、我々は何もしないぞ」(被災した漁港を集約するという県独自の計画に対して) 村井知事との会見では「今の最後の言葉はオフレコです。みなさん、いいですか、絶対『書いたらその社はもう終わり』だから」と発言したが、東北放送がニュースで報じた[24]ことをきっかけに発言の数々が報道された[31]。 これら一連の発言について、村井知事が「国と地方自治体には主従関係はない」と不快感を示した他、被災地や野党から反発・非難の声、首相官邸や民主党への抗議電話も相次いだ[30][32][33][34][35][36]。 数日の間に問題となる発言を繰り返したが、松本をよく知る人は「おとなしい、いい人です」「あんなしゃべり方初めて聞いた」と話しており、この一連の暴言は菅首相を退陣へ追い込むためにわざと発言したのではないかと複数のメディアが報じている一方[37]、高校時代の同級生は「今回の発言は別に驚かないです。昔から松本龍は松本龍。高校時代から、あんな感じでしたよ」[3]とも発言している。 2011年7月4日、被災地知事への発言を問題視された後の記者会見では「私は九州の人間ですけん、ちょっと語気が荒かったりして、結果として被災者の皆さんを傷つけたということであればおわび申し上げたい」「私はちょっとB型で短絡的なところがあって、私の本意が伝わらないという部分があるということは、反省しなければならない」と謝罪し、「何市がどこの県とか分からん」発言については「発災以来、ずっと東北の問題に関わり、福島、岩手、宮城に行き、すべての市町村の名前を知っている。知らないわけがない。九州からみれば東北は広いなあという思いがありしっかり取り組むという意味で言ったが曲解されたと思う」[38][39][40]と釈明した。 当初「辞めない」としていたが[41]、5日朝に菅直人総理大臣と会談し「一連の発言で被災地に迷惑をかけており、国会運営だけでなく復興にも支障をきたす可能性がある」との理由で辞表を提出[42]。その後の記者会見では辞任理由について「個人的都合」としたが詳細については「話せません」と答えた。この席での「謎掛けをしようと思った」との発言について産経新聞は「真意分からず、最後まで『謎』だった」と報道した[43]。 --------------------------- 少し調べたらどうなのでしょうか。

  • sudacyu
  • ベストアンサー率35% (687/1961)
回答No.15

<参考>  国と地方自治体の間に、上下関係はありません。  また、宮城県知事が入室したのは、約束した面談開始時間前だったそうです。  約束時間前に来て、相手が居ないとイライラしたとすれば、少し筋違いと言えそうです。

  • yyy1826
  • ベストアンサー率14% (5/34)
回答No.14

 暇でもないし、冷やかしでもありません。 それぞれに、回答者が、自分の世界で見聞きした 範疇から様々なシチュエーションを教えてくれている のに、「会場に先に入っておくべき」という答えが 先に決まっているなら、それは意見で、 ここで質問することではない。 また、ANo.7当たりの回答を ベストアンサーに選ぶための質問だとしたら、 たちが悪いなと思いました。  私はここで、テレビや新聞では知りえない情報や、 新聞の記事より、論理的かつ、真面目に まとめてある回答を読んで、頭の中がクリアに 整理されます。  だからこそ、回答をある方向に誘導したいような 意図を持っての質問なら嫌だなと感じます。 間違っている時はごめんなさい。  質問者の考えと違ってもまずは「聞く耳」を 持った方が、いいとは思いませんか? また、「あれではイライラするのも無理はない」と質問に 書いてありますが、仕事の場では、相手がある場合、 ここでは県知事、その後ろには、県民がいるわけですが、 大臣であろうと、ああいう場所でイライラするほうが 間違っています。社会的な公の場で、「イライラ」は ありえません。お子様は別です。 私の回答の評価クリックした方が3名いるという事 も見て、「聞く耳」を育ててくれませんか?  決して暇なのではなく、最近の「世論」の在り方に 疑問を感じていますのでその心配で、真面目に書きました。  ちなみにあなたに 「あなたも失礼な方ですね。 質問の内容に回答なされないのなら結構ですよ。 冷やかしで回答されるとはよっぽどお暇な方なのですね」 とお礼された回答者12です。

noname#137729
質問者

お礼

確かに自分の中では自分なりに答えは出ています。 しかし、この質問の主旨はあくまでも他の方がどう考えているのだろうか、という所にあります。 なので聞く耳を持たないなどと言われるのは心外です。 ちなみにNo.7の方のような回答をベストアンサーにする気は全くありません。 回答ありがとうございます。

noname#152422
noname#152422
回答No.13

自分の見方は少し違っています。 仮にあの場所にマスコミがいなかったとしたら、そのまま物事が進行していったのではないかと考えています。 松本龍と言う人は、ああいう傍若無人な物言いで相手をガツンとやることをきっかけとして人間関係を築くという特異な方法を多く用いてきたのでしょう。昔はそういうタイプの人がわりといましたが、最近はあまり見かけないので珍獣のように見られるんでしょう。 他の回答で、おそらくサラリーマン社会と比較しての意見がありましたが、それと同列に考えるのは視野が狭すぎるように思います。確かにサラリーマン社会では、打ち合わせの部屋まで誘導役がエスコートして一人で着席させ、お茶なんかを持ってくる人がやってきますが、訪問される側の担当者を客が待つというのが一般的です。でもそれはサラリーマン社会でしか成り立たない特殊なしきたりです。サラリーマンの人たちはサラリーマン社会が世界の全てだと思い込みすぎています。たぶん宮城県庁でもそれが普通なんでしょう。 囲碁や将棋などの伝統芸能の世界では、挑戦者が先に対局上に入室して、タイトル保持者が後から入室するというのが一般的のようです。これは松本龍やあなたが考える姿に近いだろうと思います。 ”事件”が起きた後の宮城県知事への単独インタビューの映像を見る限り、村井知事は憤慨しているという感じは受けませんでした。最初はギクシャクしたとしても、周囲が静観していれば案外うまく関係が築けたのかもしれません。 そして、松本龍は、普通の人からみるとイライラしているように見えますけれど、彼の中では多分イライラしていないんだと思います。いつもあんなことしてますから、普通の心理状態なはずです。だから松本龍を思いやる必要は全くないと思います。 「常識」という言葉はうまく理屈付けできないときに用いる便利な言葉で、自分の主観でしかないときに用いられるとても主観的なものです。矛盾してるようですけどね。誰かと会話している途中で「常識」という言葉が相手から飛び出してきたら、それは返答に窮していると見るべき。 正直なところ、松本龍の一件は大して重要な出来事でもないのにマスコミがギャーギャー騒ぎ立てたから物事が大きくなっただけだと思います。良い視聴率稼ぎになったんでしょう。

  • yyy1826
  • ベストアンサー率14% (5/34)
回答No.12

回答者の意見を素直に聞く。 謙虚に聞く。 知らないことを教えてくれるんだから聞く っていうんじゃないんだったら、 聞くなよ。 はじめに答えありきなら、 質問するんじゃない。 回答者に失礼でしょ。 信者なら信者らしく、お手手合わせて おがんでなさい。

noname#137729
質問者

お礼

あなたも失礼な方ですね。 質問の内容に回答なされないのなら結構ですよ。 冷やかしで回答されるとはよっぽどお暇な方なのですね。

回答No.11

 質問者さんは社会経験が無いようですね、学生さんですか?。通常玄関先で出迎える、と言う事はありません。余程立場が上の相手でない限りは。先に会場に入って待つ、と言うのも違います。  今回のケース、宮城県知事と復興担当大臣の間に上下関係があるのかどうか、は大いに疑問です。そこがはっきりしていなかったために、松本は「まず上下関係をはっきりさせよう」として、衆人環視の中あのような態度を取ったのかも知れません。大いなる勘違いです。  また、松本が客だったのか?、と言われればそれも疑問です。松本は宮城県知事に招かれて遊びに行ったのでしょうか?。そんな筈はありません、松本は復興担当大臣として仕事をしに行ったはずです。にもかかわらず「俺は客だ、出迎えろ」と命令口調で叱責し、マスコミには「これはオフレコだ、書いたらその社は終わりだ」と恫喝する。いい年した大人の、しかも大臣を務める人間の態度ではありません。  少なくとも村井知事に常識を欠いた部分は見受けられませんでした。あれはイライラする方が非常識です。

noname#146091
noname#146091
回答No.10

一応は大臣ですから、お客さんには変わりないでしょうね。 会社で言う「下請け業者」が頭を下げ挨拶に来たのとはわけが違います。 この大臣も失礼な大きな口を叩いたとは思います。 しかし県知事が大臣を待たせて部屋に入る等とは無礼千万、何様だと思っているのでしょうか。 こんなことで大臣がクビに成るのなら、県知事も辞めればよい。 マスコミも国民も悪乗りの傾向にあります。 常に質の悪い刺激を求め過ぎ。 三流ドラマみたいですね。

回答No.9

質問者様が会社員になれば、自然とお解りになることだと思います。 例として、 取引先の部長さんがお見えになった。(前々から約束してある) 受付の社員は、ご挨拶して応接室に部長さんをお通しし、お茶をお持ちする。 それから、約束の相手である自分の上司を呼びに行く。 上司は、それに応えて応接室に向かい、お客様に挨拶する。 これが一般的な流れです。 この場合の「お客」とは、礼を尽くすべきではあっても玄関まで迎えに飛び出すほどの相手ではないことを意味しています。 天皇陛下が見えれば、そりゃ、玄関まですっとんで迎えに行くでしょうけれどね。 取引先の人だったら、普通、そんなことはしないのです。 何故ならその人は「業務で来たお客」だからです。 要するに、仕事なのです。 宮城県知事のところへ来た松本氏も、業務でそこに来ました。そうですね? ですから、それはいわゆる「お客様」ではないのです。 仕事の相手です。 ひれ伏してお迎えするような相手ではありません。 県知事が多忙であれば(多忙に決まっている)、数分遅れたとしても当然すぎるぐらい当然です。 (実際には、定刻に入室したとのこと。なおさら松本氏の「いいがかり」体質が明瞭になりますね) 仕事の客が応接室で待っていたら、「お待たせして申し訳ありません」と挨拶しつつ入室すれば良いだけのこと。知事も当然、そうしたでしょう。ビジネスマンであれば、それは条件反射的に出る言葉・態度ですから。 つまり、宮城県知事の松本氏の迎え方は、きちんと礼儀にかなったやり方です。

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