• 締切済み

49日

先月の11日父方のおじいちゃんが亡くなりました。 胃がんで入院いたんですが、 初期だったので手術は無事成功して リハビリを始めていたころだったのですが 急に体調を崩し肺炎になってしまい 最後を迎えてしまいました。 私は今家族と海外に住んでいて、 おばあちゃんからの知らせで急いで2日間だけ 告別式に出席するために日本に帰りました。 私の家は私が7歳のときに母が今の父と再婚して3年後に弟が生まれました。 なのでおじいちゃんとは血の繋がりがありません。 最初は私と母が中国人であることと再婚ということで おじいちゃんおばあちゃんは反対していて 再婚当時は仲が悪かったみたいです(私は小さかったのでよく覚えてないですけど…) でも最近は弟を連れて遊びに行ったりして それなりに仲良かったです。 そんなおじいちゃんの死は今もまだ実感がわかないのですが、 お骨を収めるときの記憶が鮮明で 本当にもういないんだと、最近よく思います 前置きが長くなってすいません ここからが質問です。 実は、8月の上旬に前の学校の同窓会があるんです。 前の学校とは海外の日本人学校のことで、 小学校から中学校までずっと一緒だった みんなとの4年ぶりの再会です。 みんな今日本各国、世界各国にいるので、 本当にめったに会えないんですごく出席したいんですが、 母に49日以内に身内がパーティーなどのお祝い事、 騒ぐ行事に参加しちゃいけないと言われました。 私も自分だけ楽しい思いをするのは不謹慎だと思いました。 でも、次いつみんなに会えるか分からない と考えるとやっぱりすごく行きたいです。 49日以内にお祝い事に参加するのはいけないことなんでしょうか 長くてごめんなさい。 ちなみに私はキリスト教でおじいちゃんは仏教です。

みんなの回答

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.6

風習をとるか、正しい解釈に基づくか、それは難しい事ですね。 とりわけ今の日本では、元々神道と仏教が混在した考え方になっている上、近年になって一地域での風習を公的な解釈だというものまで出てきてしまっています。 だから余計にどれを信じればいいのか判らなくなってしまっているんです。 確かに神道と癒合した日本の仏教では四十九日は忌の期間で、人々は喪に服し生活を質素にして故人の冥福を祈ります。 仏教では生死の別がなく、人の本体である魂が悟りを開くまでの修行の舞台の一つとして人間界があるからです。 そしてこの人間界は仏の世界に継ぐ重要な位置にあります。なぜなら仏の教え(法)を学び、積極的にヒトに伝える“布施”ができるのは、この世に存在するすべての物の中で人間界だけだからです。 四十九日は集中講義の時間だと考えてください。人が死んで四十九日の集中講義の成果によって次の修行の場がきまります。それは概ね仏の世界に進級するのか、もう一度人間世界で修行するのかということです。 そこから再び修行を繰り返し、やがて悟りを開いて真の仏となる(解脱する)訳です。 その成果は生きている人の応援が大きく影響するといわれています。これが法要であり、この間の読経でもあります。これが仏教の捉え方です。 神道ではこの期間をイザナギが黄泉の世界から逃げて禊ぎをするまでの期間になぞらえています。つまり穢れに触れた期間だということです。 穢れに触れた間は神様事に携わる事が出来ないのです。そして50日(仏教より一日長い)経ったら祓いを受けて現世に戻ります。 尤もこのドコまでが仏教でドコが神道なのかは判りません。何千年も神仏習合だったので判らなくなっているんです。 つまり元々仏教ではこの期間楽しい事をしてはいけないなんて常識はありません。 中国でも「中陰」といって法要の区切りの意味だけがあるのです。 四十九日間、慎ましくしなければならないとしているのは神道ですが、それでもそんなに厳しいものではありません。神事に直接携わる事は出来なくても、神社本庁の書物でも「やむをえない場合は祓えを受ければよろしい」(神社本庁コラム参照)と書かれているのです。 「慎ましく」の考えは「祝い事は後でも祝えるが、四十九日は期限が決まっているから最優先にすべきだ」という事でもあります。 でも私は、それ以上に「喪」の概念が大きいと考えます。 今では「忌」も「喪」も一緒くたですが、本来は別のものでした。上に書いたのはすべて「忌」に関わる事です。 「喪」は遺族の気持ちを表しています。つまり「穢れ=気枯れ」と言う解釈で、この期間に遊興にふけると邪気が入り病気になったり運気が悪くなったりする、寿命も縮むということです。 喪には本来期間がありませんが、例えば天皇が喪にふけって政務を何年も滞らせては国が滅びます。そこで決められたのが「服喪期間」となるわけです。 判りやすくいえば「喪は期間がなく、遺族が悲しみから立ち直るときが喪明け」ということです。この期間、遺族は黒い服(地域によっては白い服)を着て、社会的な活動を一切しません。 だから服喪期間は49日に決まってはいません。父母の死に対し嫡子(跡取り)の13ヶ月をはじめ、故人との繋がりや遺族の地位によって様々です。 明治頃まで有効だった服喪規定に拠れば祖父母の服喪期間は3日間です。 だから3日を過ぎれば社会活動を行なって構わないことになっています。 但し、先の述べたように「喪」は本来遺族本人の気持ちですから、悲しみから立ち直れないのに「喪明けだから」と強要するのはおかしいと思いますし、逆に旅行だ宴会だと遊興三昧しておきながら暮になると「喪中失礼」と年賀を避けるもの、本来は「奇妙な事」なのです。 世俗的な“常識”という名の俗説ではなく、理屈から言えば以上のとおりです。 しかし、習慣にはその地域や親族間の風習もあります。 私は祖母が亡くなったときに親族会議が開かれ「祖父は教育者(校長経験者)であり、祖母もそれに従う事を望んでいるはずだ」ということで、葬儀より文化祭を優先されました。その後も葬儀より同窓会や遠足を優先するようになりました。 私は中学洗礼ですが祖母の亡くなった時はまだカトリックではありませんでしたけど。学校はカトリックなので文化祭の発表はキリスト教とその兄弟たちと題して、ユダヤ教、イスラム教、ギリシア。ロシア正教、イングランド国教会の歴史とつながりについてでした。 自分でも各教会やニコライ堂に取材に行ったので、できれば文化祭に出たかったのもありますけど。 私たちは「カトリックだから仏教の風習にに従わない」などという事は良くないと教わりました。 ただし、あくまでも故人の冥福を祈るのであって、仏に祈っているわけじゃないですけどね。 このような問題は家族間の事なので、よく話し合い、どの風習に従うべきかを考えましょう。 でないとアトアトになって家族のいさかいの元にもなりかねませんから。

  • yamm916
  • ベストアンサー率55% (102/184)
回答No.5

仏教は人と人との「ご縁」を大切にする宗教です。仏事は故人をしのび、生き残った人が絆を深める行事だと思います。なので、同窓会の参加は大いに賛成で、他の回答者様と同じ意見です。四十九日にこだわるべきことではないと思います。 少し違う角度から考えてみたいと思います。お母様の立場のことです。お母様はこれまで義父様のご親族と、大変苦労してお付き合いされてこられたものと推察します。なるべく波風をたてないように、出すぎたことをしないように、気を使われてこられたことでしょう。 お母様が忌中に慎みを言うのも、一般的な慣習だけでなく、おじい様とそのご家族への特別な気遣いの表れであるかもしれません。そうであれば、これは宗教や習俗の問題ではなく、あなたとお母様との関係の問題になります。お母様の気持ちと自分の思いどちらを優先させるか。若いあなたには難しい問題ですが、忘れてはいけない視点ではないかと思います。

noname#203300
noname#203300
回答No.4

 今は喪に服すなんて誰もやってません。本来なら外出も控えると言うことなのですが今の時代にそれをしてたら生きてはいけません。結局、宗教行事なんて時代と共に変わらざるを得ませんし、宗教者が頑なに守ることを求めていたら宗教そのものが廃れます。  貴方がパーティーで偶にしか会えない旧友に会える機会を奪ったら仏様のほうが申し訳なくてお墓の中で小さくなってしまいます。おじいちゃんに今日あるのを感謝しながらパーティーを楽しんでください。亡くなった方への祈りは形式ではなく感謝の気持ちで示せば良いのです。

  • superski
  • ベストアンサー率19% (388/2010)
回答No.3

1年間は喪に服し、楽しみ事を慎むのが常識ですが、 あとあと「何でこの時期に死んだのさ、お祖父ちゃん」なんて パーティに行けなかったことを逆恨みする位なら、 参加して楽しんではどうですか。 祖父の死を悲しみ冥福を祈る気持ちが薄い若者ならば、しょうがないと思います。

  • rimurokku
  • ベストアンサー率36% (2407/6660)
回答No.2

宗教的にも人としての心情でも、お亡くなりになった方を忍ぶ期間にお祝いをしたり浮かれて騒ぐ事は慎むのが必要かもしれません。 しかし、何事にも今しか出来ないと言うタイミングもあります。 近い親族同士であれば、当然お祝い事の時期を後送りすることが必要ですが、お亡くなりになった方とは縁もゆかりもない人たちにそれを求める事は無理があります。 では、身近な人間で有るご質問者様が滅多にない機会を我慢するしかないという事に成るのでしょうか。 確かに、親族間での落とし所ではそれが一番丸く収まりそうです。 でも、ご質問者様の中では将来にわたって悔いが残る事と成りそうです。 ここは、お亡くなりになったおじいちゃんだったら今回の事をどのようにお考えになるのか想像してみましょう。 はたして、可愛い孫であるご質問者様が滅多にない機会を逃してまで出席を我慢する事を望んで居るのでしょうか。 私的な想像では、ご質問者様が元気に明るく同窓会で楽しむ事を快く思って居ないとは考えられません。 お亡くなりになったおじいちゃんを忘れることなく、それなりの節度を持って楽しまれるのは、きっとお亡くなりになったおじいちゃんも許してくれると思いますよ。 いや、むしろ喜んでくれるかもしれません。 節度有る行動を約束し、今後ともおじいさまを忘れることなく偲ぶ事をお母様と約束されれば、きっとお母様もお許しに成られると思います。 その上で、今後の政には積極的に協力されれば良いと思いますが。

  • ojisan-man
  • ベストアンサー率35% (823/2336)
回答No.1

一般的には、一周忌が終わるまでは喪に服する期間であり、祝い事や宴会などは自粛するものとされています。 そういう意味で、せめて四十九日法要が済むまでは控えておくべきと言われたのでしょうね。 でもこういうものは「気持ち」の問題です。 質問者さんが同窓会に出たからといって、きっとおじいちゃんは怒ったりしないと思いますよ。

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