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加齢に伴う不道徳さとは?
- 年齢とともに不道徳さが増す理由とは?
- 年寄りの不道徳さについて考えてみる
- 年齢が進むと人間性が変わることについての感想
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質問者が選んだベストアンサー
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>>加齢に伴う不道徳さ そう思うのは、ある種の思い込み・・ あるいは認識不足の様に感じます。 まあ、少々図々しさは増すかも・・ですが、基本的にはその人個人の資質の問題と思います。 では何故、加齢に伴う・・と感じるか・・ですが。 それは、すでにあったもの、隠されていた部分があらわになったからその様に感じるのだと思います。 例えば、現役で働いている頃にも、その様な事はあったのです。 が、仕事をしていて、それなりに成績を上げていたりすると、負の部分は覆い隠されたりします。 また、肩書きなるものも存在します。 あるいは組織などが守ってくれているものもありますね。 それらが殆ど全部無くなってしまうと、素が出る・・と言う事では・・と私は感じているのです。 また、人は一生学ぶもの・・あるいは興味関心を持つもの・・とも思います。 が、それらに対する関心が加齢と共に薄れると言う事もあります。 これが一番の原因かも・・とも思いますが。 あるいはあきらめの気持ちがそうさせるのかも・・・ しかし、やはりその人の資質・・あるいは生き様かも。 私・・あなたが想像している様な年齢です・・多分。 しかし、私にはやることがある・・私よりも20才も若い先生についている。 何より、自分の未熟さをそして、無知さを知っている・・知り始めている? この世には学びきれない・・ほどの未知があるし、それにチャレンジしていれば・・・ 先生(師範)との合い言葉・・死ぬまで続ける・・ 良き師との出会いも大切・・ まあ、希望される回答ではないかも・・・ 常々思う事を書いて見ました。
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- shivaree
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色々な事を経験すると どれが良く どれが悪い と 言い切れなく成るんです。 どちら側の立場も解るから 「盗人にも三分の理」 昔 そんな言葉が解らずに 悪い事は、絶対に許せない自分が居ました。 曖昧な言葉に違和感を感じ 「大人はズルイ」と思いました。 そして歳を重ねる内に 何でも許せる し 図々しく フテブテシい人間に自分なって行きました。 若い人から見たら 「ウゼーーー」ンダヨ と思われている?? それでも 頑固な部分には 磨きがかかり 自分を直す事はしなくなります。 ただね 親身に接して貰えれば 感謝の気持ちは忘れていません。 なーーんて 勝手な事 爺ですからーー
お礼
ご回答ありがとうございます。 若い時は大人の偽善に敏感ですよね。 ということは私はまだ若いのかしら。
- naigel
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年寄り=不道徳者 という結論をお持ちなのですね。 貴方は年寄りを忌み嫌っているように思えます。「嫌い」と「忌み嫌い」は全く違います。 日本人の30パーセントの人間を忌み嫌う貴方は不幸です。疲れますよ。 そんな貴方を10代、20代の人たちは、どう見ているのでしょうか。天に向かってつばを吐いている ように見ているかもしれませんよ。 私はつぐつぐ思います。加齢の速さを。30代40代はつい昨日のように思えるのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 ダメなものはダメというだけのこと。 私からするとお年寄りのほうが不幸に見えるのです。 同じ轍を踏まないようにこの質問をしています。 私にとっては私の視点がすべてですから、他の人たちからどう見えるかは知る由もありません。 まあ、それはお年寄りも同じですが。
- e-toshi54
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深読みし過ぎかも知れませんが、老人は本来若者に嫌われるように出来ているのではないだろうかと思います。それは老人の責任でもなく、若者の傲慢でもなく、人類として存続していく上のそれぞれの本能ではないかと思います。 例えば、加齢臭という言葉を良く聞くようになりました。(或いは自分が適応年齢のため過敏になっているのかも知れませんが)あの加齢臭にも動物としては存在意義があり、若いメスは加齢臭を嫌うために年寄りに寄り付かず若いオスを選びます。つまり、その種にとってはよりよい子孫をのこすことになる訳です。 自分の身を翻っても、20代は一義的に老人を避け、止むを得ない時に限り「老人」に接し、決して積極的には交わろうという気持がなかったのは確かです。 若者が老人を不道徳と感じるのも、別のかたちの「加齢臭」だろうと思います。 ただ、年齢の壁を超えて、人間同士として交際することは充分に可能であることを付記させていただきます。
お礼
生物学的理由というものもあるかもしれませんね。 ご回答ありがとうございました。
- troml
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長い間生きてきて、いろいろ苦労して、社会に貢献してきたお年寄りを嫌い、邪魔者扱いする世の中にしちゃいけないよ。そんな世の中じゃ、自分たちの未来だって真っ暗でしょ。 お年寄りを尊敬し、大切に思っている人は、自分の老後も楽しみに思えるんだと思いますが。
お礼
ご回答ありがとうございます。 そうですね、気をつけます。
こんにちは。 質問者さんはおいくつですか? 人は年を重ねると色々な身体機能が低下していきます。 その低下っぷりは若いうちには想像もできないでしょう。 ある部分は仕方の無い事です。 それに、質問者さんの年齢によっては年配の方々が背負っているものがどれだけ彼らの精神を圧迫し、余裕をなくしているかも解らないかもしれません。 私は30代半ばですが、私はどちらかというと老若男女を問わず礼儀正しい人が多いなと感じます。 ただその中に強烈な一人二人が居るとそのあまりの強烈さに社会はとか世界はなどと不思議と思いがち。でも冷静になって考えてみればやはり少なくとも私の周囲には礼儀正しい人が多い。 こちらが恐縮するほどです。 生活している地域などにもよるのかもしれませんが、悪い方向にならあまり偏った世界観は持たない方が良いですよ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 私は回答者さんより10年くらい長く生きているようです。 世界観というよりは私の人生観ですね。 たぶん人とは求めているものが違うのでしょう。 だから許せないんじゃないかと思います。 私自身がその年齢に達したとき、その思いが私にどう跳ね返ってくるのか楽しみです。
わたしは子供の頃から年寄りというか中年以上のひとが嫌いでした。 デリカシーのない言動が多いと感じていたからです。 年齢を経てある程度ずうずうしくなるのは仕方ないのかなとも思います。 そうでなければ、この複雑な世の中を渡ってはいけないということ。 私自身は子供の頃から内気で人とまともに話すことが出来ないほどでしたが、 40歳を過ぎた今自分でもずいぶんずうずうしくなりました。 もとが超内気だったので、それでも普通でしょうが。 普通以上にならないように気をつけないといけないと思っています。 スーパーで店員に無理を言っている女性は中年以上のひとが多いです。 というかほとんど中年以上。 ひとにどう思われるか、どう見られるのか、全く意に介していないように見えます。 他の方も指摘していますが、団塊の世代のひとたちは 性質が悪いと言うひとも多いです。 なぜだかはわかりません。 ただ職場で接触のあったその年代のひとたちは 正直うんざりするほど自己中心的でした。 わたしの友人も同じ意見です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 若い頃とは違う矜持を持つことが必要なのかもしれません。 ぼろは着てても心は錦のような美学がほしいですね。
- ice rub(@icerub)
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「年寄りは不道徳である」というより「加齢とともに不道徳になって行く」のが、表現として近いかもしれませんね 年齢を重ねるほど、自分中心になり、視野が狭くなり、触れ合う相手の年齢層も狭くなります また、年寄りを敬えという考えから、若年者より立場的に上と思っている高齢者も多いのでしょう それら様々な原因から、「加齢とともに不道徳になって行く」のかもしれません 私自身も年齢的に不道徳になって行く年頃ですが、私も俗に言う年寄りは大嫌いです 年齢を重ねることは恥を重ねること と思っていますから せめて他人に迷惑を及ぼさないよう、ひっそりと暮らしています
お礼
ご回答ありがとうございます。 生きていくのは大変なことですので、その最終ステージがこれでは・・・・・ という思いがあるのです。 単なる私のプライドなのかもしれませんが。 恥を重ねることは仕方のないことかもしれませんが、代わりになる良い何かも重ねられたらいいですね。
- Mokuzo100nenn
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歳とるってことは、余命が少なくなってくるわけで、「将来に備えてここは我慢しよう」というモチベーションは成立しなくなりますね。つまり、今、好きなことやっておかなくては、今生では二度とチャンスが無い、と感じるようになるわけですね。 個人差が大きいとは思いますが、将来が有る者と将来が無い者との違いと考えると、年齢によらず、将来が無いと考える人間は配慮・遠慮をしなくなるような気がします。 愚拙は、子供のころ、食卓に並んだ食べ物のうち、好きなものを後回しにしたものですが、今では真っ先に箸をつけるようになりましたぞ。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >歳とるってことは、余命が少なくなってくるわけで、「将来に備えてここは我慢しよう」というモチベーションは成立しなくなりますね。 そうなんですか、 私は逆にある種の達観のようなものが芽生えてくるはずだと思っているのですが。 やっぱり自分の死を意識するんですね。 その死(逆にいえば生きれる時間)に対しての対処が個人によって違うんでしょうかね。
NO1です。 私への回答のなかで・・ >>そのような自分自身の変化にも気づけないようならやはり哀れと思うほかありませんね。 自分自身の変化に気づけない・・それは殆どの人がそうでしょう。 自分の事を省みる事が出来る人は極々少数です。 と言うより、人間の成り立ち・・五感に反応する・・が当たり前なのでとても難しいです。 本当に極々少数の人が五感以外の成り立ちに気づきます。 そして、それに向かいます・・それは気づいた人の中でも更に少数です。 それは自分に向かうと言う事を人生の中で殆ど経験した事がないから・・です。 世に言う学者さん・いわゆる先生などと言う人もです。 自分が思う・・世界観はありますが、それが真実とは限らない。 真実を見抜いて、そして実践・更に伝授出来る人は・・ 更にその様な人と出会うことは・・神のみぞ知る・・ほどの確率となりますね。 ですから、哀れんでもねえ~ 何より・・多くの人は自分を知る・・あるいは真実を知る事など望んではいないのです。 自分を知ると・・あなたが書かれている様な事は全てクリアーでしょう。 蛇足ながら・・・ あなたがここに書かれている様にならんことを祈るばかりです。
お礼
ご回答ありがとうございます。 本当の自分なんか見たくないというのが本音でしょうね。 結局、その人の生き様しだいですかね。
- takuranke
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自分の経験ですが、 明治・大正・昭和初期生まれの方は、ほとんどそういう人に会いませんでしたが、 戦中・戦後生まれは結構多いいように感じます。 特に、戦中(1940年前後)と第一次ベビーブーム(1947年~1949年)に生まれた団塊の世代といわれる人たちの振る舞いについてはひどいなと感じることがあります。 権利主張しかしない人たちしか見ないです。 自分はならなように注意したいと思いますね(無理かな)。
お礼
ご回答ありがとうございます。 自分の権利ばかりを主張する姿は今回の震災でもちらほら見受けられますね。 人の振り見て・・・ですね。
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お礼
ご回答ありがとうございます。 >それは、すでにあったもの、隠されていた部分があらわになったからその様に感じるのだと思います。 そうですね、そういう部分もあるかと思います。 性格が変わるというよりはある意味で個性的な部分の露出度があがったのかもしれません。 しかし、そのような自分自身の変化にも気づけないようならやはり哀れと思うほかありませんね。