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昔はどのようにして時計をあわせましたか。

現在は時計をあわせるのにはテレビ・ラジオの時報とか、電波時計の表示などを見て合わせていますが、明治、大正期の軍隊や鉄道などではどうやって標準な時間をあわせていたのでしょうか。 すくなくともこれらの職業では時間が正確でなければ、お互いに一致しないことには、命とりにもなりかねません。 昔はどのような方法で時刻をあわせたのでしょうか、ご教示ください。

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回答No.2

こんにちは。 >>明治、大正期の軍隊や鉄道などではどうやって標準な時間をあわせていたのでしょうか。 明治時代に入り、定時法が採用されると、現在と同じ日時計が使われるようになりました。当時、時計は高価なものでしたから、日時計は便利なものとして普及したようです。 当時は標準時が採用されましたので、経度により太陽の南中時刻が異なります。この日時計では太陽の南中時刻を正午としていますので、経度差を補正しなければいけません。そのため、日時計の裏面には全国各地の経度差を時刻の差に直す表が記載されています。

EASTBIRD
質問者

お礼

ありがとうございます。このような道具の存在は知りませんでした。とても参考になります。

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  • isa-98
  • ベストアンサー率23% (205/859)
回答No.3

大砲で時間を知らせたんですよ。 どーん!(ーー; で。 電信で時報が送られてきました。 無線で送ってみたりサイレン鳴らしたり。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%99%82%E5%A0%B1 昔は軍隊の中に気象係がいて気象庁より正確な予報を出していましたが、国防秘だったんです。 軍隊はラッパが時報だったんです。 時計を合わせるのではなく、ラッパに合わせるんです。(ーー;

EASTBIRD
質問者

お礼

ありがとうございます。なるほど、電信で時報を通知とは天候に影響を受けにくいですね。とても参考になります。

noname#139854
noname#139854
回答No.1

緯度経度は分っていますから、明石市で太陽が南中(真南に来る瞬間)を正午として、それいがいの場所では誤差を考えればよい。 たとえば東京では南中した19分後を正午として時計の針を合わせる。 もちろん明石で南中すると言っても季節によって誤差はあるので、それも織込んだ「平均太陽時」で換算する。 http://okwave.jp/qa/q544259.html

EASTBIRD
質問者

お礼

ありがとうございます。参考になります。

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