暇ということを意識したことのない人間です。
いつも焦り続けて、それでいて何の成果もない毎日ですが、
ここでこうして時間を使っているのにも何らかの罪悪的プレシャーがあって、
こんなことは本来してはいられないのだが、体がやめられねえ、という生理的薬物嗜好的な事情があるので(笑)。
全体としてある意味、これも貧乏症の一種だろうと思っています。さて、
「暇つぶし」ですね。
つまり、幸運にも暇を獲得した人間が、不幸にも暇を苦痛に感じて、暇を暇と感じさせないような意味のない(と自分で意識している)行動を取って時間を浪費するということでしょう。
今風に言えば「あー、もったいない!」ということでしょうか。
それでその種のひとたちのために
>暇と正しく向き合って暇を過ごすために、暇つぶしではない暇の過ごし方
を考えるのは、私も意味のあることだと思います。
多くの知人たちは賃働きを無理にすることでその解消をはかっています。でもいずれ
彼らに暇な時間ができるのをコントロールはできないと思いますし、
意識するなといっても、これは無理でしょう。
やはり性急に暇を取り潰すのではなく、ある程度知恵を働かせて、意味のある時間の過ごし方をするということだと思います。
一概に『意味のあること」といっても漠然としていますが、ここは楽に考えて、自分のためになること、または多少なり社会的にためになることを心がけるということでいいのではないでしょうか。
ボランテア、たとえばフクシマ原発へ行くという手もあるでしょう。
只で働いてあげれば、時のヒーローになるかもしれませんね。
お礼
ご回答ありがとうございます。 >魚のいないプールに釣竿をたらしているようなものです。 なるほど、これはなかなか難しそうです。