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純粋な趣味を持つ人・持てない人
趣味にも純粋にそれ自体を楽しむだけでなく、副次的な効果もある趣味がほとんどだと思います。 例えば、映画や読書は知識が増えるし、人と一緒に見たり、話題にしたりできるので人とのコミュニケーションに役立つといった副次的な効果があります。趣味の楽しみ以外にも効果が期待できるという意味で純粋な趣味ではないと思います。スポーツや旅行なども同様です。 趣味に何らかの副次的な意味を感じられないと続けられない人がいます。 その一方で、何の副次的効果のない趣味に熱中し続ける人もいます。 純粋な趣味を持つ人と持つことができない人の違いは何が原因なのでしょうか?
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お礼
ありがとうございます。 >私は純粋な趣味/副次的効果を持つ趣味のラインをあえて引くならば、人と接する必要度が高い趣味であるかどうか、という点にあると思います。 これは基準としてありそうだと思いました。 >「人間関係がなくても(自分ひとりでも)続けられる気質がその人にあるか」だと思います。 その気質の違いは何に由来するのでしょうか。
補足
>副次的効果として、「知識が増える」と「人とのコミュニケーションに役立つ」をカウントするのには違和感があります。この2つが副次的効果として数えられるなら、「経験が増える・上達する」も効果として数えられると思います。そうなると、おおよそ副次的効果がない趣味というものが思いつきません。 少し考えてみたのですが、「知識」や「経験」「技能」といったものにも有益・無益といった違いがあると思います。 例えば、読書で言えば、一般書店で平積みされている本を読むことは、本人は純粋な興味だったとしても、大抵、社会を知る、流行を知る、教養を得るといった意味(有益性)があると思います。 しかし、古書店で誰からも顧みられることもなく、全く役に立ちそうもない、古典でもなく、歴史的価値もない本を好んで読むのは、役に立つ知識が増えないので、純度の高い趣味だと思います。 とはいえ、本人にとっては(主観的には)有益な知識である可能性もありますね。ということは、価値基準が世間一般と違う人が私が言いたい純粋な趣味を持っている人ということになるのかもしれません。 逆に、純粋な趣味を持てない人は、価値基準が世間一般から自由になれない人ということかもしれません。