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死?
他の方の質問を見て気になったんで質問します。 生には音読みと訓読みの両方があるのに、死には音読みと訓読みが同じで、と言うことは音読みしか無いように見える。日本人は死という言葉を中国人から教わるまでそんな言葉を持っていなかったんだろうか。縄文時代の日本人は死をなんて呼んでいたんだろうか。 これ哲学で聞くか国語で聞くか考古学で聞くか迷ってるんで、皆に聞いてみます。
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こんにちは。 No.2kadowaki様のご回答中で列挙のいたる、いぬ、うす、きゆ、さる…などの「死」に対応する倭語が一際目をひきました。 縄文時代の日本人の死生観、自然観、時間観、空間観が息づいているようにも思われるのは私だけでしょうか。 大野晋の推論では、 「トク(トケル)」と「トキ」との関連性から「われわれの祖先は、ものがゆるみ流動してゆくこととして、時を直観したのではないだろうか」(『日本語をさかのぼる』岩波新書)とのことですが、もしかすると死生観もこれに通底するものだったと察せられます。いかがでしょうか。 たしか大野晋の説に詳しい御方がいらっしゃいましたね。 こちらにてうかがってみたいものです。
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- 雪中庵(@psytex)
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一般的に、重要な単語は短い発音の場合が多い。 重要な単語の第一は、母や父であるが、私の知るスワヒリ語、 ゾンカ語、英語、中国語において、「まー、ばー」ないし「まま、 ばば(国によって父母が入れ替わっているが)」という、共通性の 高い単語になっている。 やまと言葉の「はは」は遠いようだが、元々は、やまと言葉に おける「Papa」の表記だったと考えられており、そんなに遠くない (ちなみにこうした名詞の性の転換はよく起きる。「ちち」の方が、 アイヌ語で母の意味(チチ=乳)に由来しているように)。 我々は近代の時間の早さを基準に「遠い」と考えがちだが、 時間がゆっくり流れていた時代には、距離もまた大きな障壁とは ならなかったと考える。 カボチャがカンボジア由来であり、ジャガイモがジャカルタ由来、 キセルのラウがラオス由来、ザクロがザクロス山脈由来の単語 である時、ある意味、今より世界は狭かったように思える。 私が暮したブータンでは、数を「チィ、ニィ、スム、シ、ガ~」と 数えるが、「シは死ぬに通じるから縁起が悪い」という事で、 会話では「ジ」と発音した。 ちなみにゾンカ語で、「死ぬ」は「シニ」、「寝る」は「ネニ」という (ゾンカ語はやまと言葉?(^o^))。 一方で、ゾンカ語で「本」は「キタブ」であるが、これはヒンズー語 (インド)やスワヒリ語(アフリカ)と共通である。 世界の何と狭いことか!
お礼
回答有り難うございます。 どう言う理由か知りませんが、死ぬという発音が各国で共通していた可能性があると言う説ですね。何で、この発音で表現されるようになったのか興味ありますね。国語欄でのご返事では、死ぬに対して かる=枯れる という大和言葉があったそうです。
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お礼
回答有り難うございます。 この質問をトキと結び付けてくれたのは、私にとって新鮮でした。西洋の絵画では基本的に描かれるテーマは長いあいだ、永遠、すなわち「存在」だったように思えます。近代になっても時間を単なる座標系の一要素としてしまい、時空をミンコフスキー空間のように「静的な幾何学」で捉えて、世界を決定論的な運動方程式で記述しようとする。 一方、極東の絵画では雲の中の渦や煙の中の渦を頻りに書いて来た。少なくとも日本人は存在よりも「変化」、流転、すなわち時の流れという、次から次へと新しい物が創出される「動的な語り」の世界、あるいは確率論的な運動方程式によって描かれる世界に興味を持っていたようですね。だから日本人は永遠の命なんて言わない。死も時の流れの中の出来事として捉えようとしているのでしょうか。 西欧の「ある」世界、無時間的な世界と、日本人の「なる」世界、トキのある世界、自ずと自然観が違っているようですね。