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場面緘黙症ですが...
私は場面緘黙症を持っています。 なので、今まで誰も本気で私のことを叱ってくれたことはありませんでした。 でも、中学になって本気で叱ってくれた人がいて、 普通の私だったら凄い心が傷ついているはずなのに全然傷つかなくて、 逆に正しいことはきちんとすると反省をしました。 これが本当歩愛情なのかなと思いました。 でも、場面緘黙症を持っている人には叱ってはいけないと書かれていたけど 私にとって本当に叱られたことが凄い嬉しく感じましたが、 場面緘黙症の人で正しくないことを本気叱られたりして このように思うのは変なのでしょうか?
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こんにちは、40代男性です。 「場面緘黙症」について知識のある人は、すごく少ないのが現状ではないでしょうか。ですから、回答も少ないと思います。かく言う僕も、知識があるわけではありませ。 >このように思うのは変なのでしょうか? この問いの裏には、「何が正常か推測する」心理が隠されています。自分が感じたことが正常なのかどうかを考える心理、つまり「どう感じるべきか」という制約があるということです。自分が感じたことは感じたままで、そのまま認めればいいと思うのですが、そういう時でも「べき」で考えてしまうクセがあるということでしょう。 わたしたちは、自分の考え方でしか生きられないのです。自分の感じ方を土台として、自分なりの世界を創らなければ生きていけないのです。間違っていたとしても、他人の世界観を移植することなど出来ないのです。 「場面緘黙症」というレッテルにふさわしい行動(つまり、ある場面では言葉を一言も発しない)を繰り返していけば、症状はより強固になるでしょう。世間一般の「ふさわしい感じ方」にとらわれずに、自分の感じたままを土台として、確固たる自分の世界観を構築することは無駄ではないでしょう。 叱られたことが凄く嬉しいと感じたのなら、それは真実です。「どう感じるのが一般的か」という壁を打ち破ったということでは、飛躍的な前進の一歩を踏みだされたのではないでしょうか。これからも「何が普通か」ではなく、「自分がどう思ったか」を大切に、それを基礎として自分だけの人生を歩んでいってもらいたと思います。このことは、僕に関しても同じなのです。人は誰でも自分の感じ方でしか生きられないのです。
お礼
回答有り難うございました。 私は人の目を凄い気にしてしまうことが多いので自分の考えや感じたことは みんなに否定されるかどうか悩んでしまってなかなか言えずにいることが多かったです。 自分の感じたことや考えたことを大切にしていこうと思います。