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震災対策の想定外事態への批判対象とは?
- 東日本大震災における津波の被害は想定以上の規模で、批判の対象となっている。
- 津波対策では原発や堤防の想定外事態が問題視されているが、なぜ原発だけが猛烈に批判されるのか疑問がある。
- ネット上では原発に対する極論的な意見が多く、中立的な立場からの意見を知りたい。
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自然災害というのは、あくまで予測できないものです。 たとえばがけ崩れなども頻繁に起こりますが、それを完璧に防ぎ被害がまったく出ないようにするには「そこに住まない、近づかない」という方法しかありません。特に日本のような地震や台風の被害が大きい国ではなおさらです。 しかしそうも行きませんので、がけ崩れを想定しながら近くに住んだり、噴火を想定しながら火山の近くに住んだり、津波を想定しながら海岸に住んだりするわけです。 その点では原発も想定を超える災害という意味では同じといえます。 しかし自然災害と原子力発電所が明確に違う点もあります。自然災害はあくまでも自然の営みでありコントロールはできないものの対処することは可能です。がけ崩れが起きそうなら事前に避難できますし、噴火しそうでも非難できますし、津波は警報が出て避難することができます。そして重要なのは自然災害は「その後」の影響はほぼない、といえることです。 もちろん経済ベースでの被害は別ですが、それは原則お金で解決できることであり、命さえ助かれば復旧することも保障することも可能です。 しかし原子力発電はそうではありません。もともと人間が自然界には存在しなかった原子力を利用し、コントロールすることで「安全」だと言ってきたからです。 これが人間のコントロールを離れて暴走することは、自然界ではありえない事態ですし、原子力を利用している人間がなんとしても管理する責任があるのです。 それが明確になったのが旧ソ連のチェルノブイリ事故でした。その前にはスリーマイルの事故もあります。チェルノブイリのときは知らせているかどうかは別として、多大な人命を失う覚悟で作業をしてようやく石棺に閉じ込めることが出来たのです。 ですからそもそも、いつどんなときにどんな風にかは分からなくても、「設計時の想定を超える事態が起こりえる」ことと「想定を超えて暴走したら取り返しのつかない事態に発展する」ということは「想定」できたはずなのです。 日本の原子力政策の一番の間違いはこの想定できた「想定外」のシナリオ作りを怠ったことにあるのです。 たとえばアメリカ軍はそういう事態を想定して「原子力専門部隊」をもっています。普段どのような仕事をしているか分かりませんが、戦争やテロなどを含めて原子力発電所が攻撃され、コントロールできないという「想定」があったからです。 ですからたしかに今回のように津波で制御不能になることは想定できなくても、すべての機器が壊滅的に壊れることで原子力発電所が暴走する、という事態はいくらでも想定できたはずであり、政府の有事立法や自衛隊による特殊部隊、または全国にある電力会社が共同して緊急対応できる体制など、やれることはいくらであったはずなのです。 日本の問題は「原子力は安全である」という言葉にすべての人が囚われたことにより、包括的でかつ効果的な「想定外を想定」した準備を怠ってきたことなのです。 この点については、原子力反対派も反省する必要があります。 なぜなら、もし上記の準備をしようとすれば「原子力は安全だといったじゃないか!!」と批判だけして、かえって物事の本質を見えなくしてきたからです。 たとえて言えば、建物の中のガスコンロは安全だから消火器を置かなくてもいいはず、消火器を置かなければならないのは安全ではない証拠だ、というのに等しいということなのです。 これにより日本の原子力行政も東京電力も準備を怠る結果を招き、震災後3週間たっても目処すら立たない状況を招いているのです。 そもそも原子力が安全か危険かは関係ありません。そして津波の被害が想定外だったことも関係ありません。 「万が一でも、対処できる方法と能力を準備すること」を怠ってきたのがいけないのです。 そしてその責任はアメリカなどの他国が準備をしている以上、日本政府、電力会社そして国民もその責任を自覚するべきなのです。 原子力が暴走すれば日本だけでなく世界中に被害が及ぶのですから批判されて当然です。
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- 7kugino
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想定 とは 小学生の想定 中学生 高校生 大学生 一般社会人 学者 専門学者で想定は変わります。 一般的に住宅は お城のある場所は安全であるが、土地が少ない日本では危険な場所に家を建てて住んでいる。 そして危険だからとして、防波堤などを考えるが、専門学者は津波の高さ 20 30mは建築費が膨大なためにどこかで手打ち式となる。 そして 想定外を天災として人々は生きてきました。 但し原発はその被害が広範囲で 又長い年月の汚染を考えて、厳しい法律的制限。 技術的には論理の整合性が厳しく問われているのです。 今回 法律がざる法で、論理的整合性はなかったのです。 そして 想定外は人災として糾弾されているのです。 ただ反対と言う人は別にして、技術と法律が整合されたら、必要性から反対とは言わないでしょう。 どこまで、罪に対して正当な罰を与えるか が大きな山になるでしょう。 罰を問われなかった場合、原発は無理だと考えます。 地震 津波 原発で避難している福島の方々に、罰を与えて初めてお詫びが言えるのです。 氷点下の体育館などでストーブ一個 毛布一枚等 等 苦難を与えています。 福島で避難している原発賛成派が、納得して初めて可能です。 隠す 嘘をつく説明では到底納得されません。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに広域な意味で想定という言葉の捉え方が変わってきますね。罪と罰に対する理解がちょっと難しいです。
>「想定外」なのに、なぜ原発だけが批判の対象になるのでしょうか? 想定外であっても壊れて放射能漏れを起こしてはこまるのです。原発は! あの「ちゃらんぽらん」な対応は、批判されてあたりまえ。 想定外であっても、事後の素早い危機回避への最大限の対処は当然。 それをせず。炉の維持を優先させた愚行は最悪。 現時点の死者数、想定外であるからとっていって、 放射能漏れのズサンな対応を許していいの? 貴方の批判する比較基準があまりにも安易ですよ。 まぁ、批判側も無責任に煽る輩、民主政権への便乗批判、 無知・無思慮なものも多いが。
お礼
回答ありがとうございます。 私は質問の中では特に何かに限定した批判はしてません。原発に対する中立的な意見を知りたかったからです。回答内容が原発事故に限定されてますね。あなたが原発事故に対する対応に強い不満を持っていることだけは分かりました。
- eeb33585
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簡単です。 例えば、 (1)なだれによって雪につぶされて死亡。 (2)立体駐車場から車が降ってきて、つぶされて死亡。 あなたは、なだれを訴えますか? そこに人が予防する余地があるかどうかの違いです。
お礼
回答ありがとうございます。 (2)に関しては質問の内容に則して理解するとなると、起因するものが「なだれ」であったと想定してなだれにより立駐から車が降り、圧死したという受取り方をします。それであればなだれそのものに責任を問えるわけではありませんね。そういう観点でいうと納得できます。
お礼
回答ありがとうございます。 堤防も原発も災害に対する想定が甘かったことに変わりわない・・・とずっと思ってました。問題は想定外のことが起きたその後のことを全て見越した根本的な所だったんですね。 > そもそも原子力が安全か危険かは関係ありません。 > そして津波の被害が想定外だったことも関係ありません。 > 「万が一でも、対処できる方法と能力を準備すること」を怠ってきたのがいけないのです。 ここに私なりの理解の全ての答えが集約されていました。原発推進派・反対派のそれぞれの過激な意見を目の当たりにすると何が悪くてこのような事態になってしまったのか本当に分からなくなります。ようやく頭の整理ができました。