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東日本大震災の行方不明者
東日本大震災について質問です。 明治三陸大津波の死者:2万1915名、行方不明者:44名 東日本大震災の行方不明者は1万人以上。 なぜこんなに違うのですか。 明治三陸大津波の行方不明者が少なすぎる気がするのですが…。
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まず、100年前との人口差。 100年前は今の人口の3分の1程度しかいない。 そして、行方不明者というのは7年経って親族が届け出れば正式に死亡扱いになる。 44名は親族とかがいなくて届け出が出されなかっただけ。
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そんなことより三陸の人たちは過去100年余りに三度も大津波の被害地でした。 科学の進んだ今日、今回の津波被害が大きいのは何故だか、貴方は考えたことがお有りでしょうか。 そのことが貴方の質問の答えですよ。
- hotmail55
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>明治三陸大津波の行方不明者が少なすぎる気がするのですが…。 行方不明者と言いうのは誰かが「この人が見つかっていない、行方不明だ」と行政に届け出て初めて行方不明者としてカウントされます。 たとえば、Aさん、Bさん、Cさんという人が見つかっていないとして、氏名の分からない遺体が2つあったとします。この場合、行方不明者として数えられるのはA,B,Cさんの3名です。たとえ、氏名不明の遺体が300あっても、行方不明300とは言いません。 明治三陸地震は今回の地震、東北地方太平洋沖地震の10分の1以下でしたから、もともと、被災地域は今回の地震に比べるとずっと小さい範囲だったのです。 そのため、津波後の混乱した地域を捜索して遺体を確認しやすかったということです。 それでも2万人以上の死者が出たのは避難がうまくできなかったためです。避難訓練のようなものはやられていなかったでしょうし、地震警報のようなものもなかったはずです。 また、明治期は今よりも人口が少なかったはずです。確か、岩手、宮城、福島で人口が最大になるのは戦後の昭和40年代か50年代ではないでしょうか?ともかく、明治期はずっと人口が少なかったのです。そして、その中で、村制度のようなものが生きていましたから、誰の遺体が見つかっていて誰の遺体が見つかっていないと言うことはよく分かったはずです。 津波被害が今回ほどではなかったので、遺体捜索が比較的よくでき、身元確認もできたので、死者数は増えたが、行方不明者はあまり出なかったと言うことでしょう。 なお、今回の地震で行方不明者が多いのは、住民票があるのに、一家全員が亡くなってしまわれ、遺体が見つかっても、その身元確認ができないとか、または、津波が大きかったので沖に運ばれて遺体そのものが見つかっていないとか、または、原発のために、遺体の捜索そのものができていない、という原因がある様子です。
- ucok
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回答ではないのですが、東日本大震災の行方不明者は「まだ」1万人以上なのです。まだ捜索中なのです。これから瓦礫の下などから出てきたり、やがて打ち上げられたり、あるいは、ひょっとしたら、どこかからひょっこり生還したりするのです。では、お続けください。
- iBook 2001(@iBook-2001)
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はじめまして♪ あくまで、素人の考えですが、、、 行方不明に成った人を確認出来るかどうか? この点で過去のデータの正確性を考えておきましょう。 今でも、避難所で「俺一ヶ月以上もなって、行方不明者名簿に書かれてる」と言う人がテレビに出てました。 今回の震災による行方不明者も、まだまだ正確性は疑問符付きでしょう。 一部の被災者の状況から、車なら津波が来てから逃げられると思った人が多かったようで、高齢者や子供を避難させた後に自宅へ戻ったりした多くの方々が海に流されてしまった可能性も多いようです。 また、明治時代と現代では人口も違うでしょうし、住民票等の整備等からの問題点もあるかもしれませんね。 あくまで、素人考えですので、違っていたらゴメンナサイ。
お礼
はじめまして、回答ありがとうございます。 確かに、明治の方も、東日本大震災の方も、行方不明者数の正確性は疑問ですよね。 もしかしたら明治三陸大津波の死者は2万人どころではないかもしれませんね。
お礼
なるほどわかりました。 死者=遺体が見つかった人 ではないということですね。 津波で亡くなった場合において遺体が見つからない人はどれくらいになるのか知りたかったのですが、死者と行方不明者の数ではわからないですね。