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外国人の性格について

現在、アメリカに住んでいます。 日本に住んでいた時に出会った外国人(私が特に出会ったのはアメリカ・カナダ)もそうなのですが、 何故、過度に自分を大きく見せるというか虚勢を張るというかこうした傾向が強い人間が多く存在するのでしょうか? (何かの精神疾患?) こうした人間を英語で何か良い言い方はありますでしょうか? こういう表現を不快に思う方もいるかと存じますので初めに謝っておきますが、 あまりに人を馬鹿にした行動をしているので喧嘩をしてみると体格や勢いと 寒い日でもタンクトップを着ている(関係ないか・・・)だけで、 昔、所属していた同じジムの中高生でも勝てるようなレベルであったります。 前提に必ず『俺は黒帯だ』だの『アメリカで喧嘩をしてどうのこうの(何だか忘れましたが)』だのと 面白い程に決まって誰も聞いていない武勇伝ネタを話しています。 勿論、私自身が極度に喧嘩に強いという訳でも無く、 街中によくあるフルコンタクトや総合格闘技のジムで仕事帰りに少しかじった程度です。 そして一番、面倒臭いのが喧嘩で勝てないとなると共通の知人等がいると『あいつはゲイだ』など、 嘘の中傷した内容を言いふらすといった子供じみた行動をし始めます。 こうした内容は過去に一度や二度の事ではありません。 また、別の例としては逐一、肉体関係を持った日本人女性の容姿・年齢・セックスの内容までを詳しく話してくる。 そこまで自慢げに話すならと友人達と実際にその女性に会ってみると、 個人の趣味なので当人の勝手ですが自慢どころか洒落にもなっていません。 良い外国人も多く存在していることは十分に理解しています。 日本人でも稀に同様のタイプを見ますが典型的というかこうしたタイプの人間が 何故、外国人(私が特に出会ったのはアメリカ・カナダ)に多く見られるのか不思議でなりません。

みんなの回答

  • phj
  • ベストアンサー率52% (2344/4489)
回答No.1

アメリカ・カナダなら仕方が無いでしょう。 かの国の文化は「マッチョイズム」「ヒーロー主義」が原則だからです。 たとえば、今福島で原発事故を収拾しようと奮起している50人ぐらいの民間人(原発の技術的関係者)をアメリカではfukusima-fiftyと英雄視しています。もちろん日本の報道では英雄視はしませんし、がんばっておられる彼らもヒーローになりたくてやっているわけではないでしょう。 ここに文化的な違いがあります。 また、ちょっと古い映画ですが「バックトゥーザヒューチャー」を見ると主人公が「俺をチキンと呼ぶな!!」と激怒しているシーンが何回か出てきます。アメリカではチキン(臆病者)は少年にとって最大の侮蔑の言葉ですし、日本のようにオタク文化がありませんから、どちらかというとおとなしいマッチョではない少年たちが逃げこめる文化的要素もなく、マッチョ文化に適合した連中と直接対応するしかありません。 そうなると(たぶん)弱くても「虚勢」を張ることが必要になってくるのではないでしょうか。 日本の場合は文化的に「謙遜」という姿勢があります。これは「黙っていても天は必ず見ていてくれて、行いのよい者に味方する」という文化的な考えも含んでいます。ですから日本では「正直者がバカを見る」社会でいいのか?という議論が良く起こるわけです。 西洋考えでは救世主が助けるにしても「主は自ら助くるものを助く」ですから、能動的に自己弁護することも文化的な素養のうちにはいるのでしょう。ですので当然「あやまらない」ということもふくめ、詭弁でもいいから自己弁護することになるわけです。 どちらがいいか、というのは難しい問題です。 しかし、文化的に違うということは理解しておいたほうがいいでしょうし、西洋的な文化でもアメリカ・カナダは西武開拓時代に「自分たちで切り開いた」という自負がありますので、ヨーロッパに比べてもマッチョです。もっともヨーロッパから見るとこのようなアメリカ人たちはむしろ「粗野」に写るようですが・・・ アジアに行くと日本と同様「天が見ている」という文化もあり、また文化的に違ったものになります。

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