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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:障害者の犯罪について)

障害者の犯罪について

このQ&Aのポイント
  • 知的障害者の責任能力と監督の必要性について考える
  • 被害者の人権損害と社会的保護のバランスを考える
  • すべての知的障害者の責任と支援の必要性を認識する

質問者が選んだベストアンサー

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  • 6186move
  • ベストアンサー率47% (76/160)
回答No.9

犯罪者は誰であれその結果責任を負わねばならない という意見には同感です。 被害者やその家族の悲痛な心情を考えると、 当の犯罪者にたとえどんな事情があろうとも、 無罪になることなど受け入れられるはずもないでしょう。 当然の主張、正当な意見だと思います。 ただ知的障害者本人や家族の現実にも目を向けなければ いけないとも思います。 私は知的障害者が共同生活をする施設に勤務しています。 皆いろいろな事情で先天的・後天的に障害を抱えており、 家族とも同居できない複雑な事情を抱えています。 障害そのものや境遇は当人のせいではなく、 本当にかわいそうな人たちです。 しかし幸か不幸か、自分が障害者だということを自覚する 思考力も持ち合わせていない方もいます。 もちろんコミュニケーションや教育が可能で、 常識や自立するための習慣を身に着けていくことが できる人もいるなど、障害の程度はさまざまです。 少し考えてみていただきたい状況があります。 法律的な犯罪ではないものの、施設内では健常者には考えられない ことが起こります。 人の服を勝手に着る、人の部屋の持ち物を勝手に触ったり持ち帰る、 物を壊す、気に入らなければ叩く、人の食事を盗るなどです。 夜中に大声を出す、トイレに行かずに部屋で排泄する、 自傷行為や他傷行為、服などを破る、物を散らかすが片付けない。 何で?と思われますか。 訓練すればいいのに? ちゃんと管理して教育すればいいのに? 見張っていれば起きないのに?と思われますか。 家で看ている家族であれ、施設の職員であれ、 目を光らせ、危険がないように気を配り、人に迷惑をかけないで 生きていけるように24時間体制で訓練・支援しています。 ところがやはり同様のことが起きてしまうのです。 これが現実であり、限界です。だから障害者なのです。 これは当事者、経験者でないと汲めない感覚かもしれません。 責任を問う気持ちはわかります。 責任を問う権利もあると思います。 責任を問う声があがるのも自然だと理解できます。 でもあえて主張するなら、今の社会で、家族と少数の理解者や 支援者だけで知的障害者の全行動を制御するのは不可能です。 「ちゃんと監督・隔離すべきだ」との意見はもっともですが、 障害者に対して施設数、支援者の数、法的援助が十分ではない 地域もあります。おまけにそれぞれの家族も仕事をしなければ 生活できませんし、治療や支援にも費用がかかります。 そのような限界がある中、最善を尽くして支援がなされています。 それでもごく一部で生じてしまうのが問題行動、犯罪なのです。 世の中には確信犯的な邪悪な犯罪者もいますが、 知的障害者でそうである人はほとんどいないでしょう。 機能的な限界と障害のゆえに社会のルールや常識を理解できず、 正常ならできる自己制御もできず、監督の目が行き届かない現実の中で 犯罪が引き起こされてしまうということです。 再度繰り返しますが、犯罪の結果責任を当人や家族に負わせることは 否定しません。しかし司法が情状酌量とみなす相応の事情は、 やはり考慮されて然るべきだと私は思います。 犯罪被害者の観点と犯罪者の観点。 通常は犯罪者の理屈や動機など身勝手で無視するに値するかと思いますが、 知的障害者などの病気が関係する犯罪の場合には、少なくとも一定の考慮に 入れて司法的判断を下すことは公正に反しないと感じます。

その他の回答 (8)

  • yonesuke35
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回答No.8

確かに知的障害者の起こす事件があります。 その事は反省すべきものと 思います。  障害者の起こす犯罪と健常者とされる人間の起こす犯罪を 比較してみると知的障害者の犯罪は動機が単純、被害も少数。  健常者が起こす犯罪は金にまつわることが多く多額で多人数、巧妙、詐欺的。 障害者による犯罪の被害額を金に換算してみたらどうでしょうか? 一人の命を生命保険、殺人の慰謝料などを参考にして一人仮に1億円とします。 障害者を隔離する。一万人に1人程度は可能性があると判断されると仮定して、 日本に1万人の隔離される候補者がいることになります。 一人に必要な経費は刑務所の費用を参考にすると年間500万円程度は必要かと 思います。 つまり500億円程度の経費が必要になります。  その差約100倍。 かなり無駄な感じがします。 

回答No.7

 知的障害者は、好きで障害者に生まれてきたわけではない。  ましてその保護者も、知的障害などという足かせを、すき好んで生まれたばかりの子どもにつけたわけではない。  両者とも、ある意味『被害者』。  まずはその点を、充分理解すべき。    現代刑法は「教育刑主義」を採用している。  懲役に限らず罰金刑から死刑に至るまで、公権力が犯罪者に課す全ての刑は、加害者の深い反省と更正を促すために存在している。  そのような「刑罰」の持つ意味を、ハナから理解できない人間に、刑罰を与えてもせん無いこと。だから、知的障害者を含む「心神喪失」状態の人間は刑を免除され、「心神耗弱」状態の人間は刑の減軽の余地を与えられる。  現代社会は、ハムラビ法典時代の「目には目を、歯には歯を」という報復主義、厳罰主義の時代からもう相当に進化・成熟しているはず。  殺人者が死刑になれば、そりゃ一時的には被害者側の溜飲は下がるかもしれない。  だけど、そんな感情はその一瞬だけ。後に残るのはむなしい虚脱感という名の「無間地獄」。  人を失った悲しみを埋めることは、どんな過酷な刑罰をもってしても不可能。  それを乗り越え、明日に向けて第1歩を踏み出す努力は、どんな被害者にも加害者にも求められること。  いつまでも、絶対に帰ってこない過去に縛られ続けるより、前を向くべき。

  • sutorama
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回答No.6

すこし論理がすり替えというか、滅裂になってきています (1)もちろん、犯罪を犯さない知的障害者の方々がほとんどだと思います (2)療養所のようなとこりに集めて指導監督するしかない (もし自分で責任を負う能力がないのであれば、他人の監督を受けたり、あるいは隔離されることを受け入れるべき) あなたのこの(1)と(2)が、まったくつながりません 知的障がい者は、罪を犯したこともない人も含め全員、犯罪の恐れがある&犯罪を犯してもどうせ賠償責任がないので集めて隔離するという意味なら社会規範からズレていますし、重犯罪でも刑に服した健常者(こんなこと書きたくないけど)は、再犯の恐れがあっても自由に生活できる社会はOKというのではれば、それこそ問題のある考えだと思います  ※ところで秋葉原事件など、後天的な知的障がい者を事前に調べる制度とかないですよ よって、危険な思想だと思いますし、私のような意見を持っている人がいることも反論とかではなく、素直に認めるぐらいの度量はほしいとこです なぜならば >僕の意見に対して、どう思いますか? ということで、意見を書かせてもらっているからであって、反論をもらいたくて回答しているのではありません

回答No.5

何度も失礼します。 >ですから、法改正して、賃金のいい作業(土建などの重労働)を課せるようにすることができたらいいな、と思います。 究極の選択からは逃げてらっしゃいますが、これはこの質問の趣旨ではいので深入りしないとし、土建などの重労働に関しては被害者への補償のためではなく、安い賃金で社会貢献する方が受刑者の罪滅ぼしになるだろうというのが私の考えです。私は北国に住んでいて、今年は雪が多かったんですが、除雪の人手が足りなくて、除雪も人に頼むと結構な費用がかさむので、そういう時こそ 受刑者には人の役にたってもらいたいと思います。もっとも、凶暴で逃亡の危険性がある受刑者にはさせられませんが...。 >障害者が人に危害を加えたら、sola0ryuさんの仰るような健常者と同じ扱いも必要でしょう。 でも、やはり難しい問題です。障害者の責任をどこまで認めるかです。例えば親と同居して依存しきって自分一人で暮らせない障害者の親が病気で寝たきりになり、 親に適切な介護が出来ずに親が死亡した場合、その障害者を保護監督遺棄致死で立件するのはいくらなんでも無茶ですよね。

回答No.4

>賠償についてですが、無期懲役の上で賠償を行うというのは、不可能なのでしょうか? もしその加害者に財産がないのであれば、刑務所の中で労働を行い、その賃金から賠償をする、という選択肢も可能なのではないでしょうか? だれでもそれを望むでしょうけど、まあ、究極の選択でしょう。刑務所の中の労働賃金は雀の涙のようなものだし、sola0ryuさん自身、加害者がすぐに釈放されて3億円の賠償金を一度で貰うのと、賠償金は加害者が無期懲役で月々 4000円しか払えないので我慢するかの どちらを選ぶかは私ではなくsola0ryuさん次第です。 >少し話題がそれますが、自分達が差別されている部分(就職など)では平等を叫び、自分達が優遇されている部分(この問題など)では現状維持、あるいはその優遇措置の拡大を求める。矛盾しているとは思いませんか? 難しいですね。障害者の肩を持つわけではありませんが、障害者は色々偏見の目で見られているわけだし。 ただ、私は危険な障害者とそうでない障害者を同じように考えてはいけないと思います。まあ、区別も難しいですが。

sola0ryu
質問者

補足

確かに、刑務所の労働賃金はすずめの涙でしかありません。 ですから、法改正して、賃金のいい作業(土建などの重労働)を課せるようにすることができたらいいな、と思います。 実際、知的障害者の方が一般社会で労働するとして、そこまで賃金のいい仕事はないでしょうし、彼らの生活費などを差し引いてしまったら、あまり残らないのでは……? とも思います。 知的障害者の方による賠償、というのは難しいのかもしれませんね。 こういった場合、その知的障害者の方の保護者が支払うというのが妥当なのかもしれません。 確かに、彼らは偏見の目で見られているかもしれません。もちろん、彼らは望んでそうなってのではありません。 ですが、やはり虚空に向かって何かを叫んでいる方に出くわしたとき、どうしても本能的な恐怖が生まれます。もちろん、心無い軽蔑の目もあるとは思いますが、それはモラルの問題であって。。。 とにかく、この権利についての問題は、とても難しいですね。

  • love_pet2
  • ベストアンサー率21% (176/826)
回答No.3

無教養で偏見と差別的な考えですね。それと、救い様のない小心です。

sola0ryu
質問者

補足

どこが差別的なのかを教えてください。 僕は、障害者と健常者を平等に扱うべきだと主張しています。 障害者を特別に保護して擁護することこそ、双方に対しての差別であると考えます。 それに、どこが小心なのですか?指摘する脳もない人間に、無教養などといわれたくはありません。

回答No.2

#1の方に厳しいレスをされているので、回答に迷いましたが、sola0ryuさんの意見も理解できますが、 こういう問題で一番ないがいしろにされがちなのは被害者の補償です。ケースは全然違いますが、例えば 飲酒運転の車に自分が車に引かれて車椅子生活になった場合、 sola0ryuさんなら相手にも同じようにも怪我をさせて車椅子生活を送らせて自分と同じ苦しみを味あわせるのと、無期懲役の刑を与えるのと、それ相当の相場の賠償金をもらうのとで いずれか3択だったらどれを選びますか? 責任とは何なんでしょうね? 相手も同じように車椅子の生活を送ったところで、sola0ryuさんには何の生活の足しにもなりませんよね。無期懲役も同じようなものです。でも、相手は法に触れることをしているんだから、 sola0ryuさんがたとえ 相場としては法外な賠償金を貰って妥協したとしても 加害者は社会的制裁を受けなければ、罪を償ったとは言えません。この場合、当事者よりも第3者が大きな疑問を持つでしょう。 障害者の犯罪に関しては私も大きな疑問を持っています。まあ、ここで被害者の補償の問題は脇に置いておくとし、 秋葉原の通り魔事件のように あまりにも異常で危険な障害者は死刑は逃れますが、人権を半分剥奪した上で安楽死の絶命処置(結局死刑と同じようなもになりますが、つまり、懲役は逃れても危険な精神病患者は 鉄格子の病棟に監禁されるのと同じように、物は解釈の仕様) をとるのなんかどうお思いますか? 一気にブーイングが来そうですが、どうかお手柔らかにお願いします。

sola0ryu
質問者

補足

賠償についてですが、無期懲役の上で賠償を行うというのは、不可能なのでしょうか? もしその加害者に財産がないのであれば、刑務所の中で労働を行い、その賃金から賠償をする、という選択肢も可能なのではないでしょうか? myrtille54さんの意見も面白いと思いますが、僕が言いたいのは、社会人として一般社会の中で生活するのであれば、罪に対して平等に罰を与えるべきだということです。 秋葉原の通り魔事件では、検察側は死刑を求刑しましたが、弁護側は責任能力がないとして死刑の回避を要求しました。この責任能力の有無で、罪が同じにもかかわらず罰の重さが変わるというのはおかしいと思います。 少し話題がそれますが、自分達が差別されている部分(就職など)では平等を叫び、自分達が優遇されている部分(この問題など)では現状維持、あるいはその優遇措置の拡大を求める。矛盾しているとは思いませんか?

  • sutorama
  • ベストアンサー率35% (1689/4748)
回答No.1

反省させるために刑務所へ 反省しなそうだから死刑 こんな感じだと思いますが、反省能力がないので法で裁けない(当てはまらない)・・・ということが書かれていることだと思います で、書かれていることを無理やり当事者に当てはめると、反省しないから死刑とは・・・ならないので、法では裁けないのかなと思います よって、「知的障害者の方々も自分の行為に責任を持つべきだ」という考えは崩壊しますので、論点になりません で、書かれている「保護者」「監督」とは民間のことなのか家族のことなのか公共の施設員の公務員なのかわかりませんが、大変危険な思想だと思いました 自分の仕事(世話)が失敗したら、その人の刑を代わりに受ける、それが死刑でも・・・と聞こえるので怖いなと思います また、隔離についてですが、言葉を濁されているのか、あるいは具体的に牢屋のようなところに一生、入れておくことを指しているのかわかりませんので、あえて述べません しかし、書かれているお気持ちはわかりますので、もう少しご自身でも急がず整理されていくと良いと思います

sola0ryu
質問者

補足

反省させるために刑務所へ、ではなく、罰として、あるいは犯した罪への償い(責任を負う)ために刑務所へ、という意味です。今回の質問では、死刑の話題は持ち出していません。 現在、刑務所を出たての方や、鑑別所を出たばかりの方には、保護観察士という方々が付きます。監視するのではなく、指導監督するべき、という意味です。 自分の仕事が失敗したら……ということですが、責任能力のない、犯罪を犯す可能性が他人よりも大きい人間を野放しにした保護者にも責任があるのでは、ということです。保護責任にも近いような義務の不履行であり、決して罰の代行ではありません。 自己責任も駄目、保護者も駄目、保護観察も駄目、それならそういった方々を療養所のようなとこりに集めて指導監督するしかない、ということであり、牢獄に入れる、という意味ではありません。

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