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昔の助け合い精神とは?
- 昔の助け合い精神とは、近所の人を気遣い協力し合う文化のことです。
- 現代では孤独や他の問題に直面した時、昔の助け合い精神が欠如していることが問題視されています。
- 昔の助け合い精神は純粋な気持ちで行われ、ストレスの要因ではありませんでした。
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>助け合い精神というものが昔の人のストレスにはならなかった(そもそもストレスは存在しなかった)のか、純粋な気持ちでできたのか、そこも気になるところです。 助け合い精神は今でもあります。 昔のような助け合い精神がなくなったのではなく、個人個人が人を信用しなくなった リアルな人とかかわるのが面倒になったといった方がいいでしょう。 昔だと近所には必ず おせっかいおばさんと雷爺ってのがいました。 おせっかいおばさんは、他人家にずけずけとは入り込んできませんが、近所に人の嫌がる噂話ではなく情報を振りまいたりしてくれる人で、雷爺は他人の子でも悪いことなら平気で鉄拳制裁する人です。 周りのみんなも、子供が雷爺に殴られたのなら 子供が悪いこと正してもらったので「お礼」に伺うくらいでしたし おせっかいおばさんも、町内会の行事などでは中心になって無料奉仕してました。 それが当たり前の世界だったんでストレスなんかありません。 みんなおんなじような生活ですから、他人様の生活中身なんかだーーれも気にも留めていません。 でも今ではどうでしょう 自分家の壁に落書きされて、犯人を殴れば、アホ親が警察つれて人間失格者のようにごねたり あわよくば金を取ろうとしたり ガキはガキで、ウルセー ウザイ シネとボキャブラリーも無く 底辺な言葉でののしった挙句刺すし 隣同士で挨拶のしないようなマンション住まいで、噂話といえば他人の不幸ばかり プライバシーの侵害だなんて、平々凡々とした味気ない暮らしで、声かけられることを嫌ったり こんな世の中になちゃたんですよ。 昔なら 向こう三件両隣って言って、近所の人は家族同然で顔も名前も知ってました。 子供たちは、顔が合えば挨拶し、出かける際にも、よろしくと声をかけ、人様のうちで何の報酬も無いのに泥棒に入られてないか、火の番は大丈夫かなんて気にかけたもんです。 中島みゆきの歌にもあります 「機械たちを相手に言葉はいらない 決まりきった身振りで街は流れていく」ってね みんな他人を機械かなにか そして自分は特別な何かと勘違いしているので もう昔のような助け合いは田舎じゃないと無いんじゃないですかね
お礼
たしかに。現代は人と人との関係が薄すぎるのかもしれません。昔は自分と赤の他人というはっきりとした区別もあまりなく、そもそも助け合いなんて言わなくても、それが当たり前だったのでしょうか。だからこの悲しい現状に人々は泣くのですね…。 丁寧な回答ありがとうございました。