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助け合いの精神って、要するにギブ&テイクですよね
電車に轢かれそうなところを助けたニュースで、「助け合いの精神が大切だ」と話題になっていましたが、助け合いの精神って、要するにギブ&テイクですよね。 少々長い質問というか、「意見に対してどう思うかと言う質問」が2点あるのですが、気が向いたらお願いします。 (1)助け合いの精神って、要するにギブ&テイクですよね。 補足 昔は、醤油を切らせたらお隣様に分けてもらっていました。それは、昔は醤油を買うのも一苦労で、夜は店が閉まっていて買えません。そんな中、お隣様に分けてもらう「困ったときはお互い様」。 つまり、今醤油を分けてあげます。今度私が切らせたときには貴方が助けてください。と言う「助け合い」と言う名の暗黙のギブ&テイクがあったと思われますが、どう思いますか? (2)「助け合いの精神」なんて言ってるから、便利になればなるほど、人は他人を助けなくなると思う。 補足 醤油を分けてもらおうと言うのは、今はありません。 もしお隣様に分けてもらおうなら、図々しく思います。 お隣様は、「分けてあげる」事はしても、醤油が切れたらその人に分けてもらうようなことはせず、コンビニで買うでしょう。 つまり、助け合いというギブ&テイクは成り立ちません。 便利になればなるほど、昔は数人でないとできないことが、一人でできるようになってきます。そうなればなるほど「助け合う」必要もなくギブ&テイクも成立しない。つまり「助け合いの精神」を重んじれば重んじるほど、人は助けなくなると思いますがどう思いますか。 ニュースで話題になった青年は、見返りなど求めないでしょう。あれは「助け合いの精神」ではなく、「見返りを求めない愛他精神」と言ったほうが正しいと思う。 これらの意見に関して、どのように思われるか質問させてください。
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- heartmind
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「助け合い」という字面だけをみると確かにそう感じてしまうかもしれません。しかし、助けられた経験をした人が今度は誰かを助けたいという連鎖につながりぐるーと一周すると「助け合い」が成り立つと言ってもいいですよね。助ける人は確かにそれを望んでいるわけじゃないけど。 最近思うのですが、無償で「助けたい」という気持ちの人は、結構増えてきていると思うのですが、逆に「助けられている」という感謝の気持ちは確かに薄れてきてるのかもしれません。 「助けられている」という実感が無いというか、「助けられてもどう返していいかわからない」というか。 便利さというのは社会が成熟した結果であって、自然発生的な「便利」は物理的にありえません。社会の中の人間が「便利」を作り出しているのです。ですから「便利さ」そのものが、もはや人にたすけられているということですよね。 そういうシステムが感情を希薄にしているのでしょうか。どうなんでしょう。
- hikimura
- ベストアンサー率31% (25/80)
情けは人のためならず。 困った時はお互い様。 困っている人がいたら、できる範囲で助けよう。 皆がそう考える事で、自然に助け合う社会になっていくわけですな。 決してギブアンドテイクな関係ではないよ。 いくら便利な世の中になろうと、「困る事」ってなくならないよ。 日本では毎年自殺する人が3万人以上もいるじゃないか。 的確なアドバイスだけでも一万人くらいは死なずに済んだんじゃないかな。 ニュースの青年は、事件当時に色々考えてるヒマは無かったと思う。 結果的に命がけで他人を救った勇気を称えられたわけです。 しかしさすがに誰もが死ぬ気で助け合えというわけにはいかんですわ。 「助け合いの精神が大切だ」とまとめた番組はちょっとズレてますね。
- ryuken_dec
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>(1)助け合いの精神って、要するにギブ&テイクですよね。 いいえ。 助け合いはコミュニティとその構成員の関係が基本。個々人の貸し借りや契約の問題とは別。 コミュニティに属していて何かトラブルを抱えた構成員がいればコミュニティで助けるが、その助けを受けた構成員がその借りを返す義務は無い。 相互扶助として誕生した生命保険もその例。構成員で掛け金を積み立てておく。ある構成員の家で稼ぎ主が死亡した時にはその基金から生活費が支給される。しかし、その基金からの支払いを受けた人がその借りを返す必要は無い。 ギブアンドテイクとは別物。 >(2)「助け合いの精神」なんて言ってるから、便利になればなるほど、 >人は他人を助けなくなると思う。 いいえ。 では不便な貧困にあえぐアフリカの最下層は助け合いの精神が働いているのか?隣人同士で民族が違うという理由で殺し合いが発生する社会。 そんな不便な国と便利な先進国を比べると、先進国の方が相互扶助が優れている。 便利になればなるほど相互扶助は有効になってきた。 従来は相互扶助をやろうとしても技術的制約などから難しかった。例えば生命保険の例にしても広い地域単位での死亡者の把握や基金の管理ができなかったので、小さいコミュニティでの相互扶助しかできなかった。しかし、今ではコンピュータによる管理、高速移動網によって人がその家まで行けることなどもあり、相互扶助機能が発達した。
- JP002086
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助け合い精神について、誤解されていると思います。 助け合い精神の根本は、“一人はみんなのために、みんなは一人のために”なんです。 助け合い精神が大きくなった組織体として、「組合」があります。 さらに大きな組織として有名なのは「こくみん共済」で有名な“全労済(フルネームは全国労働者生活協同組合連合会です)”です。 ようするに、“困ったから”ではなく“困った時のため”にみんなで、少しづつ蓄えるのです。 生活様式の変化により組合に参加する方が減少し、運営が出来なくなってきたため組合の解体が進んでいます。 一部の地方では、町内会費を集めて冠婚葬祭に割り当てる所も有るかと思いますが、隣近所に“物を借りる事とか分けて貰う”のとは違います。 志が一緒で、そこに参加しているから救済するのであって参加していない方まで救済はしません。 もう死語になっているかと思いますが「村八分」「向こう三軒両隣」と言う言葉が存在しているのです。 “ニュースで話題になった青年”は、「危ない」と思い身体が動いたから「助けた」だけです。 もし、彼がプラスマイナスを考えてから助けに行ったのであれば、二人共亡くなっています。 精神論で言うところの「犠牲的精神」だと思います。 見返りを求めない愛他精神の例を挙げると、「共同募金」が上げられるかと思います。 一つの考え方の参考となれば
- marife
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それはちょっと狭義に過ぎると言うか、個人主義に過ぎると言うか・・・。 助け合いと言うのは「あなたを助けたから、今度はあなたが私を助けてね」って事ではないですよ、それじゃ取引です。 「あなたを助けましたが、いずれ私も誰かに助けられるでしょう」または「私も助けられた事がありますので、あなたも誰かを助けて挙げて下さい」って精神のことです。 >「助け合いの精神」なんて言ってるから、便利になればなるほど、人は他人を助けなくなると思う。 そんな事はないでしょう、あなただってバスや電車でお年寄りなどに席を譲った事があると思いますが、幾ら世の中が便利になろうともこの様な事が無くなるとは思えません。 そんな小さな事と思うのはあなたにとって席を譲る事は助け合いと言えるほどの事ではないだけです。 資産数十億もある資産家にとっては100万円寄付する事はあなたが席を譲る事と同じ位の小さな事かも知れません 自分の身を削ってまでは中々出来ないが、自分ではなんとも思わない位の小さな善意をみんなが出し合えば巡り巡って大きな善意になるよって言うのが助け合いの精神です。 今回の彼も直接命を救われる様な事は、長い人生でも恐らくないかもしれませんが、彼の行動を見て勇気を貰った誰かが又誰かを救う事になるでしょう。 そうやって繋がった勇気がいずれ彼や彼の家族、彼の子孫を救う事もある筈です。
- nishikasai
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>(1)助け合いの精神って、要するにギブ&テイクですよね。 ギブだけです。テイクはだれだって望みますから・・・、 >「見返りを求めない愛他精神」と言ったほうが正しいと思う。 はい、そう思います。