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この文法、あってますか?
「孤独じゃ重い扉も共に立ち上がればまた動き始める」 Storyの歌詞の一部です。卒業式で歌う羽目になり、練習していたのですが、何か違和感を覚えました。
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主語を省略しすぎだから、確かに違和感を覚えますね。でも、昭和初期の著名な作家の小説などを読んでいると、主語を省略しすぎているものが多々あります。日本語の場合、一概におかしいとはいえない。例えば、詩や俳句などでは、人によって省略されている主語を自由につけることによって、それなりの楽しみ方ができるというものがある。歌などでも、文字数が制限されるので、省略はやむを得ない。 この場合、省略されているだろう主語を、私なりにつけてみると、 「あなた(わたし)にとって、孤独じゃ重い扉も、我々が共に立ち上がればまた動き始める」 といったところでしょうか。 そうですね、孤独じゃ~のところと、共に~のところの主語が異なっていますね。我々の中には、あなた(わたし)も含まれるわけですが。違和感といえば、そこに感じますかね。
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- banzaiA
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文法うんぬんの問題ではなく、日本語の意味として通じるか?ということだと思います。 孤独じゃ…孤独では(つまり一人では) 重い扉も…重くて(動かない)扉も 共に立ち上がれば…みんなで一緒に行動を起こせば(みなで力を合わせれば) また動き始める…動き始める 一人ではできなかたことでも皆で力を合わせれば、困難なことも乗り越えられる ということだと。
お礼
あ…文法の話でございます……。 う~ん、書くときになんとなく気付かなかったのかなあ、AIさんよ。
- ゆのじ(@u-jk49)
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主語は例えば、「私たちは」で良いのでしょうし、「重い扉」という「困難」に対して皆と一緒に立ち向かっていけば、そういう苦難は乗り越えられる、つまり、「動き始める」ということなのでしょうね。ですから、あるいは、たった一人でも、孤軍奮闘してでも、単身であらゆる苦難に立ち向かうことを潔いと思う向きには、何だか、女々しい文句になるのでしょうか。また、友達第一主義の昨今の教育を反映しているものでもあるわけで、単独行動、個性強調は、教師側から見れば、排除すべき形なのですね。ですので、平均的な動き、平均的な反応のできない者を排斥する動きに教師自身が加担してしまうということもあるのでしょうね。 眼前の困難に対して、即、単独行動を起こすのではなくして、周囲の沢山の友人の力添えを待つという姿勢を、あるいは、日本古来の文化遺産たる「武士道」とかの精神に反するものと、質問者さんは感じたのでしょうか。そういうご見識、私は支持いたします。
お礼
ええと……………文法としてあっているのかという質問の答えは…………?
- -bokurano-
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AIのStoryって曲でいいんですかね? 歌の歌詞って文法云々より 作詞した本人がどんな意味を込めて書いたかだと思います 人を物に例えたり 自分を他人に置き換えたりする事は珍しくはないですし むしろ歌の歌詞に違和感がないことのほうが珍しいと思います
お礼
はい、AIのStoryです。 すみませんが、隠喩法もクソも置いといて、日本語としてあっているのか という質問ですので…。
お礼
回答ありがとうございます。 省略しすぎですよねえ、分からない事はないんですが、違和感を感じずにはいられません!