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受け止めるということ
- 友人の優しさに羨望と違和感を感じる
- 自己犠牲的なまでの優しさに魅力を感じる
- 自分のエゴや価値基準との葛藤
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質問者が選んだベストアンサー
10代後半で深いところを考えてることにびっくりです。 尊敬、嫉妬、うらやましい、いろんな意味で 友人が気になってしょうがないんですね。 いいところは吸収すればいいんですが それが自分にとって心地よくないのであれば それはプラスになっていかないと思います。 たとえが悪いかもしれないですが きれいな女性がしてるお化粧を真似してみるとします。 そうすることで自分が楽しくなりなおかつ きれいになったと思えるならいいんです。 だけど真似してる自分がいやだとか まったく効果がないって思うようなら 余計ストレスになるだけです。 友人がとてもいい人に見えるみたいですが 約束まもらなかったり、一緒にいるときに 携帯ばっかりいじってる人ってすてきと思えないんですが・・・ 誰にでも寛大になれるのはいいことですが ある意味八方美人で人からよく見られたいだけかもしれませんよ。 でも彼はそれがいい、心地いいからそうしてるんです。 誰かに、冷たいとか言われるのがこわいのかもしれません。 あなたにはあなたの良さがあるはずです。 万人に好かれるのは理想ですが 無理してそうするより あなたの良いところを理解してくれる人を大切にして 長い間付き合っていけるような人を 数少なくても見つけることがいいってことも あるかもしれないですよ。
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逆だよ 誰かと真に深い関係を築くには何も言わずに相手の不満を受け止めては出来ませんよ 早く言えば見せかけ 心の奥深いところで付き合ってませんからね だから友人は誰からも好かれ交際範囲が広いんだと思います 本心に迫った付き合いでなくうわべだけの付き合い と嫌な言い方をすればそんな感じ 友人の場合は博愛者、広く浅く あなたの方が真に深い付き合いは出来ると思います ある意味友人の自己犠牲的に出来る優しさは羨ましく思えるかもしれませんが 友人を好きになった人は可哀想かも 焼きもちが絶えなさそうな気がします あなたはしっかりとした自分を持っているだけで厳しくなんてないですよ 人を愛する資質なんてもともとありませんよ その人を好きになるからその人といたいからその人のために何かしてあげたくて愛するだけだと思います
お礼
回答ありがとうございます。 博愛という言葉がピッタリだと思います。ですが、みなさんのご意見を読んでから考えると、それは必ずしもいつも理想的な付き合い方ではないとも思いました。僕自身のことについては、少し考えすぎていたのかもしれません。 自分の中で整理が付いたので、この質問はこれで締め切らせていただこうと思います。たくさんのご回答、ありがとうございました。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
…良いんじゃないですか?。 質問読ませてもらいましたけど、そのままで良いと思いますけど。 友達の性格(じゃなくて、行動だね、この場合は)は、彼が自分の経験から「選び取ってきた方法」なんだよ。 八方美人というのも大変なもの…でも、彼にはそれを「高みに上げる」だけの資質と、そして努力もあると思うよ。 「あーいいや、勝手にしろ!」って流さないところが、彼の「軸」の強固さなんだろうね。 優等生タイプだね。 君はそうじゃないんだろう…でも、それは「資質の違い」ではあるけど、パフォーマンスの高低ではない。 君にはもっとディープに、自分をかけられる場所があるはずだ。 嫉妬も心のエネルギーだよ。 ただし、同じ嫉妬するにしても「どうして?」という理由は、君の中で出さなきゃいけない。 彼が優しいからうらやましいから…それが本当の理由なんだろうか?。 なぜ嫉妬するのか…放っておけば良い、彼は彼だ、と思ってもなお嫉妬するのであれば、それにはきっと「理由」がある。 その理由にたどり着くまでは大変だけど…でも解明して欲しい。 理由さえわかれば、いかようにもなるからね。 人間みんな、所詮は「スタンドプレイヤー」だ。 自分の持つ「技術」「得意分野」を、いかに発動できるかがキモだ。 でも、使いこなせなきゃ、それはただの持ち腐れになってしまう。 …君と彼の相違…ハッキリ言ってしまうならば「差」は、そこにこそ存在する。 だからこそ「お前次第」と言ったんだと思うよ。 「他人のわがまま」を受容するってことは、わがままを「調べつくす」ってこと。 分析し解読し、対応策を練るってこと。 決して「染まって」いるわけじゃないんだ、ってことだよね。 八方美人はね…案外孤独じゃないと出来ないもんだよ。
お礼
回答ありがとうございます。 その通りです。彼の行動の徹底ぶりは並々ならぬものがあります。背後に信念めいた動機を感じます。考え続けて、自分の長所を活かせる場所を探したいと思います。
逆に良い友人だと思いますが。 友人は心に余裕があるんでしょう。 だから、誰にでも優しくなれて、受け止めてあげられる。 それは、持って生まれた性格か、演技なのか、生活環境からなのかは分りません。 もしかすると、過去に酷い失恋をしたからかもしれない。 ~「さあ。お前次第だろう」 友人の言葉が全てだと思います。 お前も、相手がどんな理不尽なわがままを言っていても、それを受け止めて欲しいことがある時は黙って受け止めればいい。 それを別に自分は勧めはしない。 という意味でしょう? 10代後半で、友人はそれを実践しているのだから、立派だと思います。 ただ、友人はそれで他人と深い関係を保っていると考えるのはオカシイんじゃあないかな。 貴方がみているのは、あくまで普段の友人ですよね。 本当に愛する人に接する友人はもっと人間臭いかもしれない。 普段見ているものが真実だと思いがちですが、影で苦しんで、もがいている姿があるかも知れません。 だからといって、貴方が~厳しすぎ、人(男女限らず)を愛する資質に欠けている~とは思いません。 花でも、野にひっそりと咲く花、人に眺められる桜、人の来ない高山で咲く花、色々あります。 でも、どの花も一生懸命に咲き、美しいんですよ。 人も同じ。 友人はそういう生き方で生きていく。 貴方は貴方の生き方をしていく。 でも、人を愛しむという気持ちは皆同じですよ。
お礼
回答ありがとうございます。 たしかに友人は心に余裕があります。僕はいつも動きまわっていないと満足できない性質ですが、彼はマイペースに人生を楽しんでいます(それが良いことだとか、悪いことだとかは言いません)。 それで深い関係を保っているか、はわかりません。ただ、彼は僕と二人でいるときに彼女から電話が来るとそのまま長時間通話したりしているので、その会話内容から判断してそうだと思いました。 見かけややり方は人それぞれでも、人を愛することに違いはないということですね。僕は僕の道を行きたいと思います。
こんにちは。 『受け止める』、『受け入れる』、何れもエゴ=自我が介在していては、 如何なる評価があろうとも、『独りよがり』、『自己満足』の範疇に帰してしまいます。 『受け止める、受け入れる』その何よりのお手本は『自然』でしょうね。 >自信がありません。 そうなると思います。 仮に他人様が評価をしても、『そこに確固たる指標はない』と思います。 10代後半との事、世間の裏や表、また矛盾、それと無い理不尽…等、 色々目に付くようになったのではないでしょうか。 そこで、『自然、自然体』について、ご自身で一歩踏み込んで欲しく思います。 以下、参考までに2つの引用をコピペいたします。 何れも自然を題材とし、人にも転化しうるものです。 それでは。 『水五訓』 一、自ら活動して他を動かしむるは水なり 一、障害にあい激しくその勢力を百倍し得るは水なり 一、常に己の進路を求めて止まざるは水なり 一、自ら潔うして他の汚れを洗い清濁併せ容るるは水なり 一、洋々として大洋を充たし発しては蒸気となり雲となり雨となり 雪と変じ霰と化し疑っては玲瓏たる鏡となりたえるも其性を失わざるは水なり 『風林火山』 「疾如風、徐如林、侵掠如火、不動如山」 疾(と)きこと風の如く、 徐(しず)かなること林の如く、 侵(おか)し掠(かす)めること火の如く、 動かざること山の如し …^^。
お礼
回答ありがとうございます。 自分の本質をしっかり持ち、柔軟に主体的に生きろということでしょうか。意識しすぎず自然体でいられるようにするのは僕にとって大きな課題だと思います。そのためにも確固とした「自分」を持ちたいです。参考にさせていただきます。
- rockz
- ベストアンサー率18% (10/53)
あなたも友人も10代後半で、そんな事を考えてるなんて、感心しました。 彼の自己犠牲的なまでの優しさは、うらやましがるものではないと思います。 生まれた環境が、あなたは今の状態でも人から居場所をもらえた。 彼は自己犠牲までいかないと、もらえなかった。 それだけだろうと思います。 それは、逆にあなたの方が恵まれている証拠だと思いますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 僕は今まで居場所がないと感じてきました。いつも近寄りがたい印象を人に与えてしまうので、そのぶん彼のフレンドリーなところが輝いて見えます。でも、実は恵まれているのかもしれませんね。
- cafeM
- ベストアンサー率24% (233/950)
ご友人の人付き合いの仕方は、むしろ「広く浅く」であり 「狭く深く」には向かないと思いますよ。 「誰とでも親しくなる」のと「真に深い関係を築く」のは どちらかというと真逆の付き合い方ではないですか? そしてご友人の付き合い方は、 「八方美人」「都合のいい人」「何でも屋」と 紙一重です。 質問者さんが思うほど素晴らしい行為ではなく 必ずしも人徳があるとは言い切れないと思います。 困っている人に手を差しのべることは必要ですが 相手のわがままばかり聞いてあげることが 必ずしも相手のためにならないことを、彼はいつか知るでしょう。 いくらきれいごとを言ってみても、人間関係の根底には ある程度「ギブ&テイク」があって然るべきだと思います。 自己犠牲のもとに成り立つ人間関係は、いずれ崩壊しますよ。
お礼
回答ありがとうございます。 それは盲点でした。たしかに、「誰とでも親しくなる」のと「真に深い関係を築く」のは真逆ですね。人間関係を適度に保つバランス感覚が欲しいです。
お礼
回答ありがとうございます。 いつも友人から刺激を受けてきましたが、正直悔しいことも多かったです。とはいえ僕は友達が少なく、彼と親しくなれたのもある程度は彼の柔軟性のおかげだと思ってます。それで僕は恩義と尊敬と引け目を混同していたのかもしれません……。何か自分に欠陥があるような気がして自信を失いかけていましたが、まだ諦めずに自分らしく生きてみようと思いました。友人も含め少数でもしっかり向き合ってくれる人々への感謝を忘れないようにします。ありがとうございました。