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人間不信??

私は狭く深くの友人関係です。 そのほとんどの人を信用しています。ほかの人には言えない話をしたり、相談もします。 けど、ちょっとしたことで裏を考えてしまいます。 私が待ち合わせに遅刻した時、「遅れて本当にごめん」と言います。相手はたいがい「全然いいよー。気にしないで」と言います。 私はここで、本当にそう思ってるのなと思ってしまいます。 「ありがとう」とか「ごめん」いろんな言葉に、すぐ本当かなと考えます。 自分なりにこのことについて考えました。 結局は自分以外の人が何を思い、何を考えているかは分からない。嘘をついているのか、真実なのかは、その人にしか分からない。と言う結論に達しました。 この結論は万人に対して事実だと思います。 相手を信じる信じないは、このことを常に意識するか、しないかの違いだと私は思ってます。 こういうことは皆さんにもあるんでしょうか? 友人に同じ質問をしても、きっと私は本当かなと思うと思います。友人は私の性格、顔色を知ることができるからです。 なので私を知らない人の意見を聞いて、参考にしたいです。 これは人間不信かな?と思ったこともあります。 人間不信の方は、裏切られるのが怖いと考えると聞いたことがあります。 私は怖いとは思いません。友人を信じているから裏切りはないとも思いません。 私は誰にでも裏切られる可能性はあると思って生活しているので、怖くありません。 だから自分を人間不信ではないと思いましたが、こういう考えをしている人が極少数であれば、人を心の奥底から信じれるようになろうと努力したいと思います。

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  • ベストアンサー
  • emichii
  • ベストアンサー率21% (145/685)
回答No.1

こんにちは。 たとえば遅刻した時の「全然いいよー気にしないで」という言葉が嘘かもしれない。 でも、じゃあこの人はなんのために嘘をついたの?? それはあなたを思ってだと思います。 遅刻されて怒る事だってできる。 でも、我慢して待っててくれて、怒らず許してくれる。 何度も何度も遅刻していたらそのうちたまりにたまって 怒られるかもしれませんが・・・。 「いいよ、気にしないで」的な言葉には 多少は気にする事が必要な事だと思います。 失礼な事を言ってしまうかもしれませんが、 信頼している友人の言葉を嘘かホントか考えてしまう、 そして結局は本人しかわからない、と言っていますよね?? ではあなたは友人の何を信頼しているのでしょうか?? ちょっとした事で裏を考えてしまうという事は 信頼しきれていないとしか言いようがないように思えました。 友人を信じている、けど誰にでも裏切られる可能性はあると思っている これは信じているとはいえないですよ。 でもきっとあなたはその友人達が好きで、長く仲良くしていきたいと 思っているんじゃないですか?? そしたら、やはりまずは前向きに信じていくべきではないかと思います。 「この人が嘘をつく必要性があるのか」と考えれば ないんじゃないか、って思いませんか?? あと、あなたを思っての嘘もあるかもしれません。 あなたのいう[相手を信じる信じないは、このことを常に意識するか、しないかの違い]は [疑う事は、このことを常に意識するか、しないかの違い]の裏返しだと思います。 疑う事をなくして、信じてみてください。 あたしは、ホントに仲のイイ子は裏を考えたりはしません。 ただ、一見仲が良くても、裏があると思う子や イロイロ考えて、疑って、の子もいます。 仲がイイ、と信頼は違うのかもしれませんね。 正直その子とは割り切った付き合いをしていますし 長い付き合いにはならないと思っています。 ホントに仲が良く、信頼し合っている友人達には、 そういう事を考える事は無意識になくなっています。 安心しきっているので。 参考になりますかね(笑)

noname#14186
質問者

お礼

遅くなってすいません。回答ありがとうございます。 私は「嘘」ばかりに執着して、嘘をつく必要があるか、私のためではないのかと言うのを全く考えていませんでした。 とっても参考になりました。

その他の回答 (3)

回答No.4

こんにちは。 4997035231さんが、完全に人間不信であるとは思いません。 私が思う事は、人間は嘘をつける生き物だし、それに嘘をつかない人間っていないと思うんです。だから、それのせいでどうしても人の言っている事を100%信じきれないことはあります。私だって100%人の言っている事を信じられるかというとそうではありません。でも、そんな人間不信とかっていわれると。。。まあ、確かにそうであるような、ないような。。。っていう感じかもしれませんね(苦笑) 人を心から信じられるようになるっていうのは、やっぱり話している相手と、精神的にどれ位深く付き合えるか、それに、付き合っていくうちに、相手の言っている事と行動に矛盾があるかないかでも、相手を信頼する度合いが違っていきます。 人を信頼するには、時間がかかります。それにその相手を信用していいのかって確実に確認するのにも時間がかかります。人を本当に心から信用するのって、やっぱりそれなりに信用出来る何かを確認しなければ難しいと思います。 人間不信の人は裏切られるのが怖い。。。確かにそうだと思います。だから、妙に探り癖があるんですよね。でも、人間不信の人に見られる傾向はやっぱり過去に裏切られた経験がある人が多いと思います。で、今度は裏切られないようにするために、裏切られた人っていうのは、相手と話をあわせるように嘘をつくようになっていく傾向が強いと思うんです。 でも、この嘘というのは、相手に認めてもらいたい、仲良くしてもらいたい、という意味でそうやってしまうことがあると思います。で、そうしてるうちに嘘をつくことが癖になっていくひとも中にはいると思います。でも、裏返していえば、結局は、自分に自信がないからそうやってしまうんだと思います。人から好かれたいために嘘をつく。でも、嘘をつかなければ人に好かれない。。。これは、結局、本当の自分をさらけ出して人に好かれる自信がないと言う事から来てると思うんです。 で、4997035231さんの場合は、きっとそういう過去がもしかしたらないのかもしれないし、でも、それ以前に、嘘をついてまで人から好かれようとは思っていないという自信から「私は怖いとは思いません」といえるのかもしれません。 私も今まで深く付き合ってきた友達に裏切られた事はありません。だから、人に嘘をついてまで好かれようとは思いません。それに、私は人を信じてしまうタイプですので、ナイーブであるとよく言われます(苦笑)でも、もちろん、人と付き合っていくうちに、人間不信のひとにも出会いました。やっぱりそういう人は過去に深い傷を負っているひとが多かったです。で、そういう人達のなかにも2種類あって(ってこれは私の経験上で書きますが)、彼女の過去を私にも味あわせてやりたいという感じで、私に友達として近づいて、そして裏切るという感じのひともいれば、私と仲良くなりたいから、一生懸命、私の話に合わせるひともいました。で、前者の人から裏切られた行為をされたとき、得に彼女とはまだそんなに深い付き合いではなかったせいもあったんでしょう。別に裏切られたからといっても、心深く傷つくことはありませんでした。でも、逆に彼女がかわいそうな人間だなって思えました。裏切られた後に、ちょっとした所で偶然に彼女にあっても、別に普通に会話をしました。裏切られたことは確かに悲しかったけど、でも、裏切る行為をしている彼女のほうがかわいそうだと思いました。で、後者のひととは今、現在友達として付き合っていますが、本心をいつ出してくれるのか待っている最中です。友達があまり少ない彼女、それから過去に何度も男性に裏切られ、また性依存症、恋愛依存症の彼女ですので、精神的にもかなり深く傷ついている彼女ですから、なかなか本心をさらけ出すのが怖いようです。で、私も彼女が人に好かれるように、意見をその時、その時で変えるので、彼女の言う事は信用出来ないと思っています。でも、信用出来ないのは、彼女の言う事が矛盾している事が多いからですし、それに、彼女が人に好かれたいためにどうしても嘘をついてしまう事が原因です(苦笑) でも、私は夫の言う事は信じます。まあ、でもそれでも100%信じきれるかというとそうではありません。夫だって、やっぱりたまに「いい嘘」をいうことはありますからね(笑)でも、夫の事は一番信頼しています。それに、私の親友も信頼できます。 とにかく、全ての人間の言っている事を心の奥底から信じるっていうのは、その相手にもよります。人間不信であるかそうでないかも、やっぱりそれは過去になんらかの原因で精神的にダメージが大きいかそうでないか違ってくると思いますよ。 文章を読んでみる限りでは、4997035231さんは人間不信だとは思いません。人を100%信じられないからといって、それが完全に人間不信であるかというとそうじゃないと思いますからね。

noname#14186
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。そして遅くなって申し訳ないです。 おっしゃる通り、過去に裏切られてりはしていません。ただ、小学校の頃から小さい裏切り(秘密をばらされたり)があったときに自分で分析して、次はどうするか考えてきたのが癖になって今に至っているのではないかと思っています。 私の周りに人間不信の人はいませんが、言葉の裏にある嘘の意味を考えなければなりませんね。 ここで皆さんの意見を聞いて良かったです。私一人では考えが偏ったままでした。この場を借りて再度お礼させていただきます。本当にありがとうございました。

noname#12377
noname#12377
回答No.3

私にもあります。 つい相手の言葉の裏を考えてしまいます。 「今度みんなでランチに行こうよ」と言われると、素直に私とランチしたい訳ではなく、その他の友人を呼んで4~5人でランチをするきっかけにしたいんだろうなと思います。 例え話のあなたが「遅れて本当にごめん」と謝って相手が「気にしないで。」と言ったとしたら、その言葉はやはり本心ではない場合が多いと思います。その場では気にしなくてもいいかもしれませんが、いつかそのお返しをしないといけないと思います。(次に友人が遅刻してきたら、あっさり許すなど) 「気にしないで」を間に受けてすっかり忘れたら、そのうちに友達がいなくなると思います。 人の言葉の意味というより、義理や人情の問題のようにも思えます。 「本当かな?」と思うことは大切なことだと思います。 相手を気使うためにも必要だと思うからです。 本心ではないけど、相手の為に言った言葉かどうか、見抜ける人と見抜けない人がいます。 あなたは多分見抜ける人だと思います。 なぜなら、いつも「本当かな」と相手の顔色を見て考えているからです。 考えるのは少ししんどいけど、私もいつも考えて行動しています。 それでいいと思っています。 他にも相手が忙しいときに電話をしてしまったとする。「ごめんね。今忙しい?」と聞くと「大丈夫だよ。」と言われたらとする。でも、多分「大丈夫だよ。」は嘘です。ほんとに大丈夫なら「ううん。忙しくない。」と言うと思います。 「気にしないで」や「大丈夫よ」という言葉には、わりと「実はそうでもない」場合が多いと経験上思います。 でも、気を使ってくれる相手には、相手も気を使ってくれるものです。 あなたは人間不信ではないと思います。

noname#14186
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。そして遅れてすいません。 相手の言葉を真に受けるのが良いとは限らないんですね。それが相手を気遣うということになるんであったら、むしろ良いことと言うのは考えていませんでした。 参考になりました。 裏を考えることは、相手を気遣うための重要な行為だったんですね。

回答No.2

信じる、という日本語には二つの意味があります。 一つ目は、いろいろないろいろなファクターを調べ、それを計算することで、直接知ることが出来ないことを推測し、それを信じる、という場合です。 推理小説の中で探偵が犯人を捜すときのように、丹念に手がかりを集め、それらの手がかりが全て矛盾しない犯行状況を、あるいは真犯人を推理して、それを信じるのです。 例えば待ち合わせに遅れて「ごめん」と謝り、相手がその謝罪を「いいよー」と言って受け入れたとき、その表情や言葉の持つニュアンス、あるいはその人の過去の気の長さ、最近立て続けに待ち合わせに遅刻をしていないかどうか、その日の予定の密度や緊急さや重大さ、等を計算し、それが本当かどうかを推理します。全ての手がかりが矛盾なく「気軽に謝罪を受け入れた」という状況を支持したとき、初めてその人の謝罪を信じることが出来る、ということです。 しかし、往々にしてそういうことはありません。「今、ちょっと顔が真剣じゃなかったかしら」「こないだ遅刻したばかりなのに、どうして怒ってないのかしら」「急がないと映画が始まっちゃう時間だし、きっと彼女は焦っているはず」など、少しでも気軽に謝罪を受け入れたという状況と矛盾する手がかりがあると、真犯人を見つけられなかった探偵のように狼狽し、その状況を信じることが出来なくなります。これが、もしかするとあなたの陥りやすい事態なのではないでしょうか。 信じるという言葉のもう一つの意味は、相手を信用する、という意味です。これは、手がかりを調べて推理するというやり方とは正反対と言ってもいいでしょう。例えば浮気を調べるのに相手の携帯を盗み見るという人がいますが、それは一つめのやり方です。二つめの「信じる」は、携帯を盗み見ることなく無条件で相手を信じること。なぜそんなことを出来るかと言えば、相手との間に信頼関係が存在するからです。 手がかりを集めて推理するというのは合理的な行動です。それに比べると、相手との信頼関係というのはとても非合理なことに思えるでしょう。だから、その信頼関係はひどく裏切られることがあります。それでも、人間は時として人を信用し、信頼します。なぜでしょうね。私にもよくわかりませんが、人間というのは非合理な生き物だからとしか最後には説明できないのかも知れません。 あなたは、とても合理的な人だと思います。手がかりを集め推理することにとても慣れているように思えます。また、手がかりが得られないような状況になると、誰かに裏切られる可能性があるということもちゃんと理解されています。その意味においては、確かにあなたは人間不信ではない。 しかし、それは世の中の唯一無二な正解ではありません。信じるという言葉に二面性があるように、あなたと違った考え方で生きている人も多いのです。 あなたが心底人を信じて生きていくべきかどうかは私には何とも言えません。正解は一つではないのだから、そこから先はあなたの選択です。自信を持って(これは、きっと非合理の領域でしょう)、あなたの決めたやり方で歩んでいってください。

noname#14186
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。そして遅くなってすいません。 信じると言う言葉の二つの意味にすごく納得しました。確かに私は、遅れて気にしないはずがないと思って、疑ってしまいます。 非合理な物事を受け入れて、人間を信じたいです。ゆっくり歩んでいきます。

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