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「空気を読む」ってそんなに悪い言葉ですか?
KY(空気が読めない)という言葉が出てきて、 テレビなどでも芸人さんが「空気を読む」という言葉をよく使ってます。 「空気を読む」という言葉が世間でも使われています。 私自身、空気を読むのはとても大事だと思ってます。 しかし、「空気を読む」「空気を読め」という言葉が嫌いだという方もおられます。 なぜでしょうか?そんなに悪い言葉なんでしょうか? 空気を読むというのはつまり相手に対する気配りや配慮を心がけるという事だと思うんですよ。 長いものには巻かれろという言葉があるように 「この状況では自分が主張せずに相手を立てる それが相手を傷つけずに角が立たない合理的なやり方」 そう考えることは私自身とても重要だと考えます。 なんでも欧米みたいに白黒はっきり付けたら良いという物でもないと思います。 白にもならない黒にもならないグレーがあっても良いと思います。 なんでも自分の感情の赴くままにやっていると傷つく人も出てくるだろうし。 空気が読めないというのは、デリカシーがないのと同類のような気もします。 例えば飲み会などで楽しい話で盛り上がってる時に、 1人が「最近、実は大事に飼ってたペットが死んだんだよね」と言えば その場が盛り下がりますよね。 この場で言わなくてもいいやんと思いませんか? 「子供はまだ出来ないの?」と聞いてその人が不妊治療を受けてる人だったらどう思うのでしょうか? 私には空気を読むというのは状況を察して、相手に対する気配りや配慮をするということでとても重要なことのように思います。
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>その場が盛り下がりますよね。 >この場で言わなくてもいいやんと思いませんか? >「子供はまだ出来ないの?」と聞いてその人が不妊治療を受けてる人だったらどう思うのでしょうか? あとこれ。言ってる事は賛成なんですが、 あまり強く出るというか妙に非難的なタイプは、空気は読めても同じくデリカシーがかけてると思う。 質問者さんはそういう人じゃないと思うけど。
- JT190
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「空気を読め!」と口に出すことは、どう考えても「無礼極まりない行為」です。 ・・・ですから、相手に間違ってもそう言わせないように「自ら」空気を読むことが重要なのです。 空気読めない人も(十分)ダメですが、「空気読め!」と口に出す人の方がもっとダメです。(だから、自虐を良しとするお笑いのネタとしてはちょうど良い)
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空気を読むのは良いことですし、空気を読める方は素晴らしいと思います。 しかし、空気を読めない事を非難したり、空気を読めと命令調で言われたりするのは嫌です。 空気が読めるのであれば、そこに空気が読めない人がいる状況を的確に判断して、空気が読めない人に配慮すればいいんじゃないかと思います。 なお、デリカシーのない人には(本当にこういう人は嫌ですが)、はっきり、デリカシーがないと言いたいですね、空気読めだと、何も伝わらない気がします。
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空気が読める人になるには、一番必要とすることは、能力の問題でしょう。 若者言葉や流行語に弱い中年以降の世代でも、「KY」という言葉はご存じでしょう。念のために説明すると、KYとは「空気(K)読めない(Y)」の略です。その場の空気が読めず、周囲から浮いてしまうことを言います。 周囲には、そんな人がいます。暗黙の了解で悪い冗談を言い合っているのに、一人だけ大真面目に「そういう冗談は良くないと思うよ」と言い出したり、逆にシリアスな場面でやたらと茶化したり、飲み会で「そろそろお開き・・・・・」というムードが漂っているにもかかわらず、平気で「生ビールおかわり!」と言い出す人もいるわけです。 そんなときに、「空気の読めない奴だ」いかにも「KYだよね~」といわれそうなタイプですが、そうした人は「セルフモニタリング」のモニタリング傾向が低い人だと言われています。 セルフモニタリングとは、マーク・スナイダーが提唱した概念で、自分自身の現在の状況を観察したり、評価したり、コントロールしたりすることを言います。 そのセルフモニタリングの能力の高い人は、自分の置かれた状況や立場をすばやく把握して、どのような場面にも臨機応変に対応します。たとえば、本当ははしゃぎたくても、状況に応じてセーブしたり、逆に退屈していても、興味があるようにふるまったりします。 よく言えば、集団に溶け込みやすく、人当たりもいいタイプとなるが、悪く言えば、腹の中と言動が一致していないタイプで、二枚舌を使う人もなかにはいるでしょう。 一方、セルフモニタリングの能力の低い人は、周りの状況に余り関心がないタイプです。場の空気よりも、自分の感情中心に動くため、暗黙の了解で成り立っている集団のルールからはずれやすいということです。その結果、集団の誰かと衝突したり、一人だけ浮いた存在になって、「あいつは空気の読めない奴(KY)だよね」といわれるわけです。 しかし、裏を返せば、そういう人は表裏のない正直な人ともいえますので、KYといわれる人に、腹黒い悪人はいないと言っていいかもしれません。 つまり、「空気が読める人」になるには、一番必要なことは、能力の違いだということです。その反対の人は、自己愛性人格障害だと言ってます。
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- rocknrose
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状況によると思います。私思うに「周りの人に気遣って不快な思いをさせない」コトでしょう。質問者様の仰る通りだと思います。 大勢の前で誰かに「空気読めよ。」って命令口調の上目線の人が嫌ですね。オレ様っぽくて。命令する態度が誰かを責めているようで、この人こそ空気読めてないって思いますよ。場が緊張する。自分がメジャーだって、宣言しているみたい。 知らない状況に入った新しい人に「空気読め」って難しいです。何か、当然のコトとして知っていないといけない。教えてもいない状況を、理解できる人は稀ですから。例えば、外国人の笑いのツボと、日本人のそれとは違いますよね。感性とか違うから。でも笑わないと日本だと「空気読めない人」になってしまいそうです。 確かに、皆が幸せ気分でいるトコを水を差すような発言、行動やその逆もまずいです。共通認識が出来易いならいいですが、出来ないデリケートな部分、人の価値観などに触る部分に使う人のほうが「デリカシーが無い、想像力が無い、寛容さが無い。」って思いますね。こういう人って、人の話聞けないんですよ。 一方で、単なる多勢に無勢な場合もあります。誰かをあざ笑う為にやられキャラにしたい時とか使う人もいるので、そう言う人の言動の方が、回りは内心、ハラハラしたり、イヤな気分になっている事もあります。そっちの方が空気読んでないのでは?結構、言われた方は理由が納得できないときは落ち込んでいたりして、「パズレ」目的で使っている人はいるってありますから。力関係の確認目的かなって感じることもあります。
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空気を読むこと自体は気配りとして良いと思いますよ。 「場の空気を読め」に凝り固まり、却って気配り・配慮が出来なくなってしまうような状況だと問題になると思います。 これまで見てきたのですが、 「デリカシー無いなあ」と言いながら相手との考え方の違いや相手の気配りについて想像を巡らすような繊細さの無い人、 「人には感情がある、空気を読んだ発言をしない奴は、、」と言いながらも、空気を読めない人間はどうたらと容赦ない一方的な非難をする人。 こういう人がいました。
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- blue79blue
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質問者さまの考え方は間違っていないと思います。 私も「空気を読む」ことは大事だと思いますし、その言葉を使うこともあります。 今まで表現のしようがなかった状況でも「まさに空気を読む場面だ」と実感したこともあります。 ですが、好ましく思えない使い方もたびたび見かけます。 新語というか、流行語ですから、むやみやたらに使われているのを聞くと、同じ言葉でかえしてやりたくもなります。 空気を読む・読まないという行動が最近注目されているわけではなく、ただそれを表現する言葉が増えただけ。 察する・場を乱す・場を読む・気配り・・・あるいはまさに、言葉を交わさず「空気感」で理解し合う。 流行語のようにおもしろおかしく使い続けていると、「やばい」のように意味が成り立たなくなってしまうのです。 (元は「危険」などの意味だったのが一部で「良い」をあらわすようになった) さらにはその意味の変わってしまった言葉を理解しあえる仲間内での合言葉のようにして、 瞬時に相性があうかどうかを見極めたりすることにも用いられたりすることがあります。 そうなってくると、せっかくの日本語が死語に追いやられることになり、 今まさに表題の言葉が死語の有力候補になっているので、出番を減らしてやりたくもなるのです。 本当に大事なことは、空気を読む・読まないという言葉の良し悪しではなく、 その「読み」が適切かどうかを言葉を使わずに「空気」だけで察することができるような気配りを持つことですね。
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私自身、KYと結構言われる立場で理由を聞くと結構納得して今後同じ間違いをしないよう心がけているので質問者さんの考えにほぼ同意します。 家族カラオケに行ったときに配偶者、息子2人はコナン君ソングで繋いでいたのに一人だけ気づかずに浜省を入れてしまい反省した経験が最近もありました。^^; 一番きつかったのは女性と食事をしていて子ども時代にやっちゃった悪い事話で盛り上がっている時にある女性が「火遊びしてて小屋を全焼させた事ある。」と言い出し「おぉ、それは凄いな。」と更に盛り上がりかけたところで彼女は満面の笑みで「それで妹が死んじゃった。」・・・。 これは無理!! 二度とお会いする事もありませんでしたね。
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- LTCM1998
- ベストアンサー率31% (238/746)
「空気を読む」のと、相手に対する気配りは違うと思います。 「空気を読む」というのは、その場にいる人の、表面的な気持ちへの迎合にすぎません。 >「子供はまだ出来ないの?」と聞いてその人が不妊治療を受けてる人だったらどう思うのでしょうか? 普通はそう思いますよね? ところが、「空気を読む」人たちは、むしろ逆です。 その例でいえば、Aさんに赤ちゃんが生まれた、という話で「赤ちゃんかわいいよね」と盛り上がる。それは結構なのですが、そのときに不妊治療を必死にしているBさんについては考えないのが「空気を読む」人たちです。それどころか、「Bさんもそろそろ子ども作ればいいのにね」と言い放ってしまうような人が多くみられます。 もしBさんが思い余って「私だって努力してるんだよ」と言い返すと、そこで「逆切れ」とか「Bさんって空気読めないのね」と決め付ける。このスタイルが「空気を読む」の本性です。 なぜこうなるか、その理由は、「空気」という言葉に象徴されているように、責任の所在が希薄だからです。 たとえ人を傷つけても、直接の加害者は「空気」になってしまう。「変な空気にしてゴメン」とは言うけれど、「私の言動が悪かった」とは言わずにすむ。 気配りや配慮は、人間社会では当然のことで、日本に限ったことではありません。そこを日米比較しても始まらないでしょう。 問題は、責任を負わなければならない決断や判断、さらには日常の言動について、長いものに巻かれるのでいいのかということです。 まず個人としての信念をもった上で、他者への配慮や気配りをすべきで、信念までもが周囲の空気で揺らぐのでは本末転倒だと思います。
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- kabo-cha
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空気という曖昧なシロモノで、仲間はずれを作ったり、過剰な身内意識を植え付けたり、空気を読めない人をいたずらに蔑むことが起こるからです。 あるグループやコミュニティに新しいメンバーが入ったとき、彼の発言に対して「空気読め」と言ってしまえば、その新入りメンバーはもう口を開くことができません。自分にとって気に食わない他所者を排除するのにとても有効なわけです。あるいは女子高生が「オッサンKYだね」と言って中年男性を馬鹿にするといったことも考えられます。 空気を読むというのはそういう意味合いがあると思います。 質問者様が仰る肯定的な意味での「空気を読む」は、「TPOに合わせた行動をする」「配慮する」などという日本語に置き換えられるもので、そういう意味での「空気を読む」は大切なことだと思います。 過激な意見としては、国民が「空気を読む」ことに過敏になりすぎると、自己主張を殺して場の雰囲気にずるずると流される、とくに長いものに巻かれすぎることになる。これが政府や軍部の暴走を許す原因になるのではないか、という考え方もあります。
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