単に、陸軍の作戦ではそういう場面がなかったということではないでしょうか。
ミッドウェーとか、レイテでは、あるまとまった軍団どうしが、正面きってぶつかる、という状況ですが、陸軍の作戦でそういうのはなくなっているのではないかという感じがします。第一次大戦あたりから、そういうのはなくなっているんじゃないでしょうか。
陸軍の作戦でも、一人の指揮官に率いられた軍団同士がぶつかる会戦方式ならいくらでもイフが考えられるでしょう?
実際、アウステルリッツ三帝会戦なんかイフを考えるもの面白そうです。
古代のカンネーの戦いとか、アレシアの戦いとか、もしハンニバルやカエサルが、ちょっとしくじったらどうなっちゃたんだろう、と考えるのも興味深いです。
第二次世界大戦では、そういう会戦方式がほとんどないでしょう?激戦というと、拠点攻略作戦が殆どであるような気がします。スターリングラード攻防戦とか、モンテカッシーノの戦いとか、ノルマンディー作戦とか、マーケットガーデン作戦とか、そこに敵がいて準備を整えている、攻撃するほうも準備して攻撃する、ということになるわけで、偶然の入る余地は殆どないと考えられるわけです。
何で失敗したのか、というと、そもそも攻略拠点をまちがえたとか、準備が整っていなかった、とかそういうことになるわけです。映画「遠すぎた橋」みても分かります。個々の場面でいろいろドラマチックな場面はあるのですが、結局は「遠すぎた橋だったんだ」で総括できるわけです。
インパール作戦だって、個々の場面が大局を決したわけじゃなくて、そもそも構想に無理があったわけでしょう?
ガダルカナルもそう。水陸連携するという新しい方法を実行し、高度に機械化され、大量の兵力を抱えている陣地に、気合で抜こうったってそれは、"そもそもなんか違うんじゃないの"ということになるじゃないですか。
もうひとついえるのは、相手の戦力を殲滅することを目的にすると、会戦方式になって、後から見るとイフを考えるよちが多くなるんじゃないですかね。
ミッドウェーはそうでしょう?もともとは、米機動部隊をつり出して殲滅するのが目的だったわけですよね。レイテだって、栗田艦隊はレイテに突入するより、米艦隊を求めて反転したんだっていう説がありますよね。
陸軍の作戦でも、バルジの戦いは連合軍の戦力を殲滅するのが目的だったわけで、アンデルヌを攻略する目的ではなかったわけです。映画「バルジ大作戦」を見れば分かりますが、これはいろんなイフを考えることができます。
思いつくままに、雑多に書いてみましたが、どうおもわれます?