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なぜ人はたてまえを大事にするのか?
- 「人の命は地球より重い」は奇麗事のたてまえではないのか?
- 刑務所の受刑者が選挙の制限に関して訴訟をおこなうことについて
- 人はたてまえをいい奇麗事を好むのはなぜなのか?
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>なぜ人はたてまえを大事にするのか? というよりも日本人は・・・という方がより適切かもしれませんね。 たてまえというものの現状は皆さんが仰ったり、質問者さまが仰る様な事かとは思いますが、僕は悟りの観点から観たたてまえについて少々触れてみたいとございます。 たてまえとは、悟った人が行うコミュニケーションの一種でございます。 悟った人から見ますときには、言葉や表情には何の真実も真理も無いと見るんですね。「言葉や笑顔だから、こうである」といった様な因果には束縛されないのが悟りでございます。全ての因果から自由なんですね。 だから、こういう言葉によって、こんな表情によって、そんな行動によって、何かがどう・・・という事はありません。 だけど、普通人間は生きていく上でこれとは全く逆でございますよね? 言葉によって情報伝達が起きますし、表情・行動によって考えや感情がそこに込められていると思っております。コミュニケーションは常に成り立っているって思ってしまうんですね。 常にコミュニケーションは成り立っているというのを土台にするのが悟りを得ていない人間でございますが、悟りを得ている存在からはコミュニケーションは一回も成り立った験しがございません。 この事をよく分かっている人が、その事を何とか伝達しようとしてやるのが建前でございます。 真実はそこには無いのだけれども、前にそれを建てる事で錯覚を演じる、バブルを演じる・・・「本当は、誰もが皆、それをやってるじゃんよ?」っていいう事を伝えたい悟った人の悟りを伝達しようとする愛でもあります。 つまり、建前にだまされるのではなく本当の心は何?真実は何だ?というのを探る様にさせているのが建前でもあり、日本独特のコミュニケーション文化でございます。 これは、サムライの心、サムライの精神や、わびさび美学にも通ずる素晴らしき文化であり文明です。 そうした悟りや真実の事を分かりながら建前をする段階が形式化、形骸化されてしまって、中身のない(悟りのない)空っぽの建前だけが残っているという事でございますね。 ですが、僕はそれが日本独特のコミュニケーション文化として残っている事には誇りを感じております。日本、この国は、国全体レベルとして悟りを得る事が可能である事を示唆している様に思えてならないからです。 建前とは、そうした悟りが文化化されたコミュニケーションスタイルとして残っているものだと理解しております。
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- someone000024
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それを好む好まないは別として、 秩序を保つためには不可欠なのです。 秩序とは、理想形でもあります。 でも、人間や物事は放っておくとマイナスの方向に行きやすいので、 たてまえやきれいごとでも掲げてそこを目指さないと マイナスに流れやすいのだと思います。
- whiteocean
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他人によく思われたいからだと思います。 人は嘘を着飾って生きています。 そしてその着飾った嘘の綺麗さで判断されます。 また着飾った嘘は自分を守る防具にもなってるのではないでしょうか? 本音のみの社会になったら地獄だと思いますよ。
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