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どうしようもない相談事です。
初投稿失礼します。 他の方から見ればきっと、どうしようもない相談事なのです。 ですが、一人で考えても気持ちの持って行き方がわからず、こちらに相談させていただこうと考えた次第です。 相談ごとというのは、人間の死とどう向き合えばいいのか?ということです。 本来ならば自分自身で苦しみながらも答えを出すべき問題なのだと理解はしていますが、どうにも考えが行き詰ってしまいます 昨年の秋ごろから祖母が乳がんを患い、かなり危険な状態だということで、お見舞いに行きました。 祖母とは疎遠だったこともあり、新年の挨拶に行った時以来の面会でした。 両親から、祖母がどんな状態なのかは知らされていたので、自分なりに覚悟はしていましたが、痩せて、別人のような祖母を見て、心臓が凍るような錯覚を覚えました。 病床の死に近い人を見たのはこれが初めてでした。 私はそこにいることしかできませんでした。 死と近いところにいる人の傍にいることは、止まった時間の中でいろいろなことを考えたような気がするのに、一瞬の出来事であったかのようにも感じます。 何もすることができなかった私は無力な臆病者なのでしょう。 どうすることが正解なのか、わかりかねています。 声をかけて、目を合わせて、それでよかったのかもしれませんが。 私はちゃんと、祖母の今を受け止めることが出来ているのか自分のことなのに判断がつきません 祖母に会ったその後から、自分の身近にいる大切な人の死を考えるようになりました。 人が死ぬのは避けられないことだけれど、これからどのように生きたら受け入れることができるようになるのか。 なんで死ななければならないのか。 私も祖母のように、死ぬのだろうか。 ならば、老いる前に死んでしまうほうがよいのか 不安と恐怖で一杯でどうしようもないことをぐるぐる考えてしまいます。 私は今大学一年生で、試験も近く、やらなければいけない課題もたくさんあるのに、 どうしてもこういうことを考えてしまって、手が止まって、全然やるべきことができていません。 焦る気持ちだけがあって、やる気がそがれてしまいます。 自分が弱いからこうなるんだとわかっているのに、どうしてもできなくて、 勝手に現実から逃げてしまうみたいにしてしまいます。 どうしたら、割り切って前に進むことができますか? 死のような、どうしようもない悩みにぶち当たったとき、どうすれば元の生活に戻ることができますか? 祖母を親に持つ私の親のほうがつらいのだと感じ、友達に相談する話題でもないので、 一人でどうにかしようとしたのですが、どうしても難しそうだと思い、ここに書いてしまいました。 乱筆失礼しました。 御回答いただければ幸いです。
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- a_hona
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死ぬのは人だけではありません。 生物はもちろん、星でさえ死が来ます。 この世では、全て、生じたものは滅するのです。私も、あなたも。 それが道理というものです。 実に多くのものが生じては滅します。 永遠があるとするならば、その、生じたものは滅する、ということの繰り返しが世の中なのだということを理解し、それを修めれたことです。それは、永遠に尽きない知といえるものではないでしょうか。 そして、私は、その道理のままでいいと思っています。永遠に存在するものなど覚知を除いて他になく、苦しみも楽しみも共に流れ去ってゆく、だから静寂の中で清々しくいられる。 そういうものだと知ることで、人は死を克服出来るのだと思います。
- tomban
- ベストアンサー率26% (2616/9771)
いろいろと書こうとしたけど、今回はパス。 「人がきた道 通る道 いつか私も 進む道」 あなたも年老いれば、同じような身体を誰かに晒すのです。 今はどのような感想を持たれても構わないと思います。 あなたが「自分の番」が来て、身体を晒すようになったとき 「ああ、こういうことなんだな」というのは、必ずわかります。 だから今、答えを急いで出さなくていいんです。 壁にしなくたっていいんです。 忘れてしまえばいいのです。 「そんなこと」より、今のあなたにとってずっと大事なのは「近い将来」のことだと思います。 遠い将来のことを考えるのではなくて、近い未来のことに目を向けて下さい。
補足
ご回答ありがとうございます。回答者様の言葉には確信があって、子供の私には完全に納得することの出来ないことも、言葉だけは素直に受け入れることができそうです。確かに、遠くのことだけを考えてもつまづいてしまいますね…。最近は色んなことに失敗してしまいますが、失敗を繰り返さないためにも、目の前の日常もしっかり見据えていこうと思います。ありがとうございました
- まさしろ(@masasiro)
- ベストアンサー率35% (295/842)
死は目覚めである。 「私たちは今、「この」現実を真実だと思っているけれど、それは勘違いかもしれない。この現実こそが「夢」のようなものであって、死を境に私は本当に目覚めるのだ!」 これはトルストイの「戦争と平和」アンドレイが死ぬ間際に達した境地です。 人間の本性、人間が人間になる為にどうしても到達しなければならない境地があります。それは「本能」を凌駕して行くことです。理性的な新しい余地、余白を生み出して行くことです。 生命には本能があります。36億年、脈々と受け継がれて来た生き方の鎖です。人間は自らの本能ががんじがらめにしていた生き方の鎖を断ち切り、自由を得て、本能の領域を超えて行くことが出来るようになりました。 本能の機能は「生きる」ことを全力で支えることです。しかし、人間はその本能の領域から逸脱し、自らの本能に死を与えることが出来るようになりました。つまり、自分自身が自分の本能に対しての主人となったということです。 本能の領域から逸脱した人間は、自分自身の本能の命運を握ることとなりました。人間が獲得したその能力は、自分自身を殺してしまえるほどの恐ろしく強大な能力なのです。 「生きる為だけには生きない」という本能の領域を超える能力を貴方が意志するなら、この貴方の現実は悪夢のような真剣ごととなるでしょう。貴方が既に手にしている能力は、それほど強大な力です。と同時に、生きる為だけには生きなかった貴方にとっては、死は戯れのようなものとなるでしょう。 逆に、貴方が本能の奴隷となって生きた場合、貴方はただ生命を生きた「だけ」ということ以上のことは出来ないでしょう。生きることが戯れだった者にとって、死は絶望的な真剣ごとになるでしょう。 先に紹介したアンドレイは、自分の生命を精一杯「生きる為だけには生きない」生き方をしたことによって、自分が死ぬという重大事に際して「今、私は夢を見ていて、これからまた私は目覚めるところなんだ。これからまた私の本当の人生が始まるんだ」と、理性的なユーモアを持つことによって、最後まで自分自身の本能の主人であり続けました。 このことがとても重要です。死は「恐怖」でもありますが「欲求」でもあるのです。死が与えてくれる恐怖を受け入れなければ、何か生産的なことを生み出す「欲求」を持つことは出来ないのです。 死についても、とても複眼的な考え方が必要になるでしょう。これはその一例です。死が与えてくれている消極的なポジティブな側面(ややこしいですね)も徐々に認めて行かなければなりませんね(^-^)
補足
ご回答ありがとうございます。死が目覚めなのですか。目から鱗が落ちるような気がします。色々な意見、考え方に触れて色んな角度から、死ぬと言うことを見つめていこうと思いました。アンドレイの逸話(?)は初めて知りました。そういう考え方もあるのだと思うのと同時に、無限の考え方があるのだと思うと途方にくれてしまいそうです。自分なりの考えを長いときをかけて形作っていこうと思います。ありがとうございました
- cheory
- ベストアンサー率26% (38/141)
こんにちは。 質問者様は、聖書を読んだことがありますか? 聖書には、なぜ人が死ぬのか、死んだ後、人はどうなるのか、ということが書いてあります。 聖書は一人で読んでも意味が分からないことが多いいので、お近くの教会に行ってみてはいかがでしょうか。 牧師は親切に、人の死について、また死んだ後どうなるのか、ということを教えてくださると思います。 もし、教えてくださらなければ他の教会へ当たってみてください。 質問者様のを支配している心の思いが解決されますように、祈っています。
補足
ご回答ありがとうございます。小学校からキリスト教の学校に通っていたので聖書に触れる機会はとても多いと思います。大学のチャプレンの方など身近な方にも聞いてみようと思います。ありがとうございました
死への不安ってのはなくなりません。 だって、未知だから。 知っている人はこの世にひとりもいないから。 (死後の世界を語る人は怪しいです) 人は知らないことには不安があるものです。 そういえば、スティーブンジョブズが言ってたのは、 「死は人類最高の発明だ」だったかな。 詳しくはネットで調べてください。 要は死があるからこそ精一杯生きられるってことです。 無限に時間があったら、なまけるでしょ。 そこから偉大な進歩があるみたいなことだったかな。 ぼくも死についてはまったくわかりません。 でも、考えるクセは大事なんじゃないですか。 死生観を考えることは世の本質をつくうえで大事ですよ。 たとえば、メディアが宣伝してるようなものはくだらなく写るし、 部屋も片づくでしょう。 ほんとうに必要なモノなんてほとんどないし。 そういうムダが見えてきます。
補足
ご回答ありがとうございます。死の不安がなくならないものなら、不安とうまく付き合っていく方法を模索するべきなのかもしれない、と感じます。筋が通っていて、一つ一つ自分なりにですが納得することが出来ました。スティーブンジョブズの台詞は初耳でした。他の方の死生観にも触れながら、自分なりに深く考えて見ようと思います。 ありがとうございました
- nagaineko
- ベストアンサー率28% (563/1990)
>どうしたら、割り切って前に進むことができますか? 今のあなたには、割り切れませんよ。 なぜなら若いから。 >祖母を親に持つ私の親のほうがつらいのだと感じ それは、今のあなたの価値観での推測にすぎません。 おそらくあなたの親は、穏やかに受け入れています なぜなら、それだけ年齢を重ねているいからです。 小さな子供は、みんな、死を想像できないし、怖いと感じるでしょう。 しかし、年齢を重ねるにつれ、死が身近なものになるにつれ、 人は、それを受け入れられるようになります。 ほんと不思議だし、人間はほんとよくできているものだなと 感心させられます。 あなたは、今のあなたの感じ方で、死と向き合えば良いと思います。 思い悩めばよいと思います。 これは、時間が解決してくれる問題です。 若いあなたにはわからないかもしれませんが、 年齢を重ねた人間にはわかります。 私も若いころは、あなたと同じように悩んでいました。 答えは見つからなかった。 しかし、年をとって、自然に受け入れられるようになってきました。 大丈夫ですから。 安心して、今を謳歌すればよいのです。
補足
ご回答ありがとうございます。中身のつまった文章に、何故か妙に安心してしまいました。思い悩むことも多分大事なことだとおもいますが、思い悩むのと同じくらい今を生きることを楽しもうと思います。大丈夫だから、今を謳歌すれば良いというお言葉を受けて、少し前に進む気力がでてきたように感じます。ありがとうございました。
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
結構、真実は単純なんです。 「死後の世界はある。死んだら、生きているときの行いを判定され、地獄か天国に行く。だから、死んだあとも自分の記憶は残るし、祖母の魂も”あの世”で生き続ける」 ってことです。 そして、質問者さんが死を迎える直前、先に亡くなった祖母とか、両親の霊が、質問者さんを迎えに来られます。 判ってしまえば、そんなに怖くなくなると思いますよ。 >>死のような、どうしようもない悩みにぶち当たったとき、どうすれば元の生活に戻ることができますか? 真実を知ることです。現代人は、共産主義のプロパガンダに騙されて唯物主義になってしまいました。「この世が全て、死んだら何もない」なんてデタラメを信じています。 さしあたり、大きな書店にいって「永遠の生命の世界(人は死んだらどうなるか)」などを購入されて読まれてはどうでしょう?
補足
ご回答ありがとうございます。科学が進歩し、現実的な考えを求められる世の中のなかで回答者様考え方に触れ、とても新鮮に感じました。死んだらなにもないと言う考えがデタラメなのかは判断しかねますが、死後の世界があるとすれば私にとっては大きな救済になりそうです。書物も参考にさせていただこうと思います。ありがとうございました。
- fuukakou
- ベストアンサー率22% (200/870)
ちょっとズレた回答になると思います。 お婆様、最期の大仕事ですね。 家族や周りの人達に、老いるという事、病になるという事、死ぬという事、そこから導かれる、生きるという事 を教えるという大仕事です。 そして老いた者、病にある者の役目を全うしつつありますね。 もし、あなたがお婆様のように、子供がいて孫がいて、身近に死を知らない人もいる。その時誰もショックを受けたり、亡くなりつつあることに苦しんだりしなかったら、それはあなたにとって喜ばしい事ですか? ただ惑わせるよくないことですか? 何を求めたいですか? 私は 今、大役を担っているお婆様にあなたが応え、学んでいるのだと思います。 大いに悩むべきことだと思いますよ。 ただ、『ならば、老いる前に死んでしまうほうがよいのか』については、あなたがそれだけショックを受けてるのに、周りの方々に何を渡したいの?といった事も考えて欲しいと思います。 死が怖いのは、たぶん生きるものの本能。 完全に乗り越える事なんて不可能だと思う。 どうせいつか死ぬからどう生きたいか、どう思って死にたいかとかも考えてみてはいかがでしょうか? 死ぬことは生きる事とも、死にぎわにその人の生き様が見えるとも言いますから。 大いに悩んで学んでね。
補足
ご回答ありがとうございます。死ぬことも人間の大事な務めだということなのでしょうか。なにを求めたいのか、大いに迷ってもいいのだと教えていただいたので考えてみようと思います。回答者様の意見を頂いて、新たな視野が開けた気がします。自分なりに時間がかかるとは思いますが模索していこうと思います。貴重なご意見ありがとうございました。
- ecco
- ベストアンサー率23% (81/346)
お祖母様の姿を見て、とてもショックでいろいろ考えてしまったのだろうなと思いました。 私も、まさに死に向かっているとしか思えない親戚を、子供の時に見たことがあります。 普段だったら脳天気に励ます私でも、その時はその親戚を励ますもなにも、何にも言葉が浮かびませんでした。 お祖母様の姿がショックなのは分かりますが、 質問者様が怖いのは病気とかで苦しむことなのか、死後の世界(あるかないか分からないけれど)が怖いのか、 それとも誰かがまた死ぬことが怖いのか、 それともそれらいろいろが混乱して怖いのか、 どこが怖いのかがよく分かりませんでした。 もし死後の世界を怖がっているのだとしたら、その必要はないように思います。 ソクラテスでしたか、死ぬことを怖いと思わないって言ったのは。 死んだ後どうなるか分からないのに、怖がることに意味はないとか、そんなことを言っていたような・・・。 私だったら、毒を飲んだら苦しいのかな、それは怖いって思いますけど(笑)、 でも死んだ後のことは何にも分からないので、そこは怖くないです。 天国とか地獄とか考えても、なるようにしかならない、 今自分が、自分の思う正しい道を行けるように努力するだけじゃないか、そんな風に思っているので・・・。 死は避けられません。どんな生き物も。私が知る限りは(笑)。 逃げようのない現実です。 だから、人は宗教や哲学を求めるのかもしれませんが・・・。
補足
ご回答ありがとうございます。同じようなことを感じていらっしゃるかたがいらっしゃるのだとわかっただけでも少し気が楽になりました。死ぬこと事態も、病気で苦しむことも、全部怖いと思ってしまいます。何が一番怖いと感じているのかが、曖昧なのですが…。 死後の世界のお話を聞いて救われる気がしました。まだ、しばらくは引きずってしまいそうですが、結局は今を生きることが大事なのかなと思い直すことができそうな気がします。ありがとうございます
- limit3000
- ベストアンサー率0% (0/9)
生ある物は必ず死を迎える・・・ならば・・ ・・と 此処で 中断して あなたが もし 神を 信じる人なら この後の話は続くのだが 神など 居ない と 考えてるのなら これで終わり
補足
ご回答ありがとうございます。神はいないと考えていますけど、それで終わりになるものでしょうか?
補足
ご回答ありがとうございます。これから色々な経験を積みながら生きていくなかで、その道理をうけいれることができるようになれたら、と思いますが、今はまだ難しく感じてしまいます。全てを知ることができないにしても、断片的な知識を豊富に持つことで、死を克服することができればいいな、と思いました。ありがとうございました