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一緒に考えてほしい事があります。お付き合い願えれば、と思います。
- 一緒に考えるべき倫理的な問題として、ひとりの男性(女性)を愛することに対する倫理について検討しています。一夫多妻の制度や性愛の対象が1対1であることについて、倫理的な正しさがあるのか疑問を投げかけています。
- 相手を独占したいという気持ちを尊重することと、自分の愛した相手に他の人がいることを認めることのどちらが倫理的に正しいかについて、悩んでいると述べています。自身の意見を『己の欲せざる所、人に施すことなかれ』という孔子の言葉に基づいて考えています。
- 最後に、ひとりの男性(女性)を愛するということに対しては、中立の立場を取ることが真に倫理的だと考えていると述べています。意見交換をする際には屁理屈と思われることがあるかもしれないが、他の人の意見を聞きたいと述べています。
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>しかし。 次の点が、僕が本質的に解らなくなっている点なのですが、 そうした、相手を独占したいという気持ちを尊重する事が、倫理的に正しいとされる事なのか あるいは、自分の愛した相手に、自分以外にも愛する者が居たとしても、それを認めてあげる事が倫理的に正しいのか、どっちか解らなくなったんです。 倫理的というところが気になります。そもそも、倫理とは何ぞや?ですよね。すなわち、社会を維持するために、必要なおきてとでもいいましょうか? 今の日本では、社会を維持するためには、一夫一婦制度の方が多くの人がいいと思っているのでそうなっているだけの話です。倫理を重視するのなら、一夫多妻は日本では×です。 絶対的なものではないですが、多くの人がそれが社会を維持するのに必要と思っている以上、この規範に従わないと過酷な人生を送らなねばならない可能性が増大するということです。社会の規範を乱すものは、社会に対する敵対者でもあるからです。相応のペナルティーを覚悟しなくてはならないでしょう。 ちなみに、個人的には、一夫一婦制度は、多くの男性に家族を持てるチャンスを生んでくれるわけですから、家族の多様性、引いてはDNAの多様性を維持するものでもあります。そういう意味では能力のない人でも一定以上の生活ができるという社会制度を整えている社会では、合理性があります。 一方、能力のないものが生きていけない社会では、能力のある男に女性が多数という、一夫多妻制の方が子孫繁栄という点では合理性がなくもありません。 最後に、たったひとりの人を幸福にしてあげる幸せというのが本当の幸せのような気がしますし、人生のキャリアアップにはこちらの方がよほどためになると思います。逆説的ですが、意外と難しいのですよ。たったひとりを愛し続けるというのは。
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- jsapp
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こんばんは。 少しだけ書き込ませていただきます。 この問題って「倫理とは何か」になると思うのです。 倫理の本質は”相手の尊重”ではなく”他者との共存共栄”なのだろう、と私は考えます。 「倫理とは、他人とwin-winの関係を築くための社会規範である」 と定義するならば、 一夫一婦制を採用する社会において恋人の心変わりを認めることは、 「自分をないがしろにしている」 という点で非倫理的だと思います。
お礼
ありがとうございます
- 1192794
- ベストアンサー率21% (67/311)
一人を愛する事で満足出来る人… 何人も居ないと満足出来ない人… 倫理ではなく考え方や気持ちなんですよね。 恋人同士で片方が何人も付き合っていて、もう片方が浮気と思ったらいくら好きな気持ちがあっても浮気です。 一対一の付き合いの中で生まれた言葉が浮気なんじゃないでしょうか。 一夫多妻制の国でさえ一対一の結婚しか認め合っていない夫婦もいます。 複数の異性と付き合いたい人は付き合えば良いんです。 例え反対されても付き合えば良いんです。 ですが相手が納得するかしないかは別の問題です。
お礼
ありがとうございます
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