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裁判員に付きまして

30代の女性です。 何かと話題の裁判員に付きまして皆様のお考えをお聞かせください。 私は自らの判断が人の人生を左右する様なこの裁判員制度は、やはり疑問です。 しかし、知り合いの弁護士から裁判員を希望される方が意外と多いと聞かされ、とても驚いております。 回答者様の皆様は裁判員になられる事を希望されますか? ご回答を頂際に男性・女性の性別も御記載下さい。 宜しくお願い致します。

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  • sawai197
  • ベストアンサー率39% (164/415)
回答No.8

女性です。 >回答者様の皆様は裁判員になられる事を希望されますか? 揚げ足をとるつもりはないのですが、裁判員にもし選ばれてしまったら、「辞退理由」に該当しないかぎり辞退は不可能なんじゃないでしたっけ? つまりは「国民の義務」ですね。国家権力による強制な訳です。さて、「国民の三大義務」とは「教育」「勤労」「納税」であったはずですが、いつの間に増えたんですかね。「投票」だって権利であって義務ではないのに。これだけをとってもずいぶん横暴な法律です。 そんな訳で、もし裁判員に選ばれたら辞退理由に該当しない限り裁判員になるしかないでしょう。(私もそうします) しかし、質問の意図はおそらく「裁判員制度に対する賛否を問う」ということなのだと思います。その点について言うなら、裁判員制度には反対です。 過去の回答でもよくこの例えをしたのですが、医療業界が閉鎖社会だからといって、医師以外の人間にメスをもたせようと思いますか? 医療ミスが多発しているからといって、医師免許をもたない人間に手術されたいと思いますか? 医師と裁判員は違うというのであれば、裁判や法律を馬鹿にしていると思います。「量刑」には外科手術と同じくらい高度な専門知識と経験が必要なのではないでしょうか。 よく、「裁判員制度に反対」というと「自分が裁判員になりたくない・面倒だというわがまま」から反対しているように思われますが、違います。被害者や被告人(本当に加害者とは限らない)のことを思うからこそ、こんなバカバカしい「おままごと」のような制度に反対するのです。なんでランダムに選ばれた素人(「偶然」によって求刑が変わる可能性が高い)に自分の人生を決定されなくてはならないのですか。 「市民感覚」を判決に取り入れるとのことですが・・実際は、その「市民」とやらも、膨大な過去の資料を渡されて一夜漬けの勉強をして、「過去相当の求刑」に落ち着いているのが現状です。そして、たまに前例と異なる判決が出ると、裁判官があせって控訴を勧める・・・茶番ですね。「裁判は裁判員の意見だけで決定される訳ではないから心配しなくてもいい」という意見もあるようですが、だったらなおさら裁判員制度に意味はありません。税金の無駄使いです。 まあ、芸能レポーターよろしく他人の人生を覗き見することに喜びを感じたり、キラ様(笑)きどりで被告人に死刑を言い渡したくてたまらない人がいてもおかしくないだろう、ということも理解できなくはないです。

noname#129277
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その他の回答 (7)

  • AGLAIA
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回答No.7

30代男性。 相当精神的にキツいと思われるので積極的にやりたくはないが、 順番が回ってくるのならまっとうする、つもりです。 提示されたあらゆる証拠などを客観的に比較して、自分が今までの人生と他人との接触の中で培った「社会的常識」で罪なのかどうか、を判断することなら覚悟を持ってできそうですが、 その提示された証拠が偏ったもの、などで、結果冤罪とか、あとになって新事実が出た、などがもし起こったらもしかしたら立ち直れないくらいショックを受けるかもしれません。 他人に対して死刑など命にかかわる判断をして良心の呵責はどうなのか?ですが、 これは自分の大事な人間が被害者だったら、という見方で判断するべきかと思っています。

noname#129277
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  • localtombi
  • ベストアンサー率24% (2911/11790)
回答No.6

裁判員になることはいいと思いますが、そもそもが裁判官の固定観念に限界があっての制度かと思います。 もっと市民感覚の判決があってしかるべきという法曹界の反省に立った制度だと思いますから、これはこれで意義のあることと感じます。 >私は自らの判断が人の人生を左右する様なこの裁判員制度は、やはり疑問 これで感じるのは、先の歌舞伎町マージャン店経営者らを殺害した事案において、裁判員制度初となる死刑判決が下されました。 その席で、裁判長が、“重大な判断になったので控訴を勧めたい”と異例の意見をしましたが、裁判長が裁判員を慮ってそんなことを言うくらいならば裁判員制度そのものをなくしてしまえ、と思いました。 もしそれがまかり通るならば、今後の一審での死刑判決は全て控訴を前提としものとなってしまう恐れがあります。 これは裁判員制度の是非以前に、制度そのものの空洞化を招くことになって危険な印象を持ちます。

noname#129277
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  • wa335
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回答No.5

男です >回答者様の皆様は裁判員になられる事を希望されますか? 希望されるというよりも、招待状が来れば応じます 希望という言葉は、「やってみたい」という積極的な意味合いが込められています 希望しないとい言葉は「やりたくない」という反対意見だと思います。 裁判員制度に対しての私の意見ですが 私は裁判員制度は賛成派です。だからと言って、積極的に希望したいという訳ではありません。 そもそも、裁判員制度が何故出来たのかという事を初心に帰って考えて欲しいですね プロに今まで任せていたが、あまりにも一般国民に理解出来ない判決が多数あり裁判員制度というものが出来たいきさつを考えて頂きたいですね。 主様は「私は自らの判断が人の人生を左右する様なこの裁判員制度は、やはり疑問です。」と書いていらしゃいますが、素人の意見が全部反映される訳ではないんですよ。 プロと素人の意見が中和された状態が、この裁判員制度なのです。 例えば、素人裁判員の全員が有罪判決を出しても、プロが一人も有罪判決を出さなければ無罪になるという事をご存知なのかな。 素人だけで独断と判決が決まる訳ではありません。 それと、仮に裁判員になりたくても、厳密な審査があるから、誰でもなれる訳ではないという事ですよ。何かここら辺を勘違いされてる方が多いような気がしました。

noname#129277
質問者

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  • hyakkinman
  • ベストアンサー率16% (738/4426)
回答No.4

「犯罪者を裁くことで悩む場に、一般市民を置くこと」には、反対です。 それより… 「国会議員制度」にして、自分の国に山積する諸問題(経済・教育・環境・福祉など)を、真剣に考える一般市民を増やしたほうがいいと思います。 いい加減な選挙をやっといて、 「誰がやっても同じ」って言ってる国民のほうが罪深いです。 もし、裁判員面接に呼ばれたら、 「私は、すべての殺人犯を死刑にする所存です。どんなに公判を重ねても、その気持ちは変わらないでしょう。殺意を持って尊い命を奪った者は、理由のいかんにかかわらず、すべて死刑とします。私の辞書に、無期懲役の文字はありません。」 と言うつもりです。

noname#129277
質問者

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  • tomban
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回答No.3

40代、男。 希望しません。 我々は「選挙」という形で、代表者を選出しているわけです。 この制度そのものは大変に理にかなったものであり「結果はどうあれ」不公平感というものは少なくて済んでいます。 「自分がやらなきゃいけないこと」というのは、選挙の投票でも十分です。 これは決して他人任せではないし、国政という最大の代表者機関に対しても挙手できるわけですから、日本という国は幸福な国であるといっても過言ではないでしょう。 素晴らしいことですよ。 しかし、いくら代表者機関であるからといっても間違いは起きます。 裁判員制度は、私は「間違い」と思っています。 法律家でもなんでもない一般の人間が、わかりにくく複雑な裁判の庭に放り出されるわけですから、いくら手取り足取りといっても、所詮は他人の広大な庭です、まともな判断が可能であるわけなど無い。 被害者の写真を見せられてのPTSDも言われています。 これでは「法律上で許される、第三者からの間接的暴力」でしかありません。 様々な物証を見せられ、硬直した思考のところで、さあ判断を?などというのは、正気の沙汰ではありません。 どう考えても納得できるものではないんです。 私はこれは「魔女裁判である」と思います。 現代の魔女裁判であると思います。 明らかな「過ち」です。

noname#129277
質問者

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  • cucumber-y
  • ベストアンサー率17% (1846/10420)
回答No.2

誰かがしなければならないことなら自分が率先してやれ。 父の言葉を大切にしているので私は希望します。 やらずに否定するのは家でTVを観ながら戦場の兵士に倫理を問うようなもの。 やってから悩み、考え、省みる方が多くなればなるほど裁判は人の心に近づくと思っています。 誰かさんたちだけが人の人生を左右する重責を背負い、自分は犯罪など関係の無い暮らしの中の「善人」だと安心していたいという思考も理解できなくは無いです。 【40代男性】

回答No.1

三十代男性、冤罪の被害者です 希望しません

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