- 締切済み
裁判官や検事について
「それでもわたしはやっていない」を見て,非常に不愉快で不信感を感じました。裁判所の官僚制度・検察官のどうしても有罪にするという見栄,公平であるべき裁判制度が出世や見栄のために無罪である人を有罪にする。確たる物的証拠がないにもかかわらず曖昧な状況証拠のみで裁判官の歪められた思想で人生を狂わされてしまう。こんなとがあっていいものか,裁判は人の一生を決めてしまう場であり,正しい証拠の積み重ねでその罪を罰せられなければならない。女性が弱い立場であるから?馬鹿を言ってはいけない,私の同僚も電車で痴漢行為をしたということで大変に苦労しました。その女はおかしな精神の持ち主で被害者意識が強く陥れようとする性格の持ち主であったようです。裁判官は神であるという弁護士がいますが,とんでもない考えです。所詮は人間,官僚主義にとらわれ,弱いものをあなずり,王法を恐れるただの臆病者です。冤罪に泣いているものが沢山いると思います。皆さんの忌憚のないご意見をいただきたいと思います。裁判員制度も実施されます。私たちがしっかりとした客観的な証拠の積み重ねで官僚主義に惑わされずに,正しいものは正しい,悪いものは悪いと言っていきたいと思っております。
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
みんなの回答
- toshi-tsugu
- ベストアンサー率23% (181/769)
回答No.3
お礼
回答ありがとうございました。一人の人間を裁くことのその結果の重大さを再認識していかなければならないのでしょうね。権威や地位や名誉や財を求める人には人を裁く権限はないと思います。悟ってもいないのに我賢しと思っている人は多いですね。王道でいくのか覇道でいくのか,陪審員制が実施されればよく見極めて真実を見抜く眼を養っていく義務が私たち一人一人に課せられた大きな使命になると思います。