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好き嫌いと善悪の違いを教えてください。
国が定める善悪は時代によって変わります。 殺人、差別、窃盗など罪の重さは時代によって異なります。 なぜならそれらは道徳で決まるのではなく、国益の最大化という 明確な目的により定められるものだからだと思います。 では社会的常識や法律とは別に人間の不変的な善悪というものは 存在するのでしょうか? 存在するのであれば、それは個人的な好き嫌いとどう違うのでしょうか? 皆さんの見解を教えてください。
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- OKWaveNo1(@OKWeveNo1)
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ハーバード白熱教室のようなテーマですね(笑)。 生来の本能的なという意味でしたら「不変的な善悪」はないと思います。 家庭や社会の基準で世情に合わせて善悪を子どもに教育します。 大なり小なり属する集団の最大利益を得ることが善悪基準なので、 家庭、国家、国際で基準は異なって当然です。 殺人は国内では犯罪でも、戦争では国家が正当化します。 個人的好き嫌いは、快いとか心地よいという後味を意識下で意識した 判断だと思います。後悔しない選択(=リスク回避)とも言えます。 小さなモノや赤ちゃんは危害が及ばないので可愛いんだと思います。 敗戦後、日本人の善悪基準は、損得勘定になったと感じてます。 これは憂うべきことだと思い、そうならないように気をつけてます。 私も無宗教ですが「神に恥じない」という価値観はある意味、 羨ましいと感じます。
- tajmahal22
- ベストアンサー率34% (346/1005)
絶対的な善悪などなく、全てなんらかの主観に基づき定義されています。 普遍的な価値観は存在しませんから、普遍的な善悪は存在しません。 善悪と好き嫌いの違いは簡単です。 善悪は他者との関係の中で生まれる相対的な価値観であり、 好き嫌いは自分だけで完結する絶対的・主体的・個人的な感覚です。
- black314159
- ベストアンサー率23% (16/68)
社会的常識や法律は、社会に属する様々な個人の利益を調整し、皆で暮らすためのものです。 そのために一般的に社会的善悪として、社会的に受け入れられるものを善、そうでないものを悪と定義していると思います。 逆に社会と無関係な人間の善悪を論じるためには社会に属さない人間の行動を基本に考えないと 善悪に社会の影響がどうしてもでてくるように思います。 結果として、私は人間個人だけの不変的善悪は今の私たちには定義できない、或いは各々が 自分で定義した善悪が全て=人の数だけ善悪がある、となると思います。 そして、社会的な善悪として相対的多数の個人に受け入れられる善悪を社会が定義しているのだと思います。 中世までの欧州の魔女狩りなどの歴史を見れば、善悪が時代や社会にとってどれだけ変わるかは歴然です。 個人的な好き嫌いと、前述した自分で定義する善悪には、基本的に違いはないと思いますが、好き嫌いと善悪とは、遵守義務において差がでますから、自分自身で能動的に守るべきと考えていることは善悪に、それほど守るべきとは考えていないものは好き嫌いに当たるのではないでしょうか。
こんばんは。 kokorobouzu8さんのご質問に対して回答させていただくのは これで2回目になりますね。 まず、今回のkokorobouzu8さんのご質問に対して 直接的な回答ではない事…お許しください。 しかし、回答になっていないわけではありませんので、 汲み取っていただければ有難いです。 簡単なことなのですが、『人為的なモノに完璧はない』と言う事が、 人類史上、全て(学問、技術、政治経済…言語、表現、…宗教)に言える事ではないでしょうか? 完璧ではないモノは、崩壊するか、または修繕、修復、訂正、加筆… 等が、その都度要求され、それに対峙し『時の最善』を選択しているよう思います。 『人為を含有する思考』も同様、完璧ではないのです。 それ故、試行錯誤を繰り返し、『こうしたら上手くいかなかった』、 では、『こうすれば上手くいくかもしれない』…と言う繰り返しが、 言うならば『進歩、進化』だと思います。 >国が定める~~、 とは言っても『時の人』が人為的に決めているモノです。 また、『善悪』も同様に、時代の世論の多数票が『一時的にそう形付け』を しているだけなのではないでしょうか・・・? >国益 何をもって『国益』としますか・・・? 対外貿易黒字でしょうか…?戦勝戦利ですか…? 国を構成しているのは何れの国をとっても『ひと』です。 人の欲するモノ…それは『安心』ではないでしょうか…? お金で買うことが出来ないモノが『安心』です。 安心=安定と言うことも出来ると思います。 各国が『不安定な状況』が現代です。 愛国心と言う名の下に、世界200ヶ国弱の国民が、 活性化し動き出したら、『混乱』しか生まれないでしょう。 ですから、各国民一人一人も『不安定』、安心ではない、 不安なのです。 不安定な中を、どうやり過ごすかは『視点…支点』を変えて、 『バランスを保つ、バランスをとる』以外には無いのです。 その『揺れが収まった時』、初めて『安定』そして安心となるのです。 最後に私の表現、また『言語』も人為的です。 従って『完璧ではない』旨、お許し願います。 それでは。
- kazukun-z
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不変的(絶対的)な善悪というものは存在しません。 善悪の定義は、常に相対的なものです。 善とは、他者に好都合をもたらすこと。 悪とは、他者に不都合をもたらすこと。 好きとは、自分にとって好都合なこと。 嫌いとは、自分にとって不都合なこと。 他者がどんな立場にいるかで善悪は入れ替わります。 自分がとんな立場にいるかで好き嫌いも入れ替わります。 例えば、 お年寄りに電車で席を譲るのは、たいていの場合、善ですが、 「俺はまだ若いつもりだったのに、じじい扱いされちまったか…。」 という場合、悪です。 人殺し(死刑を含む)は、たいていの場合、悪ですが、 殺された人を恨んでいたり、疎ましく思っている人にとっては善です。 子供手当ては、子供の多い世帯には善ですが、 子供がいない、もしくは一人っ子の世帯には悪です。 消費税を10%に増税(=法人税・所得税減税)は、 低所得者にとっては悪ですが、 資本家・高所得者にとっては善です。
- satori1016
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『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』 ロバート・フルガム/著 池 央耿/訳 これを一度、読んでみては如何でしょう??
- まつい たかあき(@mamitakun)
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kokorobouzu8さん、こんにちは。 善悪って難しいですね。 普遍的な善悪ってあるのでしょうかねぇ。 自分の生涯と次の世代ぐらい、150年くらいですかぇ。 「それくらいは変わらないだろう」と思える事かなぁ。 人間の生態も変わるかもしれないし、命のあり方も変わるかもしれないし、 個人的な好き嫌いはその人それぞれのかけがえのない考え方であって、 それぞれ尊重されるものかと思います。 それが、人間の個性でもあるかと思います。 善悪はなんでしょうかねぇ。 悪でもあり善、善でもあり悪、こういったことは沢山あるよなぁ。