• 締切済み

生きるとは ?

生きるとは? この答えに気付きました。 生きるとは不満、不安定なことだと。 人生で憂いや不安、心配などがないように行動してきたけどこれはかなわぬ期待であることでした。希望学校に合格、入社、人間関係などうまくいくようにいったとしてもまたそこで心配、不安、悩みなどがでてくる。 生きている間、人間関係をうまくやっていきたい、仕事を予定通りに行っていきたい、不満なく生活していきたい、希望通りに生活していたい。これらを解決する唯一の方法が分かりました。 自分が死ぬことですべては解決すると分かりました。ここから分かったことは生きることは常に不満、不安定であることが分かりました。今も生きている。この不安定から逃れたいと考えても死ぬ限りのがれられない。生きることは常に不満、不安定であることに気付いたら安らぎを得ました。 今は仕事、家庭、人間関係など周囲にはありますが生きることに気付いたことで楽に生活しています 。この考えがみなさまの参考になれば幸いです

みんなの回答

回答No.15

生きることの本当の意味を知るには人生の真理を知る必要があります。 今からお伝えする事は質問者さんの今後の人生にとって大変重要な事ですので、お心に留めて頂いて、質問者さんの今後の目標設定、人生計画を立てて頂ければ幸いです。 生きる意味を知り、人生に喜びを見出すには、根本的な人生観「人間とは何か?」、「神は何故宇宙や人間を創ったか?」、「人生と目的と使命とは何か?」を知る必要があります。 何故、神が宇宙や人間を創ったか? 神は自己実現の一環として芸術を創るような気持ちで宇宙や星々や人間を創りました。 そして、その宇宙を文明実験場として、人間の魂にこの世とあの世を何度も生まれ変わり、無限の向上を目指す中でユートピアを創る使命と自由を与えました。 何故、そのような事をする必要があったか?というと神は全知全能と言われるように完全無欠の存在ですから、そのままでは何の進歩も発展もない訳です しかし、あえて宇宙や人間を創り、無限の向上を目指させてユートピアを創る使命を与えて努力させる事によって自らの喜びとしようとしたのです。 人生の目的と使命 私は、死後の世界を実感として120%確信しているものとして、お伝えしますと死んで「無」にはなりません。 死後の世界は120%存在します。 質問者さんも死んだら魂として、あの世に帰り生き続けます。 そして、あの世で数百年過ごした後に、またこの世に生まれ変わって来ます。 人間の魂は、神仏に神仏の光から分光されて、神仏の光の分け御霊、神仏の光の子として創られて以来永遠の生命を与えられこの世とあの世を何度も生まれ変わり無限の向上を目指すとともに、この世の中を愛と優しさに満ちたユートピアする使命を与えられた存在です。 ですから、なぜ質問者さんは今生きているかというと自らの愛の器を大きくし、魂を神仏に近づかせていく中で神仏の光の子としてこの世の中を美しいユートピアにする使命を果たすために生きているわけです。 そして、質問者さん魂は死んであの世に帰ると照魔の鏡といって、映画館に行き質問者さんがこの世に生きている間に生まれてから死ぬまでに心の中で思った事と、行った事が全て上映されて、いかに神仏の子として、美しい心で他の人に優しくして生きたか?どれだこの世の中神仏の理想であるユートピアを実現する事に貢献したか?により質問者さんがあの世のどのような世界に行くかが決まります。 なので、美しい心でユートピア実現に貢献した人ほど死後天国の光輝く世界に帰れるといえます。 では、ユートピア実現に貢献する生き方とは何かと言いますと現在、上記の価値観を知らずに無軌道な人生を送ってしまい死後地獄に落ちてしまう人がたくさんいらっしゃいますが、神仏の目から見て、死後地獄に落ちてしまいそうな生き方をしている人に対して、死後の世界の真実を伝えて天国に帰れる生き方に導いてあげる事は最も尊い事と言われていますので日々の生活で縁あるたくさんの方々に上記の人生の目的と使命、死後の世界の真実をたくさんの方々に伝える生き方であるといえます。 なので、質問者さんも回答に納得がいったか分かりませんが、質問者さんもたくさんの知人友人にメールやネット媒体、口頭でokwaveでこんな事を言っていた人がいたよ。」と生きている目的と死後の世界の真実を伝えてあげて下さい。 上記の価値観が広まれば世の中は確実にユートピアになりますし、質問者さんの神仏の子としての徳が増し、魂の糧にもなります。 ちなみに、天使という存在がいますが一般的に生前無償の愛でもって1万人以上の方々の魂を救い地獄に落ちそうな方々にあの世の真実を伝えてあげて天国にかえれる生き方に導く事が出来た人は天使になれると言われていますので、質問者さんももし可能でしたら多くの方々を救うためにokwaveで上記の回答を様々な方々とシェアするなりして、お力お貸し頂ければ幸いです。 一見ユートピア実現というと難しい事のように思うかも知れませんが落ち着いて考えると例えば、質問者さんが上記の回答を10人の人とシェアしたり10人の知人友人に伝えて、さらにその10人に上記の真実を10人以上の方々に伝えるようにお願いして100人となり100人の人がまた 10人に伝えて、1000人、10000人、100000人の方々に伝えて…と人から人へと伝えていけば、あっという間に日本中全ての方々に上記の価値観が伝わり、世の中はユートピアになるわけです。 なので、質問者さんはが、今日から一念発起して上記の価値観を1日1日コツコツと伝えて、生きていけば、質問者さんも天使になれる可能性もあるわけです。 質問者さんも残りの人生を神仏の光の子としての使命に目覚めてユートピア実現の戦士となり愛と優しさに満ちた光の天使になる事を目指してはいかがでしょうか? 質問者さんの人生がさらに充実して下さる事を心から願います。

  • IXTYS
  • ベストアンサー率30% (965/3197)
回答No.14

> 生きることは常に不満、不安定であることに気付いたら安らぎを得ました。 こんにちは。 とても深い味わいのある文章を読ませて頂き、感謝します。 私は今年69才の男性です。  『生きることは旅すること。 終りのないこの道、、、』 美空ひばりさんの人生を歌ったようなこの『川の流れのように』の一節です。  生きている限り、絶えず不安や不満はあります。 だから生きていけるのではないでしょうか。 不満があるからそのけ欠けたるところを補おうと努力をする。 その懸命に生きる姿が他の人々に勇気を与えるのです。  不満や不安定は欠点ではありません。 それがあるから私達は努力をし、死ぬまで成長出来るのです。 死ぬ時が最高点なんて素晴らしい人生ではありませんか。  本当に良いコメントを寄せて下さってありがとうございました。 これからもお気づきの点を味わいのある文章で我々を楽しませて下さい。 

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.13

#10で回答した者です。お礼を読んで少し質問者さんの言わんとすることを解釈しきれていなかったと思ったのでそれを踏まえてもう一度。(個人的には、ここでは議論するつもりはないのであまり何度も回答はしないスタンスなのですが) 質問者サンの言う「生きることの不安」というものがあるのだとすれば、それは「ひとはいつか死ぬ=すなわち不可逆的な終結」が不可避であるということに起因するものに限るのだということでしょう。ゆえに人はいつかはわからないがある程度限られた「時間」という概念に縛られるようになり、その「限られた時間」の中でいかに後悔しないように「生きなければならない」と不安に駆られるということでしょう。 「生きる」という行為をただ漠然と、ただ「生きているもの」として、「限られたもの」という考えから逃れれば、「死」に焦ることもなく、不安がなくなるのかもしれません。それはある意味で死と生の超越した考え方でもあるわけで、本来の人間の在り方なのかもしれません。 海外のある有名人がお金持ちになってもっとも変わったことを聞かれたときに「お金について心配しなくて良くなった」ということを述べたと読んだことがあります。私のような一般人は死ぬまで「お金を稼いでいけるか」という不安と戦うのですが、それはある意味「人」が「いつ死ぬだろう」という不安を片隅に抱えながら時というものに駆られていることににているような気がします。つまり「死ぬ」ありきで人生をみれば、恐れるものは何もない、どう生きようが同じである、ということになります。 こういう考えの延長上に、「安楽死」の議論も実はあるのではないかと思ってます。誤解を恐れずに述べると、「人間は本来死ぬ」ということを根本的に考えれば、生まれることさえ選べませんが、人が自信の死をもってその人の「人生」が完成するといえるかもわかりません。だったら、「安楽死=自分が死ぬ時を選ぶ」という権利は、もしかしたらあり得るのではないかということにあるでしょう。これが、望めば無限に人が生きらるなら話は変わるのかもしれませんが、「いつかは死ぬ、あるいは死ななくてはならない」とするならば、自分の最高のときにそれを望む、それによってある意味「いつ死ぬのだろう」という恐怖から逃れることが可能となるのかもしれません。 ただ、不思議なのはなぜか世の中そういった安らぎを求めていないような点も見られるのですね。そもそも「資本主義」が社会で成立していることは、人々に競争やより上を目指すことへ導いているに他ならない。GDPが云々とかありますが、「日本はもう充分豊だからこれ以上成長しなくてよくないか?」という議論は成立しませんよね。なぜか「より良く」「より豊かに」を目指すような仕組みが世の中にできてしまっているのです。サイエンスの世界でもスポーツでも「不可能を可能にする」ことに意義を見出しているのだろうかと。苦しいけど、辛いけどなぜか、そういう安らぎって本当にひとは求めているのか、わからなくなるのはそのためでもあります。

  • ple6
  • ベストアンサー率63% (1286/2020)
回答No.12

お礼、ありがとうございました。 読ませていただいて根底の部分の考えに相違があることがわかりました。 totolololo様の考えは「生きると言うことは不満、不安定と言うことを意識しなさい」ということだけだったようですね。 現象に一喜一憂するのではなくそれをそのまま受け入れたら楽に「生きられる」ということに気が付いたということだけなのではないのですか? それはそれで一つの方便(悟り方)だと思います。 実際に動物たちは考えることも悩むこともないのはすべてをそのまま受け入れている(または受けざるおえない)からでしょう。 動物であるヒトもこのことを思い出せば楽に生きられると思います。 つまりtotolololo様のご意見は個人が「生きていく」ということに関しての気付きということなのでしょう。 前回私の書き込みとの間にあった相違はこの部分で、私は「生きている」のではなく「生かされている」という前提のもと書き込みをさせていただいたと言うことです。 人間は人の間で考えて行動することを与えられています なので何故「生かされて」いるのかを自分なりに考えて見ました。 生かされているから自分の役割を見つけて実行していきたいと思ったのです。 生かされているから感謝して周りに少しでも恩返しをしていきたいと思ったのです。 totolololo 様は生きているだけではないのですか? 人生が不満や不安定だと証明するために生まれてきたのですか? 不満や不安定もそこにあると思っているだけではないのですか? こちらも言葉足らずだとは思いますがtotolololo様の考えをお聞かせ願えますでしょうか? 今回もお読みくださりありがとうございました。

  • shizumo
  • ベストアンサー率12% (159/1285)
回答No.11

質問ではない。ここはあなたの意見を書いて同意を求める場所でもない。

  • larme001
  • ベストアンサー率44% (271/608)
回答No.10

わからないですが、不安っていうのは半分は期待の表れでもあると思うのは違いますか?期待の半分失敗したらどうしようかという不安があるわけです。経験の少ない、小さい子供だったら、そういう不安に押しつぶされてしまう可能性がある。大人はどう乗り越えるかというと、これまで成功や失敗してきた経験から、押しつぶされないだけの精神力や自分が超えられるという自信、あるいはどこまでなら自分がやっていけるのか、そういうことを学んでいるのでしょう。 どっかの本で読んだのですが、世の中でもっとも怖い存在というのは「死を覚悟した人」らしいです。 なぜかというと、死ぬことを恐れていないのでトンデモナイことをしたりすることにためらいがないから、です。後先考えないということがいかに恐ろしいかということです。いわゆる「自爆テロ」なんかは要するにそういうふうに感情を刷り込むことでにあるから怖いですよね。 生きることをあきらめた、すなわちそもそもの「希望」を否定することが、どれだけ「楽」なように見えても本質的な解決にはなってませんよね。だって、生きることって「希望」や「期待」を絶えず追う行為だと思うからです。ゆえに、死ぬことに「希望」を求めるのはおかしいということから目をそむけているだけです。

totolololo
質問者

お礼

返信ありがとうございます。 希望や期待を絶えず追う行為は生きる目的、生きる意味、いきがいだと考えます。生きることとまた違う内容と考えます。生きる目的、生きる意味をかんがえる前に生きることが前提条件にあると考えています。この違いが私にはわかり安らぎを得ています。 いかがですか?

  • ahawk
  • ベストアンサー率21% (7/33)
回答No.9

こういうのはどこかの学会(哲学とか)の学会員になってから、論文の形で提出し、審査してもらって、許可が出たら世間に出してください。

  • ple6
  • ベストアンサー率63% (1286/2020)
回答No.8

上手くまとまるかわかりませんが私なりの方便(まだ真理だとは思っていませんので)を書かせてもらっても良いでしょうか? totolololo様は死ぬことですべては解決すると書かれておりますがそれならば苦しんだり、悲しんだりしている人に 「死ぬことによって救われるのだから、今すぐここで死になさい」 と言えるのでしょうか? 「辛」に「一」の気付きがあれば「幸」になるとは思います。 ただ私にはtotolololo様の気付きが「一」になっていないような気がします。 確かに生きていくうえで不安や苦しみや悲しみの感情は起こるとは思います。 ただそのこともそのまま受け入れてしまえれば、その感情自体はなくなるのではないのでしょうか? その上でどのような選択をしていくかだと思います。 なので私は生きることとは「感謝」を知ることだと思っています。 周りの様々な事柄に「生かされていること」への恩返しをするために生きているのだと思います。 totolololo様のお考えをお聞かせいただけると幸いです。 ところで・・・・今回のtotolololo様の文章はどのような質問だったのでしょうか? 普通に読ませていただくとご自分の気づきの主張の文章ですよね? お読みくださりありがとうございました。

totolololo
質問者

お礼

死ぬことが幸福になるのではないです。 生きることは不安定、不満です。あきらめることが大事と考えます。この場合のあきらめるは諦めるではなく明らめることです。これは言葉でなく体験していくものと考えます。 また生きることは感謝については以下のように考えます。 感謝は生きることではなく生きる意味、生きる目的とまた違う内容と考えます。 生きることは生きる意味、目的の前提にあることと思います。 この違いに気付き安らぎをえることができました。 言葉不足していますが参考にして下さい。 

  • bari_saku
  • ベストアンサー率17% (1827/10268)
回答No.7

間違いではないと思いますが、極端では? 悪しきものがひとつでもあったら、心の平安が得られないのでしょうか。 この世はいいことも悪いこともたくさんあります。 全てをトータルで考えて、いいことが上回っていたらこの世は楽しいと思うのですが、この考え方はユルすぎるでしょうか?

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.6

> 生きることは常に不満、不安定であることに気付いたら安らぎを得ました。 一理はあると思います。 しかし「死」を「生」の言い訳や逃げ道の様に使っておられるので、肝心の「生」が消極的になってますせんか? 充実した「生」を得た結果、大いなる安らぎである「死」を得ると言う概念の方が良いと思います。 > これらを解決する唯一の方法が分かりました。 唯一ではないでしょう。 瞬時に数通りの他の解決策が思い浮かびます。 ・宗教的達観を得ること。 ・悔い無き人生を送ること。 ・無欲であること。 ・弁えること。 ・堪えること。 など。 長くなるので書きませんが、いずれも解決策に至ります。 単なるエントロピーの法則を説明しているだけの様でもあるし、葉隠などにも同じ様な言葉で、もっと上位の概念が書いてあります。 仏教では、悟りに至る前の仮の悟りを「方便」と言います。 質問者様の「悟り」は、人生への不安などを減少させるもので、有為ではありますが、人生に対する積極性を喚起するほどには至っていませんので、方便の域を出ていないと感じます。 お考えを更にもう一歩進めた所に、もっと良い解決策がある様に思います。

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