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生きるとは ?

生きるとは? この答えに気付きました。 生きるとは不満、不安定なことだと。 人生で憂いや不安、心配などがないように行動してきたけどこれはかなわぬ期待であることでした。希望学校に合格、入社、人間関係などうまくいくようにいったとしてもまたそこで心配、不安、悩みなどがでてくる。 生きている間、人間関係をうまくやっていきたい、仕事を予定通りに行っていきたい、不満なく生活していきたい、希望通りに生活していたい。これらを解決する唯一の方法が分かりました。 自分が死ぬことですべては解決すると分かりました。ここから分かったことは生きることは常に不満、不安定であることが分かりました。今も生きている。この不安定から逃れたいと考えても死ぬ限りのがれられない。生きることは常に不満、不安定であることに気付いたら安らぎを得ました。 今は仕事、家庭、人間関係など周囲にはありますが生きることに気付いたことで楽に生活しています 。この考えがみなさまの参考になれば幸いです

みんなの回答

  • ab655355
  • ベストアンサー率0% (0/8)
回答No.5

正にそれこそ真理でしょうね。 存在が無ければ悩むどころか、何も無いのだから、何も無いのです。 考える苦しみも無く、見ることも触れることも不要、否、出来ません。 無いのだから。 無いから希望も人の身であるからこその感動も喜びも無い、おいしいものを食べることも無い。 でも、人間いつかはそのときが訪れます。 そのときまでに色々しておこうと思うけど、死は思うとおりになりません。 事故や病気、犯罪に巻き込まれる等、望まぬときにも訪れる。 貴方はどこまでやれれば満足ですか。 こうしている間にも死は近づいてきているかもしれない。 生きるとはなんなのだろう。 僕の考えは、生物だから生きるです。 何も考えずに動き回る虫や微生物だって生物ゆえに生きるのです。 それはこの地球という星が退屈しないためのシステムだと思います。 地球に意思があるならば、他の星のように土くれや岩だらけの寂しい星にしたくなかったのだろうと思います。 例え人が争っても地球にとっては楽しいイベントなのかもしれません。 生き物を管理せずに好きにさせておけば、いつでも飽きずにすむでしょうからね。 地球とは賢い星でもあるのかもしれませんね。

  • blue-555
  • ベストアンサー率27% (162/589)
回答No.4

この世界に生きるすべての生物は不安定でしょう。 あなたが安定を望んでも、 自分の欲望を満たすために他人の安定を崩す人がいるのが1つ。 (嫌がらせ、理不尽な要求など) あと、人間そのものが不安定な存在なんですよ。 人間の心です。 目標、目的を持っていない人は常に不安定に曝される。 人生をドライブに例えると目的地(目標)が決まってなかったら どの道(どの方法)を通ればいいかもわからないから、ふらふらとしたドライブ(人生) を送ります。そして目的地(目標)が無いから不安になります。 目的地(ゴールを定めない)がないドライブ(人生)は人を不安にさせます。 何のために生きるかを考えることも目標がないからです。 こんなことを言うと「そんなことは無い、きちんと目標はある」と言われそうですが 一心不乱に目標に突き進んでいれば、「何のために生きる」かなんて考えないでしょう。 一心不乱・・・この言葉の通り、目標がしっかり定まってるからこそ心は強固になると思います。

  • Struggler
  • ベストアンサー率18% (97/527)
回答No.3

不満とは現実と欲望のギャップ 不安とは未経験なことに対する恐れ、想像です。 現実を受け入れず、勝手に妄想することは生きることの一部でしかないです。 人生一度ですから生きることの結論は死ぬときにご自身の中だけで出せばいいのではないでしょうか?

回答No.2

皆さん、悟られた様ですね 生きるとは息る(いきる)です 空気(酸素)を何時までも吸い続けれません 必ず反転して吐きます でも吐き続ける事も出来なく、又反転 それの繰り返しで生きて行けるのです そう思いませんか?

totolololo
質問者

お礼

ありがとうございます。 私は呼吸することはただ生きる道具、機能と考えています。生きる本質ではなくただ生きているための道具だけと考えています。

  • yoshua7
  • ベストアンサー率32% (63/192)
回答No.1

こんにちは。 生きるとは?人を「許す」ことではないでしょうか。  人と何かトラブルがあったあとに、相手の言葉や行動などが「許せない」と思ってしまう人がいます。「許せない」と思っていると、相手のことが嫌いになったり、相手を憎んだりしてしまうこともあります。  「許せない」という思いは、長く続きやすいでしょう。「許せる」か「忘れる」まで続いてしまいます。  それまでの間は、相手と接するたびに、相手のことを考えるたびに、イヤな気もちになってしまうことが多いでしょう。  「許せない」という人は、心のどこかに「許したい」もしくは「許せる自分でありたい」という思いがあるのではないでしょうか。  「許したいけど、許せない」という人もいます。  「許さなくてもいい」のではないでしょうか。  ただし、「こういう人もいる」という現実は受け入れたほうがいいでしょう。「許せない」という思いには、「こういう人がいるのも許せない」という意味も含まれているような気がします。  「こういう人もいる」と考えることで、少しは気もちもおさまると思います。  相手がふだんはいい人の場合には、この人にも「こういう時もある」もしくは「こういう所もある」と考えればいいでしょう。  「許せない」と思い続けるよりも、「こういう人もいる」「こういう時(所)もある」と考えたほうが、自分(の心)のためにいいのではないでしょうか

totolololo
質問者

お礼

ありがとうござます。許すことも大事ですね。 私は許すことは生きていく中の機能の一つと考えます。生きる土台の上にある機能の一つに許すことがあると考えます。人間関係などあらゆる事に許すという機能が生きる土台の上にあると思います。

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