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階層化が進んでいるとは
「日本は階層化が進んでいる」と言われますが、 その理由は何でしょうか? そして、今後進むであろう階層化に対して、どうしていけばいいのでしょうか? お願いします。
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- cse_ri2
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No.5の方の回答への補足です。 >#2ですが、ちょっと言葉が足りなかったようですね。 >私が指摘したいのは、 情報・ビジネススキルと言った >場合、単に情報やビジネスの方法論を「知っている」 >というだけでは先へ進めない、ということを言っている >のです。 >逆に言えば構造的に「先に進めない階層」が生まれて >いるということでもあるのです。 >企画力、営業力、専門性といったビジネススキルは、 >情報を把握・分析し、 自分の中で仮説を立て、現実の >ものにしていくことです。決して情報を把握したから >と言ってカタチにできるものではありません。 > >現在、階層化を語る場合、まさに事務系、営業系、 >専門職それぞれの中に階層が生まれているのはそのため >です。 ビジネスの現場で働くものとして、上記の内容は痛感して います。 正直なところ、バブル期以前に社会人になった世代(だいたい 40代以上)は、頭の中身が硬直化していて、変化の激しい 今の状況で役に立たない人が、かなりのウェイトを占めて います。 しかし会社の実権は彼らが握っているため、ビジネスのやり方 を変えなければいけないのに、なかなか変化しません。 今の日本の不況の根本原因は、この辺にあるのではないか と危惧しています。 (りそな銀行をはじめとする、銀行業界がよい例ではないでしょうか) 階層化というより、世代間の格差の方が深刻ではないかと 私は考えています。 >しかしながら今、手元に興味深い資料があります。 >総務庁が主宰する >「情報通信ソフト懇談会」の発表によると、デジタル >コンテンツや情報通信セキュリティーの分野で、現在 >約42万人の人材が不足しているということです。 >特にセキュリティーやLAN構築などの中級レベルの技術者 >不足が深刻だということです。 >(これについては総務庁のHPに発表済みです) > >これは何を意味するのか? そう、「プログラマーは >要らない」というあからさまな産業界のニーズです。 >逆に言えば、このように階層化は深刻である、 >ということの証左でもありましょう。 現役SEとして言わせてもらうと、だいたい事実です。 汎用機やオフコンのCOBOLプログラマは余っているのに、 ネットワーク技術者やオープン系のプログラマは不足気味です。 明らかにジェネレーションギャップが生じています。 またこれは同時に世代間の格差にもつながっています。 COBOLプログラマの大半が、私の知る限りは中年世代 でなのですが、既に彼らを必要とする仕事は激減しています。 しかし、そういう人たちに限って、新しい技術を身につけ ようという意欲が乏しいことが多く、またなかなか身につ けられない(実際、最新のオープンソフト技術はかなり難しい のですが)という現状があります。
- cse_ri2
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>「日本は階層化が進んでいる」と言われますが、 >その理由は何でしょうか? 戦後、バブルがはじけるまでの日本は、働いて実績をあげる 人も、働きながらあまり実績を出さない人も、年功序列の名の もとに、同じ程度の給料を貰っていました。 しかし今の不景気ではさすがにそれではやっていけないので、 よく働く人にはそれなりにプラスアルファの報酬を出す方向 に企業社会が向きつつあります。 賃金の悪平等が解消されつつあるので、賃金の平等だけを 気にする人からみれば、階層化が進んでいるように見える のでしょうね。 ただ私は、「結果の平等」から「機会の平等」へと変わって きているだけだと、判断しています。
こんにちは。 #2ですが、ちょっと言葉が足りなかったようですね。私が指摘したいのは、 情報・ビジネススキルと言った場合、単に情報やビジネスの方法論を「知っている」 というだけでは先へ進めない、ということを言っているのです。 逆に言えば構造的に「先に進めない階層」が生まれているということでもあるのです。 企画力、営業力、専門性といったビジネススキルは、情報を把握・分析し、 自分の中で仮説を立て、現実のものにしていくことです。決して情報を把握したから と言ってカタチにできるものではありません。 現在、階層化を語る場合、まさに事務系、営業系、専門職それぞれの中に 階層が生まれているのはそのためです。 ご指摘の「SEの疲弊」についてはすでに20年以上前からソフトウェア・クライシス、 プログラマー30歳定年説として語られてきました。そう、彼らは単純労働者のように 切り捨てられてきたのです。 しかしながら今、手元に興味深い資料があります。総務庁が主宰する 「情報通信ソフト懇談会」の発表によると、デジタルコンテンツや 情報通信セキュリティーの分野で、現在約42万人の人材が不足しているということです。 特にセキュリティーやLAN構築などの中級レベルの技術者不足が深刻だということです。 (これについては総務庁のHPに発表済みです) これは何を意味するのか? そう、「プログラマーは要らない」という あからさまな産業界のニーズです。逆に言えば、このように階層化は深刻である、 ということの証左でもありましょう。 しかしながら、(ここからは私見ですが)ローテクイコール時代遅れだとは 必ずしも言えないと思います。私はライターといういわば専門職ですが、 先日、とてもユニークな会社の社長さんを取材しました。非常に伸びている会社で 誰もが知っている会社です。 その社長さん曰く、 「私は個人的にもハイテクは嫌いだし、今後も手を染める気がない」 とのことでした。企業名を挙げるわけにはいきませんが、 とても感心して帰って来た次第です。そこにひとつの希望があると、私は信じています。
- kotiqsai
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村上龍「教育崩壊という嘘」に、日本は階層化社会に入っているという指摘があります。「勝ち組」と「負け組」という言い方が正鵠というべきで、アメリカ式大衆社会・消費社会からできた階層化がすすんでいると氏はいいます。 勝者の側にいたとしても、当人の資産がなくなり悪い評判が立てば階層をずり落ちるという、それはわりとルーズな階層だと私自身は多寡をくくっていましたが最近低いカーストが落ちてゆく速さがとめどもなく早くなり、最底辺のカーストが形成されているような気がしています。 もちろん、誰でも堕ちることができ、這い上がることもできるシステムですし、学歴や職歴(一番が公務員というあたり身分社会そのものだ)を努力することで得られる社会システムですが、年功序列や終身雇用が崩れつつある現在、階層の固定化が進む可能性は高い。 香山リカの「プチナショナリズム症候群」でも、その辺を指摘していました。
社会進化論の復権でしょうか。優性思想の一種ですが。 上記の思想は、アメリカ資本主義発展期に顕著に見られました。市場原理の経済では弱者切捨ての、強者の理論です。鉄道、鉄鋼など資本主義勃興期のインフラで儲けたカーネギーやバンダービルド、スタンフォードたちは、あまり余った金を元に20世紀に名門大学を設立したんですよ。 富の福音なんて本をカーネギーは書いておりますし、当時のアメリカの社会学者であるサムナーなどもそういう社会進化論思想に染まっております。 そういう思想の根源には市場原理主義があると思います。オーストリア学派のノーベル経済学者ハイエクから始まり、シカゴ大学の弟子であるミルトン・フリードマンですが。彼らを信奉しているのは、中谷巌さんとか、竹中平蔵さんなんかじゃないかと思いますが。 なんと言っても神の見えざる手にすべておまかせなわけですから、政治が平等にする手段を施しようがないわけです。但し、儲けるやつが儲ければ、儲けのおこぼれがぽたぽたと下に落ちてくるという”トリックルダウン”という効果は彼らは期待しているようです。 今後に関しては、負け組みに入るであろう半分以上の人たちが気づくことしかないんじゃないかと思います。
お礼
>儲けたカーネギーやバンダービルド、スタンフォードたちは、あまり余った金を元に20世紀に名門大学を設立したんですよ。 経済的に成功した人間が、それを社会に還元することには私は賛成です。 日本でも本田宗一郎などが陰ながら奨学金を出したりしてました。 私は成功者が資金を社会に還元することに、一種の美学を感じます。 もし私が運良く成功したらそうしたいと思います。 しかし、多くの資産家達はそうではなく、階層化、差別化を好むんですよね。 「最大多数の最大幸福」を実現するいいアイデアはないのかな?
こんにちは。 戦前から戦後、高度成長期にかけてのいわゆる階層は、持つ者と持たざる者、 すなわちブルジョワジーvsプロレタリアートという二項対立の側面から語られてきました。 資本主義社会においては、この「持つ者と持たざる者」の階層は大ワクにおいて 今後も変わらないと思います。しかしながら、大きな質的変化を遂げていることも事実です。 70年代に入り、経済の発展とともに国民は豊かになり、「一億総中流時代」などと いわれました。つまり、ブルジョワジーvsプロレタリアートという二項対立 によって階層を語ることあまりなくなり、階層は均一化したように見えました。 しかし、IT時代を迎え(この言葉そのものがすでに陳腐化しているわけですが) 様相は一変します。それは、 情報スキルとビジネス・スキルによる階層化の出現、 です。80年代に「情報を制する者がビジネスを制する」といわれたように、 コンピュータやネットワークをソフト&ハードで駆使し、ビジネスを推進する者と、 そうではなく旧来型のローテクを糧とする層です。このふたつの階層は、有している 情報の質、量ともに圧倒的にちがいます。同時に、たとえば語学ひとつとっても グローバル化が進む現在、英語ができる者とできないものの格差は、イコール、 ビジネスチャンスをモノにできるか、できないかといった死活問題になることもあります。 つまりはビジネススキルの問題です。(ただし、個別の業種・職種によってちがいますが) これはまた、文化的格差、趣味趣向のちがいなどへと波及してくる問題でもあると思います。 さて、今後ですが…… IT、コンピューティングは社会インフラの一部であり、教育面でも そういった情報スキルを得ることのできる機会を均等に保証すべきだと考えます。 ideaismさんのご質問の答えにはさまざまな切り口があるかとは思いますが、 私見を述べさせていただきました。
お礼
>70年代に入り、経済の発展とともに国民は豊かになり、「一億総中流時代」などといわれました。 「最大多数の最大幸福」という視点で見ると、私は、一億総中流でよいと思います。 経済界の人間はそれが嫌なのでしょうか? >グローバル化が進む現在、英語ができる者とできないものの格差は、イコール、 ビジネスチャンスをモノにできるか、できないかといった死活問題になることもあります。 つまりはビジネススキルの問題です。(ただし、個別の業種・職種によってちがいますが) これは、職種によって全然違うと思います。 英語よりアイデアが大事だったり、人望・信頼が大事だったりすると思いますが・・・ 「情報を制する者がビジネスを制する」に対しては、 賛成半分反対半分です。 確かに、仕事に情報は欠かせない。 だが、それでSEの道に進んだ人間が捨て駒になっていると私は感じてます。 ノイローゼ気味になった友人や、将来に見切りをつけ転職した人をたくさん知っています。 回答ありがとうございました。
- machunopapushi
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月刊誌「現代思想」によると、一連の教育基本法の改悪の動きと国立大学独立行政法人化の推進によって国家は露骨な差別意識を伴った優生思想を日本社会に根付かせようとしているそうです。そこでは個性の尊重とは能力主義的差別の別名であり「公共」の精神とはエリートにとっては大競争時代における国家への貢献であり、ノンエリートにとっては権利主張を伴わない国家への奉仕、という意味合いを持っている。優生思想によって「勝ち組」は自分の正当性を根拠付けることができ「負け組」は自分の置かれた劣悪な状況を自己納得することができるという仕組みになっているそうです。 私見では階層化に対応する方法はその個人のカーストにおける地位によってその余裕の度合いが違いそうですが、「経済的に勝者になることが人生の目標」とする価値観ではなく新たな自分なりのプライマリーな心のつながりを重視する価値観を熟成させることが重要だと思います。
お礼
>国家は露骨な差別意識を伴った優生思想を日本社会に根付かせようとしているそうです。 もし、本当に国家によって優生思想を根付かせようとしているのなら大失政だと思います。 せっかく、幕末・明治の志士達が士農工商などの身分制度を廃止して平等な社会に近づいたのに・・ 回答ありがとうございました。
お礼
回答ありがとうございます。 >勝者の側にいたとしても、当人の資産がなくなり悪い評判が立てば階層をずり落ちるという、それはわりとルーズな階層だと私自身は多寡をくくっていましたが最近低いカーストが落ちてゆく速さがとめどもなく早くなり、最底辺のカーストが形成されているような気がしています。 同感です。 二極化というのか、低辺層がずるずると落ちていくような感じが教育・職業など様々な分野で感じます。 >年功序列や終身雇用が崩れつつある現在、階層の固定化が進む可能性は高い。 階層の固定化は日本にとってまったくよくないことだと思います。 一度負けても、努力次第で復活できたり、 勝っていても、気を緩めると敗者側に回ったりするから人生面白いんです。 さらに憂慮すべきは、教育の機会均等が実質的になくなり、生まれた時点で低辺層の子は低辺層で逆転不可能という社会にはなってほしくないと思います。