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「ドア“は”開けられます」or「ドア“を”開けられます」

「ドア“は”開けられます」or「ドア“を”開けられます」 このコックを手前に引けば、ドアは手で開けられます 上記一文は、いつも通勤時に使用している電車車両内にある「非常コック(ドアを手動開放できるようにするもの)」に書かれてあるものなのですが、“は”より“を”の方がしっくり来るような気がするのですが・・・・どうでしょうか?

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  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

(ア)このコックを手前に引けば、ドアは手で開けられます。 : 「は」の基本機能は、『主題(話題)の提起』というのが私の場合理解しやすい覚え方です。 「これからドアを主題にして述べます」という、「主題の宣言」と言ってもよいかもしれません。 「ドアに関してお知らせしますが、このコックを手前に引けば、開けられる、という仕組みになっております」 というニュアンス。 この文は、「ドア(の機能・仕組み)に関して述べようとした文」と言えます。 (イ)このコックを手前に引けば、ドアを手で開けられます。 : 「を」はドアを開けるという行為の目的語として使われています。 「ドアを手で開けるためには、このコックを手前に引きます」 というニュアンス。 この文は、「ドアを手で開ける方法について述べようとした文」と言えるでしょう。 次に、これらの表示を乗客が目にした際、乗客はどのように感じるのか、という点について考えてみます。 (ア)の場合、「あ、なるほど。このドアはそういうふうに出来ているんだな」と思うでしょう。 (イ)の場合は、「あ、なるほど。このコックを引けば、ドアを手で開けられるんだな」と思うはずです。 非常時の心構えを常に持とうと思うような性格の方にとっては、(ア)の文は、ややまだるっこしい印象を与えることでしょう。わざわざ主題として提起するという構文の過程が不要であるように感じるからだと思います。 主題の提起というのは、よく言えば落ち着いた印象を与えますが、緊迫性は薄いという印象を与えることが多いようです 逆に、(イ)の文は直截的ですっきりした文章に感じられることでしょう。 一方、のんびりした性格の方にとっては、(イ)の文章は、緊迫性に富みすぎている、と受け止められるかもしれません。 「ドア【を】」と、ドアが直接的な目的語になっているために、緊急事態が今にも起こりそうな予感さえ与える可能性も考えられます。 あくまでも、「ドアに関する単なる説明である」という印象を与えるのは(ア)のような主題提起の構文が適しているように思います。 それで、会社側としては、後者の乗客の心裡を優先した、ということになるのではないでしょうか。 一素人の個人的見解にすぎませんが、このように思います。   

dick_dicks
質問者

お礼

回答の内容が私の中にスッと入って来て、一発で理解出来ました。 ありがとうございました!

その他の回答 (5)

  • SortaNerd
  • ベストアンサー率43% (1185/2748)
回答No.6

人によって感じ方は違うと思いますが、私は「は」の方が自然だと思います。 理由を考えてみたのですが、おそらく主題の有無が問題だと思います。 主題は、話題ともいい、文の中心となる対象のことで、主語とは違う概念です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A9%B1%E9%A1%8C 「は」を使うことにより、この文の主題が「ドア」であることがはっきりします。 「ドアは、このコックを手前に引けば、手で開けられます」と並べ替えると分かりやすいかもしれません。 これに対し「を」の文には主題が無いように思います。 主語を補えばそれぞれ 「このコックを手前に引けば、ドアは(あなたが)手で開けられます」 「このコックを手前に引けば、(あなたは)ドアを手で開けられます」 であって、「を」の文では「あなた」が主題であるべきなのに省略されてしまっている印象を受けます。 かつ、そもそもドアについて述べる文で主題が「あなた」というのにも違和感を感じます。

dick_dicks
質問者

お礼

以前の「20ポイント or 10ポイント」制なら、間違いなく10ポイント差し上げたのですが・・・。 ありがとうございました!

  • ausfeper
  • ベストアンサー率33% (46/138)
回答No.4

このコックを手前に引けば、そのドアは手で開けられるものになります。 コックを手前に引くことで「ドア」は開くようになります。 こういうことだと思います。 小さい子供のお母さんが 「この子はもうドアを手で開けられるんですよ」 みたいに「を」だと開ける側が主語。 あくまでも「ドア」が開く状態になります。 ということだと思います。

noname#177363
noname#177363
回答No.3

普段は手で開けたりしないドアを開けられるというニュアンスが伝わって、私は”は”の方がピンときます。

  • mo6644
  • ベストアンサー率56% (68/121)
回答No.2

「このコックを手前に引けば、ドアを手で開けられます」が質問者の言われる通り普通の表現と思います。 しかし、「このコックを手前に引けば、ドアは手で開けられます」も間違いではありません。 「は」は他と区別したい時に使われます。 「このコックを手前に引けば、ドアは手で開けられます。でも窓はあけられません。」のように、窓を開けようと思って誤ってコックを引かないように間接的に注意をしています。最近の車両は窓を開けたいと思っても開けられないタイプばかりになりましたね。 「このコックを手前に引けば、ドアだけ手で開けられます。」とすれば直接的ですが、本来の緊急時に対する注意とちょっと違ってしまいます。 「は」と「を」は、たとえば:   小さいキノコを食べられます。   小さいキノコは食べられます。 どちらも使えますが、後者のほうは大きいキノコは食べられないことを間接的に言っています。前者のほうは大きいキノコについて何ら注意していません。

回答No.1

はじめまして 飽く迄も小生個人の考えなので、正解からかけ離れているかも知れませんが 小生の考えを、述べさせていただきます。 >このコックを手前に引けば、ドアは手で開けられます この場合 このコックを手前に引けば、ドアは(誰の)手で(あろうとも)開けられます >このコックを手前に引けば、ドアを手で開けられます こちらの場合ですと このコックを手前に引けば、ドアを(この文を読んでいる貴方の)手で(のみ)開けられます この様に解釈出来ます。 ですので、非常コックを作動させた人間が 車両のドアを、直接開ける事が出来なかったりすると 文章上で矛盾が生じると、思いますので 矛盾を生じさせない為に、敢えて「ドアは」と しているのだと思います。

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