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20代半ばにしてニート半引きこもり
- バイトを辞めて半年以上経とうとしていますが、数か月前まで接客販売していたのに今は面接すら行けなくなりました。対人恐怖のような状態で毎日なんとか通っている状態です。
- 自分で自分を鬱にしていまいそうな状況になっています。人生はハムスターの運動器具のようで、一歩間違えると悪循環に陥ります。周囲には見えないけれど、みんなも悩みを抱えて生きているのかもしれません。
- 着る服の選択にも悩んでいます。ファッションは複雑でお金もかかりますし、どう着ればいいのか分からず困っています。ファッション初心者だった方々はどのようにセンスを身につけたのか教えていただけないでしょうか。
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うーん、質問と関係ないけど「比喩」が上手いね。 読んでいても、そうだそうだ、そんなところあるなぁ、と感心してました。 生活の悩みですか?。 そりゃもう…ありすぎてありすぎて(汗)。 馬鹿言って笑ってなきゃ、もう消えちゃいたくなる時が有りますよ、正直。 坂を転がる「はずみ車」…そういうこともありましたね、昔は。 今はもう平気…正直そんなこと言ってられないからね。 あいつはあいつ、わたしはわたし、です。 人間「何が大事なのか」がわかると、不思議と我欲って無くなってくる。 ほんと、君がいってることはある意味正しいよ。 幼いころは戻ってこない…でもね「思い返すこと」は出来るから、本当に切なくて、泣きたくなったときは「中島みゆき」の「五つの頃」なんか聞いて、泣けばいいと思う。 そうすれば「自分がどこにいるか」の確認が出来るから。 自分がどこにいるかわからなくて、不安だと思うんだ。 確かめたくて疾走するんじゃない?。 自分の実際に居る場所と「自分が居るはずだった場所」に、ギャップがあるんだよね。 だから「それを見つけたくて走る」んじゃないか、と思う。 でも結局、自分が居る場所は、自分で決めるんだよね。 今はたまたまそれが家の中ということだけど、それが違う場所に移っていくこともある。 …君が書く文章だって、こうやって「一人歩き」して、私たちに届いているんだ。 文章は君の分身だろ?。 君はちゃんと、今でも歩けているわけだから、心配はしないでもいい。 私は男なので…詳しいことはね(汗)。 でも、敢えて言うならば「体にいいもの」を着たほうがいいと思う。 「着るもの」は、知らずのうちに影響を自分に与えてるんだって。 「自分が苦手な色の下着を身に着けなさい」と言ったデザイナーの方もいるよ。 そうやって「苦手」を自分に取り入れて、自分のものにしろって言うことだよね。 君の場合は逆で「素材からエネルギーをもらう」方がいいと思う。
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- eroero1919
- ベストアンサー率27% (3007/11113)
明らかに鬱病だと思いますよ。 私が鬱病だったときも、クラッチが滑る車で上り坂を登っているような焦燥感が強かったです。自分はアクセルを踏んでいるのに坂をズルズルと下がるような感じがしました。
お礼
うつ病ですかね。ただ、うつ病診断のようなものをネットでやってみるのですが、あまり当てはまりません。そこまでひどくはないようです。また、先日本屋で見かけたのですが、ここ数年でとみにうつ病患者と言われる人口が増えたのは、うつ病と認定してしまう範囲が広まったからだという書籍が平積みしてありました。新書コーナーです。なんでも、人間は”病”と公に認められてしまうと、また自分で認めてしまうと、思い込みから、それまでは無かった症状が本当に現れてしまったりするそうですね。 複数のサイトによるうつ病診断にてそれと診断されなかったので、私はまだ鬱ではないようです。神経過敏ではあるようですが。どちらを向いても不安ばかりですが、みなさんのご助言に従い、もう少し生きてみようと思います。ありがとうございました。
- 326AtoZ
- ベストアンサー率43% (36/83)
回答者のみなさんが仰っていることですが、質問者は文章力もあり、思考のバランスも良く、客観性もあるという普通の社会人よりも”まし”な脳みそを持っておられると思います。 まず、その事実を体験からきちんと自分の身の内に入れる必要があると思います。 文章の中に”恐怖”という語を伴う表現がたくさん出てきますが、質問者にとって未知なる領域が、未知なるが故に不安を伴って、すべて恐怖と化しているように思われます。 ただ、それは未知なだけであって今後体験から未知の領域が減っていくにつれ、”なんだそんなことか”に変わっていくと思います。 というわけで、私が日々感じている不安とか悩みは将来のことが多いですね。やっぱり良くわからない未来だし、見通し利かないしでそこには不安を感じています。ま、死にはしないかと思っていますが。 あと、服装に関しては姿見(大きな鏡)が非常に有用でした。色々と試して、自分で見てみると、ショップの店員さんとの考え方の違いも見えますし、自分に何が合うのかも自分でわかるようになります。やはり視覚の問題なので、見ないことには経験値として高まらないです。 最初は自分が好きなファッションと、自分に似合うファッションの違いがわからないですが、何度が鏡で見ているとその差も見えるようになります。好みというものは往々にして、脳内で作られるものですが、その脳内で作られたものをちゃんと補正しないといつまでもゆがんだまんまになのです。 それを補正する措置が鏡で見て、視覚的に再評価したものを脳内に再インプットするなのです。 なんかややこしくなりましたけど、女性が鏡ばっか見ているのはそういうことだから、そうしようよってことですかね。
お礼
そうです。今の私は、日々自分の生活範囲を狭くし、アルバイトをしていたころの一般的な生活範囲を経験しなくなることにより、恐怖の範囲もまた、日々広がっているという状態です。 先日、図書館で森田療法などの本を読みました。その他専門的な本もいくつか。行動にランクをつけるといいそうです。例えば自分にとって簡単な行動から難しいものまでを箇条書きし、番号を付け、今日はここまでクリアするぞといったような感じで、恐怖と対峙する方法です。まずはやってみます。なんだか最近日々無気力になってきていますが。 鏡は、上半身が写るものしか置いていないので、この機会に購入してもいいかと思いました。ニトリに出かけるきっかけにもなるし…。ただ、他の部屋に姿見があり、その前で何度かとっかえひっかえしたことはあるのですが、やはり自己蔑視が強く、自分の姿だと何を着ても全体的に奇妙に見えてしまうのです。 好きなファッションと似合うファッションの違いについては、よくわかります。かといってそれに沿って自分に何が似合うのか判断できる段階ではないのですが。服って多様じゃないですか、本当に。これこれの系統が似合いますと言われても、服のデザインによって似合わなくなるでないですか。そういうところで数がきりがなく思えて泣きたくなるのですが。。。まずは店員の監視から逃れて試着できる店(一軒だけあるのです)でいろいろ試してみます。話はそれからですよね。
悩み…ichi0515さんに比べたら辛辣さがまるでありませんが(汗) 就職決まらないし、いっそ旅とかしちゃおうかな~とか。そのくらいです。 昔、受験で悩みすぎてご飯食べれなくなった時がありまして(結局どうにかなりました) 私は悩みすぎても逆に何も決められないタイプなんかな?と思い楽天家になってしまいました。。 お洋服の件ですが、ichi0515さんはどんな雰囲気の服が好きなのですか? 私は好きな女優さんや雑誌の使い回しコーデとか参考にしてますよ。 まずは自分の好きな雑誌や女優さんを探す方が早いかもです。
お礼
回答ありがとうございます。 就職が決まらないのはとても辛いことです。私など、アルバイト不採用の電話を何件も受けるだけで大変な落ち込みようです。 不思議です。自分でない人間が不採用を受け続けたとしても、決して本人の人格が否定されたとは思わないのに、いざ自分の身に起ると、面接時の大変な緊張や挙動不審だった視線から、私の中を見透かされ、こんな頼りない人間はダメだと見抜かれたように感じてしまうのです。 自分に自信を持てないそんな人生を送ってきたの?と問われたようで。 服装については、ふた月に一冊は雑誌を購入しながめています。下はきりっと、上はゆったりとした服装が好みですが・・・背丈だけの問題ではないのでしょうが、上に何を着ても、ゆるいものは子供のスモック(幼稚園の作業服のような・・・)に見え、タイトなものは肩が出て筋肉質に見えてしまいます。 標準的な体重ですが、以前人のよさげな40代店員さんに見てもらった時も、どうしていいのやらと苦笑いさせてしまいました。骨格…ですかね。 ですが、きっとどんな人にも似合う服装はあるはず。私と同じ体型でも素敵に着こなしている人は大勢い見かけます。 そのためには、まずは服屋に入れるようになることから、ですね
お礼
私はどこにいるのか、とても不安です。 社会的な位置づけの意味でも、フリーターですらないニートですから、夢のために貯金していますとも言えません。 面接時に、資格の勉強をしていましたと嘘をつかなければならないような期間でしかありません。 一度、偽っても自分に悪いだけだと、正直にありのままを供述したこともありましたが、何せ自分でもこれから先の展望が全く望めない心境でしたから、あんたのところでリハビリをさせてくれと言っているようで、また先方もボランティアではありませんし、雇うならまともな者をと思うのも当然のことで、不採用となりました。 あの面接時の罪の告白のような雰囲気は、思い出すだに辛いものがあります。自分の頭を叩きながら怖いだろうけど害はないから雇ってくれって言ってるようなものですから。南~無~。 自分の実際に居る場所と「自分が居るはずだった場所」にギャップがある、というのはおっしゃる通りで、理想や”歩けるはずだった所”に執着しているのでしょうね。 家ではない、今とは違う場所を自分の居場所にするために、仕事を探しています。特別な理由がない限り、精神的自立より何よりもまず経済的自立を成すことが養われ成長した人間の務めと考えています。精神虚弱はその特別な理由に当たりません。 ・・・あー、こういう堅苦しくかくあるべしなければならぬという考え方が、私を縛っているのでしょうね・・・。 人に自分の弱みを見せられる兄弟がいるのですが、いつも羨ましくあるけれど、いざ自分がとなると、弱みを見せることはとても屈辱的だと感じてしまいます。 悩みの根幹に遠い物事ほど人に相談することは簡単に出来ますが、近くなればなるだけ、ましてやこの度みなさんに相談した内容となれば、、、相談したら二度と面を上げられないというか、恥ずかしくて憤死しそうというか、一生、「あいつには逆らえん」状態になってしまう。という、くだらない自尊心があります。 私は幼いころから負けん気と意地だけで生きてきたような人間です。 自分がこだわっている物事で人を負かし、負ければ価値が無いと思い、そんな生き方ですから次第に勝れるものも無くなり、かつこの広い世の中ですから、比較による自分の価値を無くし、無気力になり、半ば自暴自棄に、反抗的に生きてきたというのが、実際のところです。 比べることでしか価値を見いだせなくなったいきさつは思い出せません。 記憶のほとんどをこうやって生きてきたのですから、どんな自己啓発本を読んでも、今の自分を認めたり褒めたりいとおしむなんて出来ないはずです。自分を愛することは苦手です。 素直になりたいのです。素直に笑ったり喜んだり。人に対する自分のリアクションに保険をかけたくない。 心を開いて接するほど嫌われたり思っていたことがそうでなかったりした場合の反動が大きいですから…。でも人や物事や自分を疑い続けるのはもう沢山。 なのに、生き方を変えるというのは本当に難しいことですね。 何十年と付き合ってきた人達の反応が恐ろしく、何よりそうならざるを得なかったことが恥ずかしくて堪らない。 今まで自分がしてきた間違い、それにより人を傷つけた罪を、その人たちの前でバケツの水を思いっきりぶっかけられるように被る。そんなようで、惨めで堪らない。何十年分の罪の公開懺悔です。 この無意味なプライド、人から見ればどうでもいいことですが、それで生きてきた者にとっては、くだらないと解りつつ手放せません。 あまりにも長くそうやって生きてきてしまっています。 結局何が言いたいのかまとまりませんが、tombanさんの言う、人間「何が大事なのか」がわかると、不思議と我欲って無くなってくるということが、正に今の私に必要なことなのだろうとは思いました。 自意識に縛られた囚われたと騒いでないがしろにしていますが、私には、家族の命が一番大切です。 今、彼らと過ごせる時間をどれだけ無駄にしているか。 せっかく皆無事で何事もなく、健康で、お金と暇さえあれば旅行にだって行けて、いくらでもよりよく出来るのに!自分の命を無駄にすることに今はあまり実感も罪の意識も湧きませんが、彼らの時間を悪く、嫌な物にしてしまうなんてとんでもないことですね。 自分のために恐怖心を克服することが出来ないなら、今は、彼らのために、彼らが日々接している私という人間の与える影響をよりよいものにするために生きてみたらいいのかな。自分ばかり見すぎなんでしょうね。 服装についてですが、いい物=値段が高いものということでしょうか。 長々と書いておきながら失礼なことですが、あまりに考えがまとまらず、このままではお礼文といっても何を書いていいのやらと困ってしまいましたので、tombanさんの回答文に沿いながらその都度考え考えし、文章を書きました。