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「視線を感じる」なんて言いますが、音も熱も圧力も感じたわけでもないのに
「視線を感じる」なんて言いますが、音も熱も圧力も感じたわけでもないのに 誰かに見られていることが分かる訳ないじゃないですか。。。 本当に「視線を感じる」ことなんてあるんですか?あるとしたら、それはどのような理屈でしょうか?
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実は論文が出ています。 「人の視線に感じて振り向く」→こっちを見ている 「人の視線に感じて振り向く」→こっちを見ていなかった どちらも同じ頻度なのに「見られていた時」の印象が強いため、 「人の視線を感じる」という気がするそうです。
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- temtem1
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気配と同じようなものですね 実際に気配とか視線というものに物理的ななにかがあるわけではないですが、視界の端に映った他人のしぐさとか足音や呼吸音など周囲の微細な情報などを分析たり、過去の経験と照らし合わせて、他人が自分を見ているのではないかと脳が類推するわけです。 これらは無意識的な脳の働きですので、自覚的にこれこれこのような音波からこのように分析しました、などと意識できないので、主観的には「なんとなく視線を感じる」と言うふうに認識するわけです。 無論、それほど正確ではないので誰もいないのに何気ない雑音を人の気配と錯覚して、誰もいないのに誰かに見られてる!幽霊だ!超能力だ!なんて妄想に捕らわれる人もいます。
- ga111
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#1さんの言われることに近いのですが、ヒトの顔がこちらを向いているのなら、そのヒトがこちらを向いているのは、とくに目の並び具合からそのヒトがこちらを見ているようにみえれば、「視線を感じ」ます。単純に、そのヒトは「こちらを見ていると判断できる」ということです。視覚情報は強力です。それを「感じる」とも表現できるわけです。 同様に、視界のなかの端にヒトの顔がぼんやりあったとしても、髪と顔面の配置の具合で(目の配置が見えなくても)なんとなく、こちらを向いているのが分かる場合があります。このとき、それを「視線を感じる」=「こちらを見ていると判断できる」と考える場合があります。このときは必ずしも、相手が見ているとは限りませんが、見ているのかな?と再度チェックすることもあるでしょう。
こういうこともあるという意味で書いてみます。関係がないかもしれません。錐のような危険なものをわざと鼻先に近づけてみると、眉間のあたりに鈍痛を感じます。痛みの原因が物資的なものとは考えにくいですが、どこか視線の場合と似ているように思います。
お礼
何か大きなヒントである気がしますね。
予感や第六感の類ですね。 沈む船からはネズミが逃げ出すとか、よくある話です。 人類のそれは、文明の発展の代償として大分退化してしまいましたが・・・・・ 大自然では、注目されてる、気配を感じる、などは生き残るために非常に重要だったのです。 未だにその能力を色濃く残している人を、超能力者と言ったりしますね。 ま、インチキも多いですけど・・・・アメリカなんかじゃ、積極的に研究されていたりもします。
- Cupper
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多くの場合は音と視界に入った対象物によるものです。 周辺ノイズが一部弱くなっているところがあると違和感を感じると思います。 例えば、暑いカーテンの前で横を向くとカーテンの側から音が聞こえなくて違和感を感じるでしょう。それです。 人の顔というのは人が最も識別できるものの一つです。視界の中に目がこちらを向いている状況が映れば 脳がそれを識別して無意識のうちに視線がこちらを向いていると判断されます。 点が二つ横に並んでいても無意識に目と判断することもありますからね。 それをあとから意識したときに「視線を感じる」となるのでしょう。
お礼
>周辺ノイズが一部弱くなっているところがあると違和感を感じると思います。 そうですね。この違和感、気になります。
お礼
確かにそういう考えもあると思います。