• ベストアンサー

神社に手を合わせる意味は?

神社に手を合わせる意味は? 神戸の神社でタレントさんが結婚式されました。 大金が包まれたでしょうし、神社あげて、生涯お二人が幸せに連れ添うことを祈願したはず。 それなのに早々に離婚。 神社に手を合わせても願いは成就しないということを証明したのでは? あるいは成就しても神社のパワーと何ら関係ないということになるのでは?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • gigamax2
  • ベストアンサー率27% (170/628)
回答No.8

おはようございます。 本来神社はお願いをするところではありません。~祈願と商売化してきている事にははなはだ疑問ではありますが、神社側も生活を考えるとそれも必然なのでしょう。 古来日本人は万物に神が宿ると解釈してきましたが、突き詰めれば小石にさえも宿る・となります。道すがら小さな祠があるのもその概念からです。 宇宙の本質は二元性から成り立ち、回転が生まれて波動になり物質化します。両極の手を合わせ・打つ事により波動が生まれます。この行為は宇宙の本質を端的に表現しています。そして自分の現実は波動の結果であり神(宇宙)が決める事ではありません。その波動のプログラムの決定権はあくまで自分自身でしかなく、意図したら行動する・・・これだけです。 意図の強さと行動する努力が足りなければ成就しないだけであり、形式を踏破してお金さえ積めば願いが叶うという発想自体無理があるのです。そして自分の波動形成(現実)に対して感謝する所が神社等です。 他国にある一神教などは“すがる”と言う概念を植えつけてしまい、排他的になりやすく争いが絶えないのは歴史を見ても理解できるでしょう。この辺についてはこのテーマとは離れますので割愛しますが、日本が西洋圏に理解されない根本がここにあります。 ただ冒頭に申した通り、昨今の神社も“すがる”という概念を生み出していますが、ここに日本の崩壊の本質が隠れていると思います。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 今、手を合わせてみたらパーンと音が鳴りました。 まずなんらかの爆発があって宇宙がひろがっていったという宇宙のイメージと手を合わせ叩く行為がシンクロしました。 なんか深いですね。

その他の回答 (14)

  • michael-m
  • ベストアンサー率50% (2724/5433)
回答No.15

何か勘違いされて居るようですが、神道において神は力添えはしてくれても避けるとか強力な力で何かをするなどということは、神社は一言も言ってはいません。一部の似非神道通などが勝手に言っていることです。 それは祝詞の中身を見ればわかることです。 祝詞はそのつど内容も変わってきますが、基本的な祝詞を簡単にいえば「ここに婚儀を結び、末永く幸せにありたいと申すものが来ております。今より二人はお互いに力をあわせ、父母の教えを守り、身を慎み、仲良くやっていきますので、末永く幸せであるようにお守り下さい」となります。 つまり、何が何でも守れと言うのではなく、努力するからお力添えをお願いしますという意味です。従ってお互いに努力をしなければ離婚するのは当たり前なのです。 さらに良く使われる言葉に「大難を小難に、小難を無難に」というのがあります。神道において厄災除けは完全回避ではありません。私達が努力する事によって乗り越えられるだけの障害に換えて下さいという意味です。 そんなに小さな障害も、乗り越える努力をしなければ乗り越えられるはずもありませんし、努力のないところに幸せもありません。 俗世の自称「通」による似非情報が氾濫しているので、きちんと理解しないとパワースポットだの祈願だの、ご利益だとか祓いなどという嘘っぱちを信じてしまうことになるのです。 手を合わせるのはコチラからの念を送るというように解されても居ますし、祈願のポーズとも言われます。諸説あり、それぞれにうなづけるものなので、これというものはないでしょう

  • Duce0729
  • ベストアンサー率29% (29/97)
回答No.14

「そうであれば、神に願い事をするっていうのは、自分の気持ちを整理してるだけじゃないの?そんなの家でもできるのに。」 家に神社の御札があれば、(望ましくは「神棚」に御祭りし、榊、水をお捧げする)「家でもでき」ます。神社に行かれると、鏡がありますね。あの鏡には何が映りますか?参拝をされる「ご自身の姿」なのですよ。神様は雲の上におられるのではなく、正に貴女の中におられるのです。全ての生きとし生けるものに神が宿り給う、というのが神道の考えです。 しかし、「思い」だけでは、神様にお会いすることは出来ません。その為に、神様が祭られている神社に参拝する、という「行為」が大切なのです。「自分の気持を整理してるだけ」では、参拝にも崇敬にもなりません。単純な例えで言えば、電話器を使わなければ、思っていることを離れた相手に伝わらないのと同じです。 一度、産土(うぶすな)様で、「昇殿参拝」をなさってみて下さい。 あなたの「願い事」(家内安全、心願成就、病気平癒など)を社務所で記入しますと、神殿の中で、宮司(神主さん)が、貴女の「祈願」を「祝詞」(のりと)として、神様に「畏み、畏みも申さく」と奏上して下さいます。貴女は玉串(たまぐし)を捧げます。心から祈念し、ご自身として出来ること、為すべきこと、を「誠意」(赤き直き心)を持ってなされば、神様は、必ず「お力」を下さいます。

noname#181349
noname#181349
回答No.13

>お正月には、ほとんどの人がお願い事をしに行ってるような気がします。 >これは? つまり、間違っているわけです。 いつの間にか、土地神様に新年のご挨拶をし年頭の誓いを立てるという意味合いの初詣は、「神様にお願い事をする」という風習に変わっちゃったわけですね。 で、神社も気楽に来てもらう方が儲かるので、それに乗っかっているわけです。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 土地神様は響きがいいですね。ある意味、地に生かされているという感覚はありますから、地元の神様に感謝するってのは悪くない気がしてきました。 一度、お願いではなく、感謝するために参拝してみたいと思います。

  • Duce0729
  • ベストアンサー率29% (29/97)
回答No.12

神社での参拝のご作法は、「二拝、二拍手、一礼」です。「手をあわせる」のではありません。 神道の考えでは、「神様」が慶ばれるのは、「赤き(「誠実」という意味)直き(「素直」という意味)こころ」と言われます。 大金が包まれようと、神社で大規模な祈願されようと、何事かが「必ず成就する」のではないのです。 あなたは、最近の「エセ・スピリチュアル・ブーム」に乗せられているようですね。例えば「パワー」という言葉ほど、神社に相応しくない言葉はありません。例えば「あの神社はパワー・スポットだから」とか言うのは、極めて軽率な言い方です。 問題は、その「タレントさん」が、神社で式を挙げられた、その後の生き方において、神道に相応しい、「敬神の心」を持ち続けられたのか、ということです。式を挙げられた神社よりも、産土(うぶすな)神社、つまり自分の住む地域の神社を大切にし、日参されていたのでしょうか?誠の心で参拝し、日常の言動も、それに適うことをされていたのでしょうか? 為すべきことを為さずに、式だけ神道方式で挙げられても、それが「大願成就」に結びつくものではありません。神道は、「他力本願」ではないのです。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 物事の成就には、他力本願ではなく具体的に何をすれば良いか検討し、日々努力することだと考えています。 そうであれば、神に願い事をするっていうのは、自分の気持ちを整理してるだけじゃないの?そんなの家でもできるのに。と思ったもんですから。

noname#203300
noname#203300
回答No.11

> 神社に手を合わせても願いは成就しないということを証明したのでは?  手を合わせている人のほとんどはそれで願いが叶うなんて思っていないでしょう。 > 成就しても神社のパワーと何ら関係ないということになるのでは?  はい。全く関係ありません。  ただ、昔から『良事は神の所為、悪事は人の所為』って言って、『うまくいっても驕ってはいけない。悪いことが起こったら反省しろ。』って教えがあるのです。 > 神社に手を合わせる意味は?  敢えて言えば『そこに神社があるから』でしょう。鳥居におしっこはかけられないってDNA?がある民族です。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。   >手を合わせている人のほとんどはそれで願いが叶うなんて思っていないでしょう。 そう思っているのに、お金を出してまで拝むというのは、なんか日本人らしい価値観ですね。 いわゆる、なんとなくねえ、といったところでしょうか。 あなたはズバリ回答ですね。もしかして神なのか?

  • key00001
  • ベストアンサー率34% (2878/8340)
回答No.10

ちょっと違いますよ。 結婚を、神仏の前で行うのは、「願い」だけじゃなくて「誓約」の行為です。 人間が、自らの意思で神社を選び、その神の前で結婚の誓いを立てるんです。 それが神前の儀式と言うものです。 その神様との約束を裏切ったのは、神様では無く人間の方です。 神仏や神仏のパワーって言うのは、人の中に在るものです。 強く信じれば、死さえ恐れない強い力になります。 逆に神との約束を軽々しく破れば、わずかでも神仏を信じる人達も含め、非常に多くの人から批判・嘲笑・揶揄の対象にされます。 そのタレントさん達は、今後一生、そういう対象としても扱われます。 これが神仏のパワーの一つであり、罰の一つでしょう。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >多くの人から批判・嘲笑・揶揄の対象にされます でも、今回は神様もある意味、笑われたというか軽く見られたのではと心配です。

  • mayuko33
  • ベストアンサー率25% (33/131)
回答No.9

神社は自分の私利私欲をお願いするところではありません。 手を合わせる意味は神様へのお礼と、神様への誓いですよ。 日々の幸せを神様へ感謝する。 志を神様へ誓う、そんな場所です。 「神様この人と巡り合わせてくれてありがとうございました。 自分は幸せになりますし、この人を幸せにします。」 そういう意味で手を合わせるのです。 その志が正しく、正しい努力をしていれば神様は見守って下さいます。 もし離婚したなら正しい努力をなさらなかったからでしょう。 神様のせいではありません。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 見守るというのは、ピンチを救ってくれるとかも含まれるんですよね?

  • takuranke
  • ベストアンサー率31% (3923/12455)
回答No.7

その神社で結婚式を挙げたから終生幸せになるものではないです、 本人たちの努力が無ければ何もなりません、 多分戦後からだとは思いますが、 神仏に祈願するという本当の意味合いが無くなってきて、 神仏に願いをすればかなえてくれるという、 誤った認識が根づいてきたようです。 本人たちがともに努力もせず、わがままを言い合ったりすれば当然破局します、 そのようなことに神域の力作用しません。 祈祷は具体的な願いを「信仰の力」によって祈り、具現化しようとすることです、 本人たちに信仰心がなければ、幾ら祈祷してもどうしようもないです、 ですから、某宗教団体などでは、願いがかなえば信心のおかげと言っています、 本人努力は二の次にしています。 願掛けにしても、神仏に対して自らが成したい事に真摯に向かい合っている姿を見せ、 神仏の恩寵・霊験を期待し、かつ、自らもその成したい事に積極的に取り組み、 逆境を打破して願の実現に向けた精神的な決意を示すものです。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 あちこちに神社があって、どこに行こうか迷ってるようじゃダメですね。

noname#181349
noname#181349
回答No.6

神社は、神様にお願い事をしに行く所ではなく、報告して誓いを立てる場所です。 件のタレントさんが離婚したのは、本人達の気持ちの問題で、彼らの誓いが中途半端だったと言うことでしょう。 評判を下げられて、神さんもいいとばっちりですよね。

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 お正月には、ほとんどの人がお願い事をしに行ってるような気がします。 これは?

  • nora-pop
  • ベストアンサー率36% (122/337)
回答No.5

おはようございます 神社に手を合わせる意味は もちろん祈願もありますが 日々の暮らし 健康 パートナーに巡り合えたこと等々に感謝する意味もあると思います 八百万の神様達は 日々のちっちゃい願いをいろいろ叶えてくださっていると  私は感じていますが…  kanesukii さんは如何ですか? そのタレントさん達は縁がなかったのかもしれません 別のパートナーがいる と教えてくれたのかもしれません(事実はわかりません) <神社に手を合わせても願いは成就しないということを証明したのでは? あるいは成就しても神社のパワーと何ら関係ないということになるのでは? > という言葉は 神社で結婚式をあげられた全てのカップルの方々に  そして八百万の神様達に失礼な気がします ちょっとキツイ言い方をしてしまってごめんなさい

noname#141297
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 この間、ネットで占いしたら、僕が神様を動かすそうです。 八百万の神様達は初対面です。こんちは。

関連するQ&A