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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:自分を受け入れる)

自分を受け入れる

このQ&Aのポイント
  • 自分を受け入れる方法とは?自己愛の大切さを考えてみよう
  • 自分を好きになるためのヒントとは?自己肯定感の醸成が重要
  • 自分を認めて進むためのステップ。自己受容の大切さとは

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.7

NO5です。 簡単にできること・・ それは感謝ですね。 ありがとう・・ 世界で一番美しい言葉・・らしいです。 あなたが落ち込んでいる時でも・・ 内蔵は一生懸命に働いています。 一番分かりやすいのは心臓でしょう。 あばたの心の状態如何に関わらず・・全身に血液を送っています。 休み無く・・これに感謝しなくて誰に感謝するのか・・と言うほどでしょう。 まあ、感謝はその気になれば全ての事に対してできます。 ありがとう・・これは別な言い方をするなら、綺麗な・・あるいは素場らしい波動です。 ありがとうと言う度に(思うだけでも同じ)素場らしい波動に包まれているのですから・・ 自分が素場らしくないはずは無い・・です。

noname#159513
質問者

お礼

再びの回答ありがとうございます。 やっぱり、【感謝】ですよね。 感謝するってやっぱり気持ちが良い。感謝されるともっと嬉しい。 生かされているとの思いが抜けなくて辛いって思うけど、 生かされているのも自分の内臓を動かしてくれているから・・・ 爪がのびたり、髪が伸びたり、小さな傷が1・2日で治ったり、 (女性なので)1ヶ月の身体のサイクルを毎月感じたり、 意識しなくても、体の内部では普通に活動をしていて、 生きてるなと教えられる。 それに対して、私は、何に向かって生きているのか。 生きようって思っているのか、何がしたいのか。 こんなに抜け殻みたいで、燃え尽きたみたいで、 目標も希望も何もかもな失くしたみたいに陥ったのは初めてです。 燃え尽きるに値する程の何かをした訳ではないのに。 他人からすれば、その位普通、当たり前のレベルかもしれないのに。 ただ、毎日毎晩、常に、時間が経つ事を、日が経つ事を恐れています。 恐れているのに、何に向かって行動していけばいいのか分からない。 動く勇気がなくなって、気力もなくなって、 このままじゃ考えるのも怖い将来が待っているだけって分かっているのに、 何を選択していいのか、何が自分に今更出来るのか、 前進したいのに動き出すのが怖い。 で、「あ、まだ中学生の精神のままで、自分の育ってきたこれまでも、その結果の今の自分も許せていないんだ」ってわかったんです。 生きなおす、やり直すにしても、それが可能な、それが許容される時期も過ぎている事も突きつけられている。 言ってみれば、人生の迷子。 このまま本当に落ちぶれるのを見過ごす自分も許せない。 その為には、自分を受け入れなきゃって、もう一人の自分が助言する。 こういう葛藤の日々です。 助言頂いたように、よかった事、嬉しかった事、 受け入れられて嬉しかった経験、自分の感情にプラスになる経験、 これらを常に、何よりも先に頭に思い浮かぶように、 そういう訓練からしていこうとは思っています。 何と言っても、この逆の事からしか物事を考えられなかったり、見れなかったり、判断できなかったりの人生だったからです。 本当に心に響いた助言です。 そして、感謝。 この二つの事を常に意識して変化を起こしてみたいです。 自分に変化が起きて欲しいです。 本当にありがとう・・・

その他の回答 (6)

noname#227653
noname#227653
回答No.6

自己肯定感、などといいますが、どんな感じかというと、「自分はこれでいいんだな」「欠点もたくさんあるけれど自分は今の自分でいていいんだな」「自分が自分として存在していることがうれしいな」という感覚です。自分を好きになる、という表現はあまり適切ではありません。自分を認める、受け入れるなら近いかもしれません。 人によっては生まれ育っていく間にそういう自己肯定感を自然に身につけていくことができるようです。 残念ながら私はそうならなかったので、学生の頃から自分が嫌いでしたし、自分には生きていく価値はないと思っていました。生きていくのは楽しいことではありませんでしたが、死ぬのも怖いので仕方なく生きている、という状況でした。 当時、心理学や精神科の先生などの書いた本を読むのが好きでしたが、今考えると、なんとかしてそういう状況から抜け出したかったのだろうと思います。 自己肯定感というのは「自分は他の人と変わらない、自分は特別な存在ではない」ということを認めることができ、その上で「私は私でいいんだ」「私が生きているということはすばらしいことなんだ」と思えるようになることです。「自分は特別な存在ではない」とすると、ある意味では「自分には特別な価値はない」ということになりますから、その上で「自分には生きていく価値がある」と思えるというのは、ある意味では「思い込み」です。 私が自己肯定感を得られたのは、長い間あれこれ本を読んだ積み重ねのおかげだろうと思っていますが、その上で最終的なきっかけとして、そのような「思い込み」の方法、自分自身に対して「自分には価値があるんだ」と思い込ませる方法を、これも本で知って(確か斉藤学の本だったと思いますが)実践したのが効きました。 35歳の頃でしたが、それから今まで自己肯定感を持って生きることができています。 欠点だらけの私ですが、今は「これでいいや」と思えるのでとても楽ですし、この世界が美しく感じられます。 自分には生きていく価値はない、などというような投稿がこのサイトにもよくありますが、そういう投稿を読むたびに、状況を改善する可能性はあるはずなんだけどな、と思います。 あなたにもきっと可能性はあると思いますよ。

noname#159513
質問者

お礼

>人によっては生まれ育っていく間にそういう自己肯定感を自然に・・・ この年齢になって、私もそうだなと思い知らされています。 普通の成長ができなかったなって。 >死ぬのも怖いので仕方なく生きている、という状況でした。 今まさにそうです。 生きていたくないし、生きていて何があるんだろうと言う気持ちです。 生かされているとしか思えません。 たまに、私がいなくなっても、皆自分以外に少なくとも(味方や仲間や気持ちを共有できる)誰か1人いて、その内時間が解決して、「○○ちゃん(私)にとっては死んだ方が楽だったかもね」という結論に達すると本気で思う時もあります。 >「自分は他の人と変わらない、自分は特別な存在ではない」ということを認めることができ、その上で「私は私でいいんだ」「私が生きているということはすばらしいことなんだ」と思えるようになることです。 自分は他の人とは違うって思いがちかもしれません。 自分は、人並みの人生を送れない、成長も出来ていないと。 みんなすごいな、賢いな、できるな、大人だな、しっかりしてるな、等々。 劣等感を抱いている意識はないけど、周りが何でもできる人間に見えてしまいます。(その裏では辛い事もあるし、見えない努力もしているって分かっているのに) やっぱり普通じゃないな私はって・・・肯定できていない。 同じ事でも、他人に対しては、すごいとか肯定的好意的に見れても、 自分を見る時は、そのくらい何よという感じで否定的にしか見れない。 「思いこみ」が出来るようになれば楽かもしれません。 斉藤学さんの本ですか。チョット書店で見てみようと思います。 人生生きていていい事があるかもしれない、楽しいかもしれない、 良かったって思えるかもしれない、と思いこみたいです。 ○○したら人生希望が見えるよって、そんな声も聞いてみたい。 ここ数年、少し考えすぎて、悲観しすぎて、つかれて怖くなっているかもしれません。 可能性を見いだすのも・・・自分自身が変わらないと誰にも自分の人生を代わってもらえないんですよね・・・

回答No.5

自分を受け入れる・・永遠のテーマかも。 簡単な事は、過去の出来事で、成功した事を思い返すこと。 どの様な事でも良いです。 テストで100点を取ったときの事でも。 誰かに道を聞かれて答えたときの事でも。 おはようと言われて、気持ちよく、あるいは機嫌良く、おはようと返せた時の事でも。 どの様な人でも、何か一つ位はあるはずです。 (本当は無限と行っても良いほどあるのですが、全部忘れています。) その時事を思い出して、その感覚に浸る・・ そこからです。

noname#159513
質問者

お礼

成功体験を常に意識するという事でいいのかな。 そう言われると、確かに、そういう事を思い出していると、 気持ちも明るくなるし、自分にも自信が持てる気がします。 確かに、いつも私は、失敗した事や辛かった事(自分)、哀しかった事(自分)と暮らしている気がしました。 将来についても、そういう過去のネガティブな経験からしか考えられなくて、 どうしても悲観的なことしか考えられない。 もっと言えば、そんなネガティブで辛い自分が真っ先に頭に浮かぶから、 周りの人も自分の事を自分と同じ見方や関わり方をすると思ってしまう。 「私なんか、どうせ私は」と。 こんな人とは誰も一緒にいたいって思わないですよね。 やっぱり悪循環に陥るのは、自分を好きになれていないから。 これまでの自分も歩みも肯定できていないから。 だから、どこかそういう負のオーラが、何をしてもシックリこない、上手くいかないっていう事になる。 成功体験、気持ちよかった事、 この人には受け入れられてるって感じて嬉しかった事、そんな周りの人の事、 そういう事をいつも思っていられるようにしてみます。

  • pct10968
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回答No.4

要するに、未だに自分を理解出来ていないと云う事でしょうか。 あるいは、周りと自分を比較してしまうせいでしょうか。 あなたの場合、両方当てはまる気がします。 私は、60近いじじいですが、独りで生活し自炊が基本なので、自分で食事を作り、昼食の弁当も作り、小さな畑に野菜を植え生活の足しにしています。 >自分を好きになる、受け入れる、認める、ってどうしたら出来るのですか。どういう事ですか。 私も分からないのですが、自分の平凡な日々に満足している事ではないでしょうか。 人は人、周りは周り、自分は自分。 いよいよ退屈になれば、また山にでも登るか! 人生の楽園には、楽しみ方がいっぱいあるはずですよ。

noname#159513
質問者

お礼

周りと自分を比較する自分は確かに存在します。 自分の日々に満足しているか。 この言葉もなんか納得します。 たぶん今の自分にも日々にも満足できていないと思います。 今を満足させる、あるいは、認めるには、 過去の自分やこれまで歩んできた人生をまずは認めないと、 今、には到達できないですね。 【過去】のそのそれぞれの時点では、満足していたし、意識はしなかったけど認めていたと思います。今振り返ると。 【今】は、そんな過去を、そんな歩みしかしてこなかった自分を 許せていないかもしれません。 だから、【今】も許せないというか、受け入れられない、という事かもしれません。 今を満足できるようになるには、やっぱり過去とこれまでの歩みを認めるしかないんですよね。 認めるということは、許容できるかということなのかな。 楽しみも希望も何もかもなくした気持ちです。 まずは、楽しみを楽しめるだけの(楽しみを生きた楽しみにする?)何か、 その何かを早く見いだしたい気持ちです。

回答No.3

自分を受け入れるというのは 何歳になってもどんな人でも できます。 本人が意思するかどうかのみにかかっています。 ちなみに自己を変化させたい場合、 その変化させたい気持ちの強弱によって 早さが決まります つまり自分をこのように変えたい! と鮮烈に意図する場合 明日にも別人になってしまいます。 最短でなりたければ可能だということです。 生きなおす、というくらい本気であるなら すぐに変化するだろうなと感じます 次に受け入れる方法ですが 多と比較せずに 自分自身が日頃から どんな感情を抱いているか みてみます 今どういう感情が沸き起こっているでしょうか 焦燥感でしょうか イライラした怒りの感情ですか まったく何もしたくない 何もかもどうでもよいというような 投げやりな気持ちでしょうか 気落ちしている気分ですか ネガティブな感情はさまざまです 人を恨んだり妬んだり 悲しんだり怒ったり。 もちろんポジティブな 楽しいとか嬉しいという 喜びの感情もあるでしょう そのすべての感情を自身の 深い部分で認め、 どんな感情ももっていいんだ、と 自分自身に許可を出している必要があります それをやるには 日頃から自分の感情の動き、 これを動いたときに 意図的に自分のどの感情も 否定せず、ただそのまま その感情を持っていていいんだ、 と自分に許可を与えます これを日常にやることで 深層意識の部分まで いずれ到達します 多くはネガティブな感情を抱いたときに 否定するため、 そこで自己を受け入れることと 程遠くなります どのレベルでも 自分を許し 受け入れることができるようになると 受け入れられて喜んだ 本当のあなたの部分が 生き生きと輝いてきます これは身体を形成する 粒子が早く回転しだすためです 実際に光になるので輝いて見えるわけですが それはおいといてw 他人が何かでうまくいっている、だとか これがこの年代の女性の、あるいは男性の 普通レベルだとか、 この地点でこうなっていないから 私はうまくいっていない、 その反対にこの地点で これだけできている自分は成功しているほうだ、 などという 比較から生まれる 物事の捉え方をしなくなります 本物の視点を持つことが できるようになると 今に集中することが できるようになります 今に集中できるということは 本当に生きだすことができると言うことです 文面を拝見いたしますと わからない、というのを連発されている割に わからないまま人を励ましたりなさっている点は 今の自分では気づいていないだけで すべてのレベルで自分を受け入れたほうの 自分はその答えを知っており、 なぜそのような言葉を言って 人を励ましたのかきちんとわかっているのです お見受けしたところ あなたの場合 常識というものにあまりにも とらわれすぎているため 自分と人と比較する手段を選んで そこで自分が優位でないと 判断した場合 エネルギーを消耗し 停滞感を味わうことになります 余談ですが 常識といわれているものは この社会で都合のよいように 作られた社会通念であり 比較して物事を思考するように 仕向けられた真実ではない概念です これは日頃から○○すべき、 とか ○○しなければならない、 というような考え方で 自分や他人を 気づかないうちに 強いている可能性があります 自己を受け入れ始めますと 人生でやるべきことなど どんな人にもなく、 ただやりたいと思うことを 行動に移すことが 自らの使命であると感じるようになります そのときには 焦燥感は消え ワクワクした気持ちに駆られて 人生を生きていることでしょう がんばらないことです。 なぜなら もうすでにいやというほど 頑張って頑張り続けているからです。 おそらく本当の自分の部分が もうがんばるのはやめよう これからは喜びの中で 自分を大きく成長させるときがきた、 と感じているのかもしれません なぜならそうでなければ こんな質問をすることはないからです がんばらずに 自分が今なにをやりたいのか (大きなことじゃなくても) を絶えず自分にきいて 少しでも楽しいほう 嬉しいほうを選びとっていくだけで がんばらずに 本当の自分になっていきます その時には自分を愛し始めているでしょう

noname#159513
質問者

お礼

何となく私の悶々とした気持ちは受け止めて頂けた気がしました。 他人や友人知人兄弟姉妹や”普通”や”多くの人は○○”と自分とを 比較し続けてきていると思いました。 また、確かに頑張っていた自分も(過去に)いて、 その時の自分はこんな悩みは抱かなかったです。 自信を持って本当に頑張っていたなって言えます。 ただ今は、燃え尽きた感じです。長く燃え尽きた感じです。 今の自分はもう少し頑張れたり、まだ余力はあるんじゃないかと思います。 こんな自分じゃないとか、いつまでくすぶっているんだとか戒める自分がいて、でも、つらいのは、今よりは生き生きとしていた時の自分に戻るには、 エネルギーが何十倍も何百倍も必要に感じられて・・・ 何をやりたいのか、何が楽しいのか、生き生きとしていられるのか、 全てを失ったみたいで、どうしたいのか分からなくなってしまいました。 自分がどうしたいというよりも、どうすべきかと尻を叩いて、 まだまだ”普通”や”多くは”とか”一般的には”という思考が働いて、 ”私は”という事から将来を考え始められないのです。 その割に、どうすべきかさえ分からなくて、 停滞して、ますますおいていかれる、という悪循環。 くどいほど考える事は考えすぎたと思っています。 行動なんですが・・・ここでも「今更私に何ができる」と勇気さえも持てない。 どうしようもないです。 息を抜きつつ頑張る事の重要性は、痛いほどこの何年かでわかりました。 息抜きがあるから頑張る事も出来るし、 頑張る時があるから息抜きも生きてくるって。 生きていくには、楽しい事だけをやっては生きていけないので、 頑張らなければなりません。 何を私は頑張っていけばいいのか、何をしたいのか、何を頑張れるのか、 自分を見失ったのかもしれません。 頑張るものを見いだせたら、何か自分も取り戻せるのかもしれないと思います。 でも、そんな中学生が向き合うような事をのんきに時間かけていられない、 こうやって自分を縛っているし、時間が経つ恐怖感にただ怯えて、一歩しか踏み出せなくてすぐ戻ってしまいます。 その一歩もやっと踏み出せるようになったのに、いつも戻っては同じ一歩しか踏み出せなくて、客観的に見たら、ほとんど前へ進んでいないのです。 自分探しをもがいているのでしょうか。お礼を書いていて、そんな気がしてきました。恥ずかしいです。

noname#181117
noname#181117
回答No.2

自分を許す。

noname#159513
質問者

お礼

許す。 過去を嘆いて、悔いて、否定している今の自分を許す。 その否定されている過去の自分も許す。 間違っていた、未熟すぎたと悔しくて、 この持っていき場のない気持ちに支配されているという事は、 自分を許せていないという事なのかな。 自分を許すってなんか、難しいです。 一歩進んでまた、このやり場のない気持ちに支配されて戻って、 また、同じ一歩を踏み出して、また、引き戻されて・・・この繰り返しが延々と続きそうで怖いです。 自分を許して、自分に自信を持って、前を向いて自分を信じてって、難しいです。

  • taro-john
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回答No.1

30代男です。 私も20代半ばまでは、ずっと自分を受け入れられませんでした。 特に容姿に自信がある訳でもなく、これといって秀でた所もない。 良い意味では、自分自身に厳しいけど、悪く云うと自分に自信が持てない。 そんな中でも、彼女ができたり、大学の同期に認められたり、会社で上司に褒められたりして、外堀を固めるかのように、周りからは漠然とだけど、自己存在の意義を教えてもらいました。 だけど、肝心の当人である私は、未だ自分を受け入れることができずにいました。そんな中で、自分の好きなとこはどこなのかしっかり考えてみました。 色々と考える中で最終的に辿り着いたのは、私は、「一生懸命頑張っている自分」はかろうじて好きだな、受け入れられるなぁと思えたことです。 一生懸命な自分=走り続けないといけない大変さはあるけど、適度に生き抜きしながらも自分を肯定できる人間でありたいと思っています。 正直、答えになっているか分かりませんが、質問者さんの何らかの足しになってくれたら幸いです。

noname#159513
質問者

お礼

一生懸命頑張っている自分は好きで受け入れられますよね。 私は今、頑張っているかな・・・ 自分を肯定できる人間という言葉は納得しました。 私は、ある事がきっかけで自分を肯定できずにもがいていると気付きました。 ある事も自分が選択した事なんですが・・・その前後、その選択に至るまでの経緯を考えるにつけ・・・自分や自分の将来の全て、自分の過去までも否定し続けて、停滞してしまいます。 少しヒントを得た気持ちです。