「個性尊重」の「個性」はどういうことなのか
個性の尊重と騒がれてから長いですが、この言葉の意味する内容がいまいちよくわかりません。
養老の「バカの壁」を読んでのことですが、例えば精神病者の中には、毎朝自分の大便で白い壁に自分の名前を書く、という習慣を持つ人がいると言うことで、ではこいいう「個性」を尊重すべきなのか?という問いに、どう的確に答えるのかです。それができるか否かで、この問題への真剣さ真摯さがわかるのじゃありませんか?
その精神病者の例に触れて、それは「尊重すべき個性じゃない」というのは簡単ですが、じゃあなにが、例えば教育界で「尊重すべき」個性なのか?それって結局は、教育のレールにのっとった、あらかじめしかれ方向付けされた上での「個性」でしょ。そんなものが「個性の尊重」になるのか。実に2枚舌欺瞞もいいところだと思うのですよ。
では、一般的コンセンサスにのっとったもの、誰でも納得できる内容の範囲内で「個性」なのか?そんな集団的な圧力のかかった付和雷同を押し付けられるような中で「個性」など存在できるのか?
ここのところをどう整理したら言いのでしょうか?