• ベストアンサー

自分が理解できないからといって、事情も知らずに、端から他人を否定するの

自分が理解できないからといって、事情も知らずに、端から他人を否定するのはよくないのに 結局自分も同じことをしていることに気づいてしまいます。 その人の気持ちはその人の立場にならないとわかりません。 自分本位の正義感を振り回す人が苦手です。 他人を認めないと、自分も否定することになるのですが、嗜好や考えが合わない人を認めるのは苦痛です。 結局、自分が嫌いな人と自分が同じ存在であることに気づいてしまいます。 人はわかり合うことができないのでしょうか?

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • justice4
  • ベストアンサー率40% (38/94)
回答No.1

人というのはそれぞれが、それぞれの考えを持って生きています。 似たような人、同じ事に共感できる人とて、みんな一人一人が違う人生で、価値観も違うものです。 人が誰かの痛みを聞く事で理解はできても、全く同じ体験をしなくては本当の意味での共感はできないものだと私は考えてます。 現に私自身がひどく落ち込んでいる時、慰めてくれる人もいますが、その人は私の本当の苦しみはしらないし、言葉じゃわかるはずもないです。 ただ私が口にした言葉から推測して『大変だね・かわいそうだね』と言ってるだけです。 もちろん同情し少しでも楽にさせたいが為、良くしてくれるのは本当なら感謝すべきでしょうが、時には『所詮は慰めでしかない』と皮肉に思う事もありますよ。 結局のところ、お互いが分かりあってると思ったって、同じ趣味・考え方などを持っていて共感してると言っても、実際は完全に何もかもを理解などできないのだから、本当の意味で分かりあうのは不可能だと思うんですよね。 肝心なのは 自分は自分!と自信を持ちましょう。 仮に嫌いな人と同じ事をしてるとしても、あなたはあなたなのですから。 わが道を行く!でいいと思いますよ。

sekiken
質問者

お礼

最後の3行で、すごく元気づけられました。ありがとうございました。

その他の回答 (3)

  • Oruko000
  • ベストアンサー率31% (335/1079)
回答No.4

「真の理解」は難しいと感じます。 同じものを同じように見ても、一人一人の感じ方は違います。 ですが、この「違い」という認識を持てることは、私はすごいことだと感じます。 「分かり合う」という作業は「違い」が解らなければ出来ませんし、分かり合うことが出来ない以上相手の全てを知った訳ではありません。 正義を振り回す人も、理解されないから主張するのではないでしょうか。 正義の裏には悪ではなく、また別の正義が存在するだけです。 私は「嫌い」と言える質問者さんの感覚が好きです。 理解しようとしなければ嫌いにはなれないと思うからです。 纏まらない文章、失礼いたしました。

sekiken
質問者

お礼

理解しようとしなければ嫌いにはなれないという考え、とても参考になりました。 素晴らしい回答ありがとうございました。

  • yu-taro
  • ベストアンサー率39% (3209/8203)
回答No.3

 こんにちは。  何かの考え、主義主張に凝り固まっている人ほど、自分は正しく、他人の意見を受け入れようとしません。  ニュースでも取り上げられている捕鯨団体の反対者で、日本の調査船の乗員に怪我をさせ、勝手に船に乗り込んだ船長が、逮捕され裁判で執行猶予付きの懲役刑がきまり、母国に強制送還されていましたが、帰国時のインタビューで自分は正しいと主張して反省の様子を一切見せていませんでした。  こういう主張が強い人は、時には犯罪を犯してでも、自分は絶対に正しく、そういう人といくら話しても理解を得る事は不可能だと思います。  分かり合える人もいますが、お互いまったくわかり合えず憎しみ合い、数百年も戦争をしている中東の国もあり、今後も変わらないでしょう。  相手を理解できない人は、おしゃべりで自分が話したいだけで他人の意見を聞かない人が割といます。そういう人とはあまり関わりを持たないで、話を聞いてくれる人と親しくなるのが良いでしょう。  人の話を聞かず、自分のことや強く主張したり、何かの考えに凝り固まっている人はある意味ではとても哀れです。  質問者さんは、他人を見て自分ことをがわかっているので、他人を反面教師として、そうならないように相手を理解することから始めると良いと思います。

sekiken
質問者

お礼

丁寧な返答、ありがとうございました。

noname#210062
noname#210062
回答No.2

自分が理解できないからといって、事情も知らずに、端から他人を否定する理由は、その人にマイナスの面があることを自分自身が理解してしまっていて、事情がどうであれマイナス面がある人よりほかにわんさかいる代わりの人を選んだほうが少なからず得だ。ということですね。 事情がどうであれ、相手にマイナスの面があれば、それいがいにでも変わりはいくらでもいますから。 どれだけ頑張って結果として返ってくる割合は、個人によって異なりますが、結果が多いほうが、寄り頑張ったのであるという確率は大きくなります。 どれだけ頑張って結果として返ってくる割合は、個人によって異なりますが、結果が多く出た人を人間は選びますよ。 とにかく頑張った証拠にはなりますからね。 頑張っても結果が出なかった人も、他には結果が出ている代わりの人がいるんですから。 結局他人の事情なんてわからないし、変わりはいくらでもいるから、人間はどんな事情があっても受け入れられることはあまりないということです。

sekiken
質問者

お礼

納得できる回答、ありがとうございました。

関連するQ&A