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最近、ことわざにはまってしまい辞書を片っ端から読み漁っています。

最近、ことわざにはまってしまい辞書を片っ端から読み漁っています。 友人に「なにがそんなにおもしろいの?」と聞かれても 上手く答えることができません。 私みたいにことわざが好きな人はいったいことわざのどこに魅力を感じていますか??

みんなの回答

  • henmiguei
  • ベストアンサー率45% (1764/3876)
回答No.2

先人の知恵の宝庫であり 物の考え方の側面やうがった物の考えかたを指南してくれる 私にとっては“人生の処生訓”がいっぱい詰まった宝物のような存在です。

  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.1

>最近、ことわざにはまってしまい辞書を片っ端から読み漁っています。 友人に「なにがそんなにおもしろいの?」と聞かれても 上手く答えることができません。 私みたいにことわざが好きな人はいったいことわざのどこに魅力を感じていますか??           ↓ 好きというよりも、師であり、道しるべであり、生涯の友であり、迷った時のヒントを示しマニュアルにも成ってくれる。 でも、その意味・意図を読み取り取捨選択&活用するのは、あくまでも自分であります。 諺・格言を見識と研鑽で事に望んで想起し応用し→その成果には心より感謝、失敗には勉強&努力不足を反省し、良きも悪しきも選び活用した帰結であり自己責任だと思います。 先人たちの経験や戒めや与件がギューッと詰まった新珠のようなモノ・結晶だと思います。 そして、簡潔にリズミカルに知恵や教訓や勇気や謙虚さを訓え諭し与え示して下さるモノだとも思います。 その諺が指し示す与件・リスク・希望と、時として反対の諺・格言がある。 その何れもが、人生に於ける判断・選択の岐路に立っている時に、背中を押してくれたり&押し止めてくれたりの道標・アドバイス・叱咤激励・お手本だと思います。 しかし、その諺・格言を選び活用するもしないも、何処まで信じ従うのかどうか・・・ それは自己の自由意志に基づく価値観・感性による選択であり、その結果責任も全て自らにあると思っております。 「諺・格言はヒントであり見守ってくれるが、頼り縋って他力本源・責任転嫁の具にしてはダメである」