人間の心や行動を支配し、制限するものには、二つあります。
死の恐怖と甘い誘惑です。
人間が容易に越えられない二つの問題ですが、「釈迦」という映画の中で、修行中の仏陀に襲い掛かった究極の試練でしたね。
ですから、力ある誰かが他の誰かに何かをさせようとした場合、この二つの方法に訴えるわけです。
暴力や権力は前者でしょうし、金や地位や女は後者になります。
これらに人間は屈してしまうのです。
言い方を換えれば、これらの根本はみな自己愛によるものです。
自分の命がかわいいからそれを失いなくないし、自分の欲を満たしたいからそれを満たす誘惑に弱いのです。
つまりは、自己愛の壁を越えられない点にくる試練なのです。
よってこれをこえる道は二つありません。
自己愛や自己への執着心を越えるには、その反対の生き方、つまり自己犠牲、自己否定しかないのです。
自分という我欲=強烈な自己愛・・・愛はこの世で最高最強の力を秘めていますから、強烈なのは当然です。
これを粉砕するには、愛という力の方向性を変えるしかないのです。愛の方向を自己から他へ向けられるかということです。
愛する者のために自分を捨てることができたなら、死も誘惑も自分を縛ることはできなくなるのです。
それはまた、自分への囚われから解放された、「本当の自由」「本心の自由」でもあります。
話は少し別になりますが、
中国の少数民族を何故中国当局が恐れるかと言えば、死の恐怖にも屈せず、誘惑にも屈しない精神を持った民族だからです。これが五民族いますが、この五民族が打倒中国に結束し、台湾も同調したりすれば、おそらく大国崩壊のきっかけとなることは間違いないのです。
テレビでもウイグル族やチベット族の暴動に動揺するのは、中国が一番恐れている証拠です。
他の残りの少数民族や台湾まで刺激してしまう前にすぐに片付けたい動機がありありと見えます。
最後に、話がだいぶ反れてしまったことをお詫びします。
お礼
よく分かりませんでした。 ありがとうございました。