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ジェノサイド(民族浄化・大量虐殺)はなぜ起こるのか?
- ジェノサイド(民族浄化・大量虐殺)は民族や宗教、教育、時代によっても差がなく起こりうる。特定の状況におかれた人間は普段温厚な人でも残虐性を発揮し、隣人を惨殺することがある。
- ジェノサイド(民族浄化・大量虐殺)の原因は政治的・歴史的な要素だけでなく、人間の根源的な残虐性も関与している。一定の条件が揃うと人間の残虐性が呼び覚まされ、普段は見えない暗黒面が現れる。
- ジェノサイド(民族浄化・大量虐殺)の背後には様々な要素が絡み合っているが、人間の残虐性が最も重要な要因と言える。人間は生まれつき持っている残虐性を特定の状況下で発揮し、他人を非人間視したり殺害することがある。
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私たちは「人間は理性で行動をコントロールできる」と考えがちですが、実際のところは本能にかなり左右されていると思います。 教育に大きく左右されるでしょうが、じゃあなんで教育に左右されてしまうの?と言ったら、結局は「本能」という答えにたどり着くでしょう。 長期の教育だけでなく、短期の情報でもやすやすと左右されますよね。 状況によって、人は仏にも鬼にも変わります。 虐殺のような極端な行動まではいかなくても、このような現象はいつでも見られます。 例えば、何年か前、崖に登って降りられなくなった「崖っぷち犬」が話題になりました。 犬が救助された後、その犬を引き取りたいという人々が殺到して、抽選ということになりましたが、 崖っぷち犬の姉妹と思われる別の犬2匹も同時に希望を募ったところ、応募はゼロだったとか。 また、それ以前に、崖から降りられなくなってメディアに取り上げられなければ、どんなに飢えて苦しくても、人々から見向きもされなかったはずです。 たぶん、あまりに哀れな状況を見せ付けられると、「助けたい」と感じるスイッチが脳に仕組まれているのだと思います。 虐殺でも、自分たちが侵攻したときに、すでに他の誰かの蹂躙の跡があれば、救助にまわる可能性があると思います。 ほかにも色んなスイッチがあるようで、 小さくて丸いもの、目の大きいもの(赤ちゃん)を見たら、かわいい、助けたいと感じるスイッチ、 他人の不孝を幸福と感じるスイッチなどがあるようです。
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- kawasemi60
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人間の残虐性を呼び覚ますのは【未経験の繰り返し行動】です。 殺人に慣れていない人達は行動の手順が成立して いません。手順の情報収集の為に取れる行動をい くつも試す事が起きるのです。銃でつつくとか、 ナイフで刺すとか多くの行動が取られるのです。 まぁ~料理や調理に似ているのです。 手順を身に付けるまで結構無茶も平気ですよね 残虐事件の多くが習慣的犯罪者より一般人の方が 残虐性が高いのはいつも感じている所です。 集団心理となればこれが大幅に増幅される。 防止策としては空想で経験を積む事です。
お礼
お礼が遅くなってしまってすみませんでした。 残虐性が増すのは、 未経験だから、加減を知らない →集団心理によって残虐な方向に増幅されやすい ということなのですね。 ありがとうございました^^
- pokoaruki
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No.6、追記です。 個人的に、ジェノサイドに大きく関わっているであろうと思っている人間の特質がいくつかあります。 「他人批判に快感を感じる」「敵(仮想敵も含む)の存在で気分が高揚する」「ステレオタイプで判断したがる」等です。 マスコミの偏向報道を責める人が大勢いますが、実態として偏向報道は人々の心を強く捉えます。 偏向報道の多くは、政治や行政や企業、タレントなどの負の部分を引きずり出して、視聴者に「さあ、批判してください」と差し出す内容です。 このとき、ステレオタイプで判断すると、その対象を一方的に悪者と決め付けることが可能になり、トコトン駄目な奴として断罪できるようになります。 ステレオタイプのカテゴライズは、「自分以外の誰か」であれば誰でもよく、 男、女、○○国人、無責任な若者、強欲な老人、政治家、公務員、マスコミ、身勝手な都会人、無知蒙昧な地方人、富独り占めの金持ち、努力をしない貧乏人…など限りなく存在します。 こういった感情はたぶんかなり原始的なものではないかと思います。 「隣村の奴ら」「○○の家の奴ら」みたいな言い方を小説や昔話でも見かけますし、 子供でも「○○小学校の奴らは卑怯」「○組は生意気」みたいなことはいつの時代でもありますよね。 私は、こういった感覚は「相手を低く見て、不利益は相手に押し付け、利益を自分が取りたいために起こる無意識的な心理」だと思っています。 自分の心の中で思っているだけでなく、なんで相手にぶつけるかというと、相手が「そうか、自分は劣っているから利益を取られてもしかたないな」と降参してくれれば、 不利益を押し付け、利益を奪い取るのに楽だからです。(「身分が違うから仕方ない」とか諦めることが、実際多くありますよね。) 完全に私見なのですが、そこに住んでいる民族を追い払おうと思ったら、よほど強烈な(負の)ステレオタイプで相手を嫌悪し、 自分の中の正当性を鼓舞しなければ無理なのではないでしょうか。 ああ、それと、殺戮に快感を感じる感覚は、たぶん誰もが持っていると思います。 映画などの戦闘シーン(肉弾戦、銃撃戦、メカ)や暴力シーンに血沸き踊る感覚は、それにつながっていくものでしょう。 狩や釣りも、生命の抵抗感の手ごたえを楽しむものではないのでしょうか? ジェノサイド時の感覚は、特殊に切り離されたものではなく、人間の本能が、特定の条件で激しく出たものであると思います。
お礼
ありがとうございます^^ 人は、生きるために何らかの共通項を求めて集団を意識する 利益を得るために、「敵」を攻撃したがる →このような本能が、マイナスの極限状態などによって刺激されて、激しく出る ありがとうございました^^
- eroero1919
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ユージン・スレッジさんという方が太平洋戦争で海兵隊員として参戦した手記を「ペリュリュー・沖縄戦記」として出しています。知られざる名著というべきでしょう。そこには、戦場という極限状態で人間がいかにして人間性を失っていくかというのが正直に描かれています。 小便をするときに、可能な限り日本兵の死体の顔に小便をかけていた下士官がいたそうです。これは著者も「このような男が同じ海兵隊にいるのが恥ずかしかった」と残していますが、多くの兵隊は日本兵の「金歯」をお土産として持って帰りました。中には、まだ息のある兵隊からナイフでこじ開けた兵士もいたそうです。 日本兵も負けてはおらず、あるときスレッジさんが戦場で米兵の死体を見かけたそうですが、その米兵は首と性器が切り取られ、その性器を切り取った口に放り込んで身体の上に乗せられていたそうです。 こういった「戦場の残虐行為」は少なくともビジュアルとしては、あのゴヤがスペインに侵攻してきたナポレオン軍との戦争の残虐行為の記録を絵画として残しています。ゴヤは晩年非常にグロテスクな絵を残したことで有名ですが、その背景には戦場の残虐行為を目の当たりにした体験があるのは間違いないでしょう。 あの織田信長も、伊勢長島の一向一揆を女子供も含めて全員焼き討ちにしていたりします。彼の命令を彼の軍勢が実行したというのを見逃してはいけません。 また近年のチェチェン内戦では、あるときロシア軍兵士がチェチェン軍のスナイパーを捕虜にしました。このスナイパーはなんと女性で、しかもロシア人だったそうです。ロシア人でありながらチェチェン軍に味方ししかも大勢の兵士を殺したこの女スナイパーに対し、ロシア兵たちは彼女の手足をロープで縛りジープにくくりつけて「四つ裂き」にしたそうです。 なお、民族思想というのは第一次世界大戦より少し前から出てきた比較的近代的な思想です。たぶんきっかけはフランス革命だと思いますよ。フランス革命以前は民族思想的な「○○人」ていう考え方は希薄だったと思います。ユダヤ人の「シオニズム運動」というのもこのへんから始まっていたと思います。 アフリカのジェノサイドについては、また別の考え方をしなければならないようです。私も最近知ったのですが、アフリカ人のいうところの民族(○○族)というのは、血筋的なものではなく、「その部族社会に属すること」に近いそうです。つまり、「俺、今日から○○族になるわ」ってのがアリなんだそうですよ。この辺は私の知識不足もあるのでこれ以上はやめておきます。
お礼
お礼が遅くなってしまってすみませんでした。 極限状態が、人間を残虐性に向かわせることが、よくわかりました。とてもおぞましくて、気持ち悪くなってしまいました。 民族思想というものは、近代の思想なのですね。 ユダヤやアフリカのお話を聞くと、民族というものは人種ごとではなくて、生きるための共通の目的や価値観ごとに集まっているような気がしました。 極限状態になると、残虐性は、自分とは共通しないものに向かうのかな… ありがとうございました^^
- odaigahara
- ベストアンサー率20% (373/1832)
あくまで参考マデ。 欠乏感、不安が極限までいけば、人間は自分のことしか考えられなくなるのではないでしょうか。民族を大切にするというのは1つの合理的な理由であり、それに誘導させられただけのように感じます。 やはり豊かな社会がいいと思います。
お礼
お礼が遅くなってしまってすみません。 マイナスの極限の状態が、人をそのような行動に向かわせるみたいですね。 やはり豊かな社会が良いですね^^ ありがとうございました^^
- thorium90
- ベストアンサー率20% (365/1769)
憎しみと恐怖は不滅で それらを克服する強さは、万人にはありません。 憎しみは、未来永劫の復讐心を持ち続け 恐怖は、早期に相手を亡き者にしなければ自らが と言う事です。 残虐性は一部の個人の物なので、残酷とはちがいます。 残酷性とでも言いますか 「民族や宗教、教育、時代によって、差があると思えない。」 のは当然で、生物独特の持つ性です。 逃げ切れない、離れられない、「持ち物」です。 死を理解できる人間は、特に強いです。 今の日本は、教育が充実しているように見えますが 実は、何も知らないだけです。 正しく解決するための紛争さえ滅多に無く 困窮しても、耐えるだけです。 不思議です。 理想国家かもしれません。
お礼
お礼が本当に遅くなってしまってすみませんでした。 憎しみと恐怖に負けて出てくる衝動のようなもの、ということでしょうか? 生物独特の持つ性 逃げ切れない、離れられない、「持ち物」 …難しいけれど、なんとなく、わかります。 「本能」、なのでしょうか。。 ご回答ありがとうございました^^
- k_k13
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私見ではありますが、やはり「思想教育」が一番の要因ではないでしょうか? 中でもわかりやすいのが宗教的な選民思想 特に唯一神思想の宗教は他宗教や他宗派に対して攻撃的来になるのは歴史が示す事実です また、宗教は権力者が人民操作をするためにもってこいのツールだったことも歴史が語っています 宗教的価値観の相違や思想洗脳の効果が抜群に高いのはオウム事件が如実に示していますしね 現代でもキリスト教や創価学会などは「他宗教の信者は地獄行き」と聖書などで公言しています このような宗教的思想が選民思想を招き、結果自分達は選ばれた者で他人は選ばれなかった者(選ばなかった者)と区分することで、「同じ人間である」という認識を破壊する事により迫害・暴行・殺害・虐殺への心理的ハードルを下げ、宗教リーダーに盲従させるのではないでしょうか? また、宗教教育は家庭や学校で継続的に施しやすく、反発を招きにくいという点も重要なファクターではないでしょうか?現にバチカンは数年前まで進化論を否定していましたし、アメリカの一部の州ではキリスト教の教義を重視し進化論を公的教育では教えない州があります(人は神をモデルに作られた完成品であり、猿から進化したという考えを受け入れない)し保護者の多数がその方針を支持しています ナチスのアーリア思想や人種差別なども基本的には「相手を人間として扱わない」あるいは「劣った存在と認識する」点に集約されている様に感じます 民族浄化という言葉にもその点がよく現れていますよね 一部地域では長期的な対立が報復の連鎖を生み出し相手集団自体への強い報復感情となり虐殺を招いた例もありますが、やはり宗教的なものが最も大きなものではないでしょうか?
お礼
詳しく回答していただいてありがとうございます。 やはり、下の方がおっしゃっていたように、教育、それも思想教育は大きいようですね。 宗教は良いところもあるようだけれど、一歩間違えると恐ろしいですね。 宗教が支配のツールとなっていたとは。確かに言われてみればそうですね。 宗教的リーダーによる思想教育の結果、人々の間に選民思想や自民族中心主義を生み、「同じ人間である」という認識を破壊する、 そして、迫害・暴行・殺害・虐殺への心理的ハードルをじわじわと下げる、 さらに、集団心理によって、良心か何かが一気に崩壊する、といったところでしょうか。 納得です。ありがとうございました。
- 4490180
- ベストアンサー率28% (76/264)
弱肉強食の自然界の掟の中で頂点に立ったのがホモサピエンスだから。
お礼
ご回答ありがとうございます。 弱肉強食の自然界。そうですね。 理性も何もかも、無駄になってしまうのでしょうか。 悲しいものです。
- akiko0828
- ベストアンサー率18% (341/1862)
いわゆる”集団心理”ってもの?
お礼
ご回答ありがとうございます。 やはり集団心理ですか。 もし自分がそんな集団の中に居たら、と考えると恐ろしくなります。 人間って、いったい何なのでしょうね。
- aokii
- ベストアンサー率23% (5210/22062)
教育です。
お礼
ご回答ありがとうございます。 確かに、教育というのは大きいですね。 こういう場合は大人になってからでも有効なのでしょうか。
お礼
お礼が遅くなってしまってすみませんでした。 犬のお話、とてもわかりやすかったです。 人に情報を与えるのにかかる時間の長さは、あまり関係ないようですね。 とにかく人の脳みその中にあるスイッチが押されて、 「本能」が「理性」を上回る瞬間があれば、 人は行動を起こすみたいですね。 時間をかけた教育や宗教が、どうして簡単にひっくり返されるのか、疑問に感じていたので、 難しいですが納得できた気がします。 ありがとうございました^^