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(大東亜戦争時の海軍) 戦死者の水葬の記録は?
(大東亜戦争時の海軍) 戦死者の水葬の記録は? 大東亜戦争当時、艦船上での戦死者は水葬されていたと思います。悲惨な負け戦の状況下での水葬は略式の略式の、そのまた略式の簡便なものだっただろうと想像します。 どんな様子でしたか。何か記録が残っていませんか。 よろしくお願いします。
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1944年(昭和19)10月のレイテ沖海戦における軍艦「長門」での水葬。 > 戦い敗れて帰投する気持は淋しかった。二十六日、水平線に夕日が沈む頃水葬式を行なった。遺体を後甲板に安置する。髪の毛と爪を取って封筒に入れ遺品として残し、毛布三枚に包み、四十キロ演習弾を抱かせ、五ヶ所を固縛して名札を付け、一体ずつスベリ台からブルーの海に落した。その中で一番哀れだったのは、日の丸に包んだ足首だけの遺体だった。爆弾で体は飛び散り、足だけが残ったのだが、脚絆で五分隊の高橋兵長と判明した。この小さな遺体に涙が流れてならなかった。(原文ママ 資料:河野庄兵衛「戦艦長門奮戦す」より 『増刊 歴史と人物 秘史・太平洋戦争』中央公論 昭59 所収 なお、戦闘中は、戦死者を仮遺体安置所に積み重ね、戦闘後引用文のように水葬用に遺体を包み喇叭手による海軍礼式曲「水漬く屍」の吹奏のもと厳粛に行なわれました。
お礼
拝読しました。 戦争とは実にまぁ、何から何まで凄まじいものだと改めて思い知らされました。 軍人だし、海軍だし、こういう葬送のあり方に意味づけをすることは容易なのかもしれません。しかし、どんなに巧みな意味づけをしたところで、遺族の前で口に出来るとは到底思えません。だからといって、条件を考えれば、他にどういう方法があるのか。どうにも言葉が出ません。 ご回答がヒントになって「信濃」の例に出合いました。ほぼ、共通した葬送のようです。 http://aimy.or.tv/book/book_63.html 有り難うございました。本日中に何方様からも新たな回答がない場合は当方の勝手次第で締め切ります。