• ベストアンサー
※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:”部落民”の表現について)

部落民問題の認識度と差別的表現について

このQ&Aのポイント
  • 海外でのQ&Aサイトで「主流の日本人は部落民とは呼ばれていないのか」という差別的な質問がありました。
  • 部落民問題の認識度や捉え方は地域差があるようです。
  • 日本人が部落民問題について十分な情報を持っていないことに驚きました。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
回答No.13

 私が住まう地区には、いわゆる「先住民族」が住む 地域がありました。それは、「部落」「コタン」と呼ばれ、 今は、観光地となっております。    本州などから移住してきた人たちが殆どなので、あまり、 「部落差別」は無いように思います。  どちらかというと、「新らし物好きの、厭きっぽい」人達 が多いようにも思います。  この一般の「部落民」と言われる人達は、「同和」の方達 と同義語のように言われますが、私の地区では、普通にその 「場所」の事を「部落」と言ったりするので、取り立てて難しい 意味はありません。  確かに、言葉の捕らえ方は地域差があると思いました。  しかし、この「同和」問題に関してはやはり、今現在の認識不足 が多く、一部の人達が「差別」「悪行」をする大義名分にされてい るような気がしてなりません。「エセ同和」がそうですよね。  江戸時代以前は「戸籍」が無い人達が、国民の9割近くを占めて いました。  今現在も日本国内には、「戸籍」が無い人達が少なからず存在する 事もまた事実ですよね。    そういった点では、江戸時代以前より、「戸籍」を持つ人々は 立派にその地域では、「名士」だった可能性の方が高いのも事実です。  江戸時代以前は、住民が自分の土地を持つことや、県境には門が設置され、 他の地区に旅行する事もキツく規制されていた時代です。  その時代において、例え士農工商の身分制度の中にあっても、最下層に 位置していたという事は、「それなり」の人達だったのです。  江戸時代は歌舞伎役者ですら、「河原乞食」と言われていたのです。 また、明治以前の、技術も物資も乏しく、自由に好きなことを学ぶ事すら ママならない時代に、大工や染物職人、菓子職人、皮革職人、蒔絵職人、 等々、今現在ですら「テクノラート」なのですから、さらに昔はどれだけ の大事な技術だった事でしょう。  今現在も代々と、何世代も同和地区に住まう人達は、結構、明治時代以前は その地区の「名主」だったそうですよ。  同和問題の文献を読むと、そういった事が分かり、勉強になりますよー。  だから、明治時代以降に、国民全員に、「姓・名」「戸籍登録」が義務化され、 昭和の初期まで、その事が浸透しなかった事実を知るにつれ、「同和」と呼ばれる 方達への差別は、戸籍や苗字を持たなかった、他9割の国民たちの反乱、のような 気もします。

noname#188303
質問者

お礼

無知な回答へこれ程の時間をかけて頂いたことには 大変嬉しく思い、また感謝しおります。 isozakinoi様の回答は、私自身のこれからの勉強の 課題となるでしょう。 本当にありがとうございました。 この場を借りまして、他の皆様へも御礼申し上げます。

noname#188303
質問者

補足

回答者様がどちらにお住まいかは分ります。 そしてこれまでの私のコメントに目を通して頂いていると思いますが、私は(愛知県出身なのに、まるで勘違いしていて)、「(特に農村で人口の少ないような)場所」の事を「部落」と呼ぶ、のように捉えていたか、真剣に考えたことすらありませんでした。 しかし、特にisozakinoi様のお話を読ませて頂くうち、何かとダブルと思っていたら、それは迫害されていたユダヤ人のことでした。 マイノリティーとして、時の権力によって辛苦を味わった民。 しかしその実、マジョリティーの嫉妬心を刺激したのは彼らの”才能”でもあったのですから。  どんな社会においても、”混沌としたストレス”というものが ”反乱” の引き金になる、というのは歴史が証明していますよね。 二つ質問させてください。 1.最後の 文章ですが、”昭和の初期まで、その事が浸透しなかった事実” と書かれたは、”戸籍登録が義務化された後も、昭和のある時期(初期)までは、制度として完全な機能を果たしていなかった” という意味でしょうか? 2.同和問題の文献として、何かご紹介頂けないでしょうか。

すると、全ての回答が全文表示されます。

その他の回答 (15)

回答No.16

 ANo.2及び12において回答してきているものです。  アサヒコムの報道を読んで、関連的にhttp://okwave.jp/qa/q6424867.htmlで質問をだしましたが、質問の趣旨をずらして回答される方にどのように納得してもれえるか苦慮しています。  その方はアサヒコムの報道でも私の質問でも出していない、被差別部落と第三国人のことをぶつけて、“不当だ”とか“人間として恥ずべきことだ”と仰せです。  被差別部落の方や東アジアの在留日本の第三国人が暴力団の組長だとは私は申し上げた事は全くないのです。  無論、アサヒコムの報道もそこまでは言及していませんので、私はその組長が為り染めの被差別の方とも第三国人とも知りませんでした。  今もそうだとしりません。  それを断定的に投稿される人にわかってもらうにはどうしたらいいのだろうか。ご助力をお願いします。

noname#188303
質問者

補足

内容拝見させて頂きました。 2者によって回答が寄せられたようですが、先の回答者はIDや文章からも(実生活ではコンプレックスがあるか、虐げられた経験を持ちそれを表現できないでいる)外国人であることは明らかです。 2者目も真剣に回答を書いているようには思えません。 つまり、こういう内容をまともに受けてコメントされていては、荒れていく結果となるだけでしょう。 一先ずはコメントは一切書かずに、良識のある回答が投稿されるまでお待ちになった方が得策かと思います。 荒れてしまっているページには、”まともな人も” 回答も寄せられませんから。。。 内容については、後ほど。。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.15

 思いのほか、長くなってしまい、申し訳ありません。  質問2についてです。    私は正直にいうと、被差別部落・同和についての本は 3冊しか読んだ事がありません。しかも、図書館でした。 題名も覚えておりません。申し訳ありません!!  しかし、被差別部落・同和についての本の出版は、非常に 少ない、と思います。出版されても、どれだけの本が、何年も 書店に並んでいるのか。  私の住む地区の図書館にも正直、私が検索したら3冊も無くて 、びっくりしました。  なので、文学作品からちょっと、ご推薦を。  (1)「華の碑文」    杉本苑子 著 中公文庫(昭和52年刊行)  (2)「傾く滝」     杉本苑子 著 講談社文庫(昭和60年刊行)  (3)「観阿弥と世阿弥」 戸井田道三 著 岩波書店同時代ライブラリー(平成6年刊行)  上記、三冊は歌舞伎役者と、猿楽(能楽)者について書かれた小説2冊と解説書です。  当時、猿学者も歌舞伎役者も「河原乞食」と呼ばれ、社会の底辺の存在のように 言われていました。指導者が代わるたびに彼らは時代の波に翻弄され、時に、芝居小屋を 追い払われ、時に流罪に逢い。且つ彼らは時の指導者と密接に関わっていた人たちなのだ と、実感できます。  (4)「金閣寺」 三島由紀夫 著 新潮文庫  有名な三島由紀夫さんの著書です。  寺社仏閣というのもまた、差別の対象だったのです。イメージとして、僧侶や神官は 権力者のように思いがちでしょう。でも、やはり、指導者や時代背景によって、脇に 追いやられる人たちもいたのも事実です。また、そういった寺や神社の下働きをする人 達も、また差別されました。この金閣寺の放火事件はまた、歴史の事実ですが、三島 由紀夫さんがどういった気持ちでこの作品を著したのか、この放火犯はどういった 階層に属していたのか、そういった事を考えます。また、この金閣寺を創建した、足利 義満及び、足利家は猿楽者を手厚く擁護したことでも、知られています。  (5)「軽蔑」 中上健次 著 朝日新聞社(平成4年刊)  (6)「賛歌」 中上健次 著 文芸春秋社(平成元年刊)  (7)「救い主が殴られるまで(燃え上がる緑の木)」 大江 健三郎 著 新潮社(平成6年刊)  これらの本は、取り立てて、具体的な本ではありませんが、現代の差別される側の、社会の 底辺に暮らす人たちの事が、描かれています。  この本に描かれる人たちは、差別されたから仕方なく、の人生なのか。自分から選んだ 人生なのか。そこが、楽園なのか地獄なのか、良く分からない世界に住んでいる人たちで す。  すごく、対照的な本ばかりですけど。考えさせられます。  差別は、誰がしているのか。  そういった事を考えてしまいます。  長々と申し訳ありませんでした。    本については、少し消化不良かと思いますが、お許し下さい。   

noname#188303
質問者

お礼

新たに質問などして”ビビらせて”しまって、すみません!(苦笑) また、愚問にも拘わらず、こんなにたくさんのご説明を頂いて恐縮です。 挙げていただいた著者名、、、司馬遼太郎氏の著書を一冊(というか「竜馬は行く」前編)しか読んでおりません。。  自分でも調べてみたのですが、有名な「破壊」(島崎藤村)がそうだったのですね! また母に聞いてみたところ、彼女は「橋のない川」(住井すゑ)が前編を読んでおりました。 両親からは(県下に被差別地域があったにも拘わらず)、それを示唆するような発言は全くありませんでした。 こういう自らの家族環境にも改めて感謝しています。 読書は、これからの課題ですね。 ご丁寧な回答、感謝申し上げます。 (一つにまとめさせて頂きました)

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.14

 補足ありがとうございます。  少々、ビビりました。  質問1について  明治という時代が始まり、新政府になってからも、反政府の運動は 続きました。確実に明治20年代まで、その後始末は続きました。  明治政府は余りにも、急激にそして、厳しく新政府の政策を、全国に 広めようと躍起でした。世界に追いつけ追い越せ!それは、歴史の教科書を 読めば、西南戦争が有名ですが、そういった運動が各地に起きた事が分かります。  明治政府に、「否」を叩き付けた人達は少なからずいたのです。それは、士族だけでは なかったでしょう。急激な外国化。それは現代に置き換えても、私たち一般の市民は 戸惑うのでは?首相が交代するだけの騒ぎではないのですから。至る処に、反政府 を唱えた人達が、捕らえられては晒し首にされ、町角に置かれている、そんな薄ら 寒い光景があったのは、新撰組の残党が明治以降にどんな事になったかを考えると 分かります。近藤勇の最後はかなり壮絶でした。近藤勇の死体の一部を持ち帰った 人達もいたと、何かの本で読みました。それは、死者への侮蔑、というよりは 新政府への不満が渦巻いていた事の表れのような気もします。旧幕府を手伝っていた 人達を手厚く弔いたい、という気持ちの表れのような気がします。  それだけに、新政府は旧幕府の人達を敬う人達に対しては断固とした態度を取りました。  新政府のやり方に賛同し、新しい日本のやり方に賛同した人達もまたいました。 彼らはいち早く、姓名を決め、戸籍を取得し、外国に行ける者は、外国に行って 積極的に、外の文化を吸収しようと勤めましたね。それは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」 を読んでも彼らがどれだけ、新しい日本を喜んでいたか、また戸惑っていたか、 分かります。  その後、明治後期から大正時代は「自由民権運動」がありました。これは市民にも、 労働運動権を参政権を数々の、自由を求める運動でした。こういった、歴史の項目を 見る限りにおいても、一般への戸籍取得への動きは、思うより進まなかった、という 現れでもあります。まだ、市民はいわゆる「通り名」を使っていた。「いみ名」を 使っていた人達が多いのです。実際に戸籍を取得していた人達は、思いのほか少なかった のです。  思いませんか?明治以降の政治家や、あと新撰組の残党さん達などが、苗字や名前を 変えた、といった事を知りませんか?それは何より、「戸籍」が浸透していなかった からでもあります。   それに、参政権の運動が起きる、という事が何を意味するのか。  労働組合組織の運動が起きる、という事が何を意味するのか。  以前、小林多喜二の「蟹工船」のプチブームになりましたが、小林多喜二は実際に、 自由民権運動に参加し、警察に捕まり、死亡しているのです。関東大震災が起きた後に ある思想家がその震災の混乱に紛れて、殺されているのです。日本は明治・大正・昭和 初期まで確実に「暗部」を抱えていたのです。  そういった中にあり、市民、国民全員の「戸籍取得」もままならない、混乱期だったの です。  そういう事を、考えると自然と「戸籍」の件も理解できます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.12

 ANo.2:補足というより再投稿です。  先祖は水戸藩ですが幕末から東京。私自身は二二六あたりの東京生まれ東京育ち。  浅草ですが、タブーとされる地域はありましたが、どんどん混在やら付き合いが多くなり、特別ではなく為しました。そんな話も忘れられてしまいました。  戦災で焼け出され江戸びとが大川といった隅田川を、荒川をそして綾瀬川などを渡った地域(葛飾柴又の寅さんの近く)、将軍のお狩り場地域ですね、敗戦直後、朝鮮部落って言うのが数箇所ありました。  でも戦勝国側の立場の人たちですので、事業を展開して大きなお金を持つ人たちになりました。  そしてその地域が曽って、そのように呼ばれていて特別視されていたことなど、今の誰にいってもわからないでしょう。  どんどん歴史が歩み、開(明)け放されていくとそんなことは問題にもならなくなるのでしょうね。  私は日本列島での古族(所謂る“服ろわない:まつろわない”民の薩摩隼人、熊襲など)、土蜘蛛などにとても興味がありますが、そういう古族には日本心性の根源を求められないものでしょうか。  被差別の方々の古いご先祖は大和の侵略勢力と異なる文化心性が残っていないのでしょうか?  無論、経緯のなかで職業からの被差別もありましょうし。  そして古族としてはサンカの方、遍歴の木挽の方、そういう方にも日本の構成要素として大事なテーマです。  私の地域には木挽きのお父さんがいます。  倅さんはもう大工の棟梁です。  いろんな話は興味が尽きません。  曽ってこの教えてで、サンカの方の質問をしたら、差別のことであるから、そんなことを問題にしてはいけないと注意されました。  どうしてサンカが差別されるのか。箕作りの専門家だし、川漁師でしょう。  私はサンカの方の作と思われる、大きな箕を手にして大事にしています。  早くそういう、いわれのない差別の論理がなくなることが大事ですね。  インドのことを45年ほど独学。  被差別階級が特別扱いを要求しているそうですが、向こうの国情では理由があるのかもしれません。  でも日本では、特別扱いしなければいけない理由は何もありません。有害無益です。早く開き、明け放して欲しい。

noname#188303
質問者

お礼

再びお越し頂き、また大変興味深い情報を投稿頂きまして、 ありがとうございます。 ”サンカ”という言葉さえ知りませんでしたので、ウィキペディアを 読んでみました。 民俗学のフィールドまで及び、何だかとても視野が 広がる思いです。 ”幕末から発生した流民の、虞犯者に対して「川魚漁をし、竹細工もする、 漂泊民」の呼称であるサンカが(「山窩」という当て字で)使われ、それが マス・メディアに載って流通し、一人歩きした果てに、異なる習俗をもった 日本の異なる種族の如き意味を孕むに至った” この文章にハッと致しました。 日本にはマスコミに翻弄され、”一人歩き”していく言葉がなんと 多いことでしょうか。。。 そして、その姿形の変わってしまった言葉は 乱用、誤用、悪用、利用されるのです。 傷つく者がいるとしたら、 いつも、少数派、弱者でしょう。 否定できない、現実にもう存在し得る 方程式かも知れません。 こういう現象は海外ではあまりないのです。  日本特有の ”団体主義”が生む一つの社会性の現れのようにも感じます。 大いに勉強意欲の湧く素敵な回答に感謝いたします。

noname#188303
質問者

補足

大工という文字を見まして、ひと言。 夫は外国籍ですが、東京に10年ほど住んでおりまして、”経師職” (当時は私はこの言葉を知りませんでした)も経験しています。 我々が東京最後に短期間住んでいたのは正しく隅田川に近い ところでした。 焼肉が好物の夫と韓国料理をよく食べに行き、 韓国人の経営するリフォームでよく洋服を直してもらっていました。 私の中では平和でしたが、”無知=平和” ということでしょうね。 インドの独学どうぞがんばってください。   私の目から見たインド人(他国へ移民)は、数学に強く、IT産業に 多く貢献しています。 本国のインド人と表情(特に「目」)が違うように 感じます。 何かを諦めているような目です。。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • mota_miho
  • ベストアンサー率16% (396/2453)
回答No.11

”部落民問題”という言い方に疑問を感じます。いわゆる被差別部落に住んでいる人に問題があるわけではありませんから。

noname#188303
質問者

お礼

なるほど。 確かに失礼ですよね。 正しくは”~に関わる問題” でしょうか。 日本語の表現がよく短縮されるために、ともすれば誤解を招く、 という一つの例かもしれませんね。 おそらく、マスコミでそういう表現がまかり通っていたために ウィキペディアにも、そのタイトルで情報が提供されています。 違った視点での回答をありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1826)
回答No.10

>”部落民問題”の認識度や捕らえ方は地域差が現れる、ということでしょうか? 関西・関東或いは西日本・東日本での温度差及び認識の違いは当然あると思われます。 父親から聞いた話で申し訳ないのですが、東京もかつて所謂同和地区が存在したとの事、但し東京大空襲で殆んどが焼け野原になってしまい、自然消滅に近い状態になったと聞きますし、体感的には現在東京でその種の差別は殆んど感じられません。 しかし西日本の一部(推測の域を出ず、又地域も特定出来ませんが)では未だに居住地域・職業での結婚差別が存在しているやに伺います。 尚余談ではありますが「えせ同和」と称せられる弱者・被差別民を装った圧力団体が、行政機関や企業に賛助金の強要や恐喝を行う事件が頻発したり、飛鳥会事件では被差別部落出身の暴力団幹部が同和行政を食い物にして逮捕されたりと、同和に対するマイナス・イメージの改善は遅々として進まない気がしますね。 

noname#188303
質問者

お礼

全般的なことを素晴らしく端的に説明されています。 自身も東京での暮らしが長いのですが、いわば ”よそ者”と して居住していたせいか、その言葉さえ全く知りませんでした。 ”温度差” についてですが、海外におりましても、一見開けっ ぴろげに見える西日本の方でも、 その内面には ”保守性” が かなりあるということは常々感じていたことです。 最後の ”「えせ同和」と称せられる弱者・被差別民を装った 圧力団体” のお話は大変貴重です。  何故なら、”人間の卑しさ” というものは、実はそういう人間の 内面にあるのであって、つまり、過去の古めかしい分類名に 過ぎない”部落”というものを利用し、己の醜さに気づかない、 という証明でもありましょう。 この度の回答、大変ありがとうございます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
回答No.9

部落民問題よりも部落民問題を広げている 者達の方が大迷惑です。 血筋を調べ尋ねて来ると地域での同和代表 にならないか?と誘うのですよね。そうや って配下を増やし周辺や自治体から私益を 得ているわけですね。現在では私益集団 の一つに過ぎないですね。結婚がどうとか の意見が在るようですがそれを問題にする のは名家ぐらいでしょう。普通の暮らし振り で結婚の差別が在るとは思えません。 同和集団というより私益集団でしょうね。 なにせ暴力団と同等以上の集団行動。

noname#188303
質問者

お礼

とても重要な情報をありがとうございます。

noname#188303
質問者

補足

"部落民問題よりも部落民問題を広げている 者達" --> が存在するとは、これもびっくり致しました。 ”血筋を調べ尋ねては、地域での同和代表 にならないか?と誘うのですよね。そうや って配下を増やし周辺や自治体から私益を 得ている” →そんな集団がいるのですか!? これは 明らかに民法に反する行為でしょうし、訴訟問題に 発展するのでは? 結婚の問題は、ネットでよく見かけたのです。 本人が気にする、という例も多くみかけました。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#144293
noname#144293
回答No.8

ANo.7です。お礼文を読ませて頂きました。誤解があってはいけないので補足させて頂きます。 私の書き方も悪かったと思いますが、同和地区に育った人は皆ヤクザになると言う意味ではありません。そうでない人の方が当然多い訳ですから、決して偏見や差別で言ったのではありません。 反日につきましても、一部に偏見や差別のようなことが存在しているのを反日に例えたに過ぎません。決して同じ問題にしているのではなく、同じ問題でもないということをご理解ください。 私の近隣の同和地区も昔とは違って、分譲マンションや賃貸マンションなどが立ち並び、外部から多くの人が転入して来ています。その逆に転出して言った人も多くいることでしょう。ですから、そういった意識も少なくなってきているでしょうし、少なくなるべきだと切に思います。 英文で提供されるとのことで、誤った内容になってはいけないと思い、補足させて頂きました。また、詳しくはウィキペディアを参照された方がよろしいかと存じます。

noname#188303
質問者

お礼

再びご丁寧な補足をありがとうございます。 ”同和地区に育った人は皆ヤクザになると言う意味ではありません。そうでない人の方が当然多い訳ですから、決して偏見や差別で言ったのではありません。反日につきましても、一部に偏見や差別のようなことが存在しているのを反日に例えたに過ぎません。決して同じ問題にしているのではなく、同じ問題でもないということをご理解ください。” 十分承知しております。 私はカナダに住んでおりますが、お隣アメリカはカナダと比較しても人種問題が多いです。”貧民区”に育った人(例えば、黒人系やヒスパニック系)がマフィアと繋がるか、といえば必ずしもそうではないですものね。 (現大統領夫人は貧民区の出身なのですし。) マイノリティー(少数派)として、カナダは原住民(アボロジー)の問題が残されているのとダブりました。 義務教育段階で既にドロップアウト→ 薬物に染まる、という図式が見られるのも彼らなのです。 視点がズレまして申し訳ありません。 現段階ではまだ資料集めですが、投稿してみてよかったと思える、重要な証言でした。  この度は大変ありがとうございました。

すると、全ての回答が全文表示されます。
noname#144293
noname#144293
回答No.7

この問題は育った地域や教育によって、それぞれの人の捉え方があるでしょうし、知る人も知らない人もいることでしょう。 私は西日本の大都市(だいたい分かると思いますが)に育ち、近隣に部落(同和地区と呼びます)もありますので、小学校・中学校での道徳の時間に差別について教えられました。当時は同和など詳しく知りませんでしたので、「差別はいけない。みんな平等だ」程度にしか認識していませんでした。ですから、子供の頃、親に「あの地域には遊びに行くな」と言われたのも理解出来ませんでした。 では、今の認識ですが、同じ人間なのですから差別は決していけないことです。部落という言葉自体が差別用語なのですから。しかし、その地域は、他の地域とは区別され、道路は整備されて立派な集会所が建ったりするのです。その地域の同級生はヤクザになっています。つまり、自治体にもその地域の人が優先的に入り込んでいるのです。昔、差別を受けていたことを逆手に取っている行為に思えてなりません。これでは、差別はいけないと思っていても、関わりたくないと思ってもやむを得ないと思います。 ヤクザの9割以上が、朝鮮、韓国、同和で占められていると言われています。私が住む街は、このような人が多くいます。ですから、部落問題の認識度や捉え方は、地域によって全く違うと思います。 その違いは、「部落=集落」か「部落=同和地区」なのではないでしょうか。 この問題は、今でも反日教育をしている中国や韓国などにも言えるのではないでしょうか。戦中のことを殊更に問題視し、戦後に日本にしたことは正当化しているのと似ているように思えます。「やられたらやり返す」を繰り返していては、いつまで経っても歩み寄ることは出来ないと思います。

noname#188303
質問者

お礼

大変貴重なお話ありがとうございます。 また 個人的な体験も書いて頂き、感謝しております。 ”小学校・中学校での道徳の時間に差別について教えられました。当時は同和など詳しく知りませんでしたので、「差別はいけない。みんな平等だ」程度にしか認識していませんでした。ですから、子供の頃、親に「あの地域には遊びに行くな」と言われたのも理解出来ませんでした。” → 幼少時からにそんな複雑な思いをされておられたとは。。 残念ながら、、(前の方の回答同様)近畿地方に見られるのですね。 例のQ&A回答者(関西出身です!)の回答内容がいかに酷いか判りました。 また、ヤクザや半日問題と照らし合わせたお発言には深い意味があると思います。 本当に感謝申し上げます。

すると、全ての回答が全文表示されます。
  • takapeko
  • ベストアンサー率44% (251/563)
回答No.6

近畿圏の者です。同和地区はまだなくなっていません。 その呼び名や地域など住民なら知っていますが、貴殿の場合はそういう知識がないし、今後住むこともなさそうですから私はあえて教えたいと思わないし、前回答者さんも同意見と思われます。 この問題は根強く、最近の研究では江戸時代の身分制度どころではなく、さらに時代が遡るとのことでした。戦国時代にはすでにあったということです。 同和問題は受けた人がどう思うかです。自分が「そういうつもりじゃない」と言って通じるものではありません。就職や結婚を苦に亡くなった方もたくさんいるため、興味本位じゃないといっても関わるなら真剣にそれこそ自分の地位や職や極端にいえば命がけで向かうべき問題なのです。 近畿圏の学校では授業で習います。東京で暮らしていた頃、東日本の人々はまったく知りませんでした。でもあえてそこで説明することもしませんでした。 愛知をはじめとした中部地方では岐阜の人なんかは知っていたように記憶していますし、一部地域や関西に親戚や勤務先がある人は知っている印象がありました。 特に表現(呼称)はイコール差別発言につながりますので申し訳ないですが知る必要がないということでお願いします。

noname#188303
質問者

お礼

大変貴重な回答感謝します。 ”近畿圏の学校では授業で習います。”   → 驚きました。 では、例の投稿者は教育を受けていながら、、あえて差別的な回答をしたと思わざるを得ません。。 ”関わるなら真剣にそれこそ自分の地位や職や極端にいえば命がけで向かうべき問題” → とても響きました。 が、私は活動家としてではありませんから、”事実”として、日本人の意識・地域差からのギャップなどを第三者的にまとめるに過ぎません。

noname#188303
質問者

補足

あ、私自身愛知県にいたのは実質中学校まででした。 そのせいかも知れません。 また、親や親戚(愛知県)からそういった差別的な発言も聞いたことがありません。

すると、全ての回答が全文表示されます。

関連するQ&A