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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:韓国の友人から、東大寺など、奈良の寺院を建造したのは韓国人であると聞い)

韓国人によって建造された奈良の寺院と日本の天皇の発言について

このQ&Aのポイント
  • 韓国の友人から、東大寺など、奈良の寺院を建造したのは韓国人であると聞いたが本当か疑問。また、彼は日本の天皇が祖先が韓国から来たことを認めたとも言っており、その記事の存在を知りたい。
  • 古代の日本文化は中国や韓国の文化に強い影響を受けているが、知り合いの韓国人の中には日本文化のすべてが韓国から来たと主張する人がいる。このような意見に対しては、感情に流されずに根拠を踏まえて話をしたい。
  • 韓国の友人から聞いた情報が本当かどうか疑問。また、日本の天皇が韓国の祖先を認める発言をしたという記事があるのか知りたい。知り合いの韓国人の中には日本文化のすべてが韓国から来たと主張する人がいるが、感情に流されずに根拠を踏まえた議論をしたい。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.5

>それと、彼は、「以前、日本の天皇が、祖先が韓国から来たことを認める発言をした」とも言っていました。 桓武天皇の母の高野新笠が百済の末裔だったことから、陛下が韓国と縁があるとお話になったことでしょうか。 問題の高野新笠の素性ですが、百済王であった武寧王の子孫ということになっています。 以下はその系譜です。 東城王 武寧王 純陀太子   在日1世 斯我君    在日2世 法師君    在日3世 雄蘇利紀君  在日4世 和史宇奈羅  在日5世 (日本に帰化し和風に改名) 和史粟勝   在日6世 和史浄足   在日7世 和史武助   在日8世 和史乙継   在日9世(天皇家に娘が嫁いだので、高野の姓を賜った) 高野朝臣新笠 在日10世 桓武天皇 計算上は高野新笠の百済人としてのDNAは0.01%もなく、全くの日本人です。 百済人と韓国人は別の民族だと考えられています。 百済を滅ぼして朝鮮に住み着いた新羅人が現在の韓国人のルーツです。 当時の百済は日本の属国(植民地)でした。 韓国の古文書には、東城王は日本(倭)から来たと書かれています。 ということは、東城王が日本人だった可能性もあり、だとすると全く縁がないことになります。 以上から、結論として天皇家と韓国・朝鮮半島とは全く関係がないと言ってよいでしょう。 陛下のご発言は、ただの社交辞令のリップサービスだったのでしょうが、韓国人には理解できなかったのだと思います。彼らはとても「純粋」ですからw >知り合いの韓国人の中には、まるで日本文化のすべてが韓国から来たように話す人がいます。 韓国は、色々こじつけて日本文化を韓国起源と言っていますが、全く根拠がないものが殆んどです。 パクリ大国南朝鮮 剣道・折り紙・盆栽・桜だけじゃない。韓国起源説 http://c.oshiete.goo.ne.jp/kotaeru_reply.php3?q=5897824

ToshiFuji
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 高野朝臣新笠や百済について調べてみました。 日本と百済との間には、主従関係があったのですね。 東城王は、日本で人質になっていた百済の王子のようですが、 百済王は日本人との混血を繰り返していたと記されていました。 いただいた回答から、知識の幅を広げることができました。

その他の回答 (13)

回答No.3

奈良時代の初期ごろまでは、朝鮮半島や中国大陸も不安定な情勢だったので戦乱で海に追われて遭難したり 戦になる前に逃げて日本へ漂着した民が多くいました。 その中で技術的な職能の高い人は飛鳥・奈良時代初期ごろまでの間、寺院や仏閣の建築の際に単なる 作業員よりは少し上の作業区画ごとの棟梁になる者もいましたが、全体の設計や工事の指揮は 中国(隋~唐の時期)から来た僧侶、その渡来僧侶の弟子になった日本の僧侶、中国への留学経験の ある日本の僧侶などが執っていました。 天皇一族の側近としてきた朝鮮半島からの移民一族らは、むしろ軍事、治安、神事(即ち皇族の)祭礼 などの分野の取り仕切っていました。なので、土地の開墾や建築などの事業は近畿地域の先住大豪族が 多くを担当していたのです。 中国や韓国の人は、日本に対して『日本(島国)<朝鮮(半島)<中国(大陸)』という5千年前からの 封建的な関係は技術力や経済発展に関わらず変えてはいけない、という現代から見ると時代遅れすぎる 過去の栄光をやたらと引きずっているので、うっとうしく思ったら、はっきり言ったほうが良いです。 日本の文化や歴史は、中韓だけでなく、中韓は通ってきたけれど中国や朝鮮の文化というよりは さらに遠い中央アジアやコーカサス地方から一気に駆け抜けてきたのではという方がしっくり来る ものや、樺太周りの北方系、フィリピンやマレー・ポリネシアの南方島嶼系から来たであろうものなど 非常に多岐にわたっています。99%まで韓国でないと・・・みたいなのは韓国が日本に対して高圧的に 接したいが為の大げさな言い訳(実際は6・7割程度)です。 もちろん、実際に語ろうと思ったらそれこそ日本語だけでなくあらゆる言語で書かれた(翻訳物でも 構いませんが)資料を徹底的に勉強しまくらないと追いつきませんけど、堂々と言い返したいので あれば、覚悟を決めて取り組んでみてください。

ToshiFuji
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 さすがに、海外の人達と歴史について語るたびに、何冊もの本を調べて回答… というのはむずかしいのですが、次の部分について、参考になるWebページや本があれば教えていただければと思います。 よろしくお願いいたします。 ↓↓↓ その中で技術的な職能の高い人は飛鳥・奈良時代初期ごろまでの間、寺院や仏閣の建築の際に単なる 作業員よりは少し上の作業区画ごとの棟梁になる者もいましたが、全体の設計や工事の指揮は 中国(隋~唐の時期)から来た僧侶、その渡来僧侶の弟子になった日本の僧侶、中国への留学経験の ある日本の僧侶などが執っていました。 天皇一族の側近としてきた朝鮮半島からの移民一族らは、むしろ軍事、治安、神事(即ち皇族の)祭礼 などの分野の取り仕切っていました。なので、土地の開墾や建築などの事業は近畿地域の先住大豪族が 多くを担当していたのです。

  • toshineko
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回答No.2

「大坂城を造ったのは誰か」という問いに「大工さん」と答えさせるなぞなぞのような話ですね。 東大寺の造営の統括を行う役所は「造東大寺司」といい、その責任者は「国中連公麻呂」という人です。祖父が百済滅亡の際に日本に亡命していますので、渡来系の人ですが、亡くなったのが西暦774年ですから、間違いなく日本で生まれて日本で亡くなっています。 大仏建立の詔が発せられたのが西暦743年ですから、百済が滅亡してからすでに80年がたっています。すでに日本の技術になっていたと考えてもよさそうです。

参考URL:
http://www.bunkaken.net/index.files/kihon/bushi/kimimaro1.html
ToshiFuji
質問者

お礼

ご回答、ありがとうございます。 東大寺は、日本が世界に誇る建造物ですので、一番気になっておりました。 toshinekoさんの回答に、少しホッといたしました。

  • DESTROY11
  • ベストアンサー率23% (804/3490)
回答No.1

「秦氏」のことでしょうかね。 応神天皇の時代に朝鮮半島の百済から移住してきた集団がいるのですが、これが秦氏の祖先になります。 秦氏は技術者集団で、都市造営や建築の専門家がそろっていました。 なので、その末裔が東大寺とかに絡んでいても不思議はありません。 まあ、あくまで「祖先が朝鮮半島から来た人々」です。 百済が滅亡したとき、王族が日本へ大量に逃げてきました。 その子孫は日本に土着し、日本の貴族豪族と一体化したわけです。 桓武天皇の母がその中の一人で渡来系氏族の出身であることは周知の事実です。 きちんと記録に残っています。 天皇の先祖が朝鮮人というわけではなく、その中には朝鮮半島出身者がいたというだけの話です。 当時の貴族豪族に朝鮮半島出身者を娶った人がいても不思議は無いですね。別に天皇に限った話ではありません。 いずれもいろいろな研究書が出ています。

ToshiFuji
質問者

お礼

素早い回答、ありがとうございます。 客観的な意見をいただき、参考になりました。