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私は常に後悔をしないように生きているつもりなのですが、
私は常に後悔をしないように生きているつもりなのですが、 やはり後悔をしてしまうことはあります。 そのとき、その後悔したことばかり考えてしまってますます落ち込みます。 よく、「後悔しないようにしろ」という言葉を聞きますが、後悔をしてしまったときはもうどうしようもないのでしょうか? そして人間に後悔は必要ないものなのでしょうか? 後悔からもっと得られるものもあるのではないでしょうか? 要するに気持ちの切り替えが大事ということなのでしょうか?
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- futamatamikkun
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後悔してもいいじゃないですか? それを教訓に。失敗は成功のもと。
- ORUKA1951
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結果と目的が逆転してるからそうなる。まちがっている。 「後悔しない」というのは、結果であって目的ではないよ。それを目的にするとはどういうことなのか考えなさい。 そのとき、そのときで、最善な方法は何かを精いっぱい考えて、【自分で】進むべき道を決断したのなら、たとえ結果がどうであろうと後悔はしないはず。もし後悔するとしたら、考えもなく安易な道を選んだり、自分ではなく他人の意見で決断してしまったときに公開するのではないですか?。 もう一度、後悔した事例について考えてごらんなさい。きっと「安易な道を選んだ」「自分の意見ではない」のいずれかではないですか?。そうでないなら、後悔はしないはず。そのときは、後悔ではなく「反省」であって、次の判断の手助け、糧になるはず。
- hyuuma8579
- ベストアンサー率29% (326/1097)
誰しも、何かの失敗や過ちを犯した時、後悔の念に襲われるのは当然です。 しかし、後悔は情念ですが、反省は理性です。 自分という人間を知るためには、悪い面ばかりでなく、いい面も知る必要があるのです。 後悔するのはしかたないとしても、その後でしっかり自分を見つめ直すことができるかです。 即ち、自己反省能力が問われるのです。 反省と言えば、いかにも簡単に聞こえますが、実際は、ほとんどの人がそれが出来ずにいるというわけです。 後悔やその時の感情だけなら、一時の思いとして、そのまま通り過ぎてしまいますが、 反省することで、失敗の教訓をしっかり学ぶことができるのです。 95%の平凡な人と5%の成功者の差は、この反省ができるかどうかでもあるのです。 自分を冷静に知るために反省するのです。 日記を付けるのもただの記録では意味がありません。 自分の思いがどうだったのかを記録するだけでなく、ではどうすれば良かったのかを冷静に判断することが大切なのです。言葉を換えれば、自分を知るためにこそ、反省や日記は意味を持つのです。 どんなカリスマ的リーダーや成功者でさえ、反省をしなくなった時から、転がり落ちていくのです。 人間が人間らしくあるための、人間にしかない反省能力こそ、数ある能力の中でも最上位に位置していると言っても過言ではありません。 有名な孫子の兵法の格言にも、「人を知り、己を知らば百戦危うからず」とあります。 参考までにサイトを載せさせていただきました。
- 参考URL:
- http://housuu.com/c1.html
- ziziwa1130
- ベストアンサー率21% (329/1546)
後悔することによって反省し、以後の人生の参考になりますから、必要なことだと思います。 ただ、いつまでもそのことにこだわって、落ち込み続けるのはあまり良くありませんよ。 二度とそういう思いをしないようにする、前向きな姿勢が大切です。
- puku1201
- ベストアンサー率0% (0/2)
私も、打破できない一人ですので… 答える資格はないですが… 後悔が必要か? 後悔するから、努力する って、考え方もあるような気もします 人間、落ち込んだってええやないですか。落ち込んで、その原因を特定し、その解決策を模索し、対応し、二度と同じ後悔をしないように努力(がんばる)する。 そうやって、成長する人がいても、良いような気もします