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異性と付き合う
異性と付き合う 付き合うという言葉は広く認知されていますが 意味は曖昧で、異性との関係がどのようなものであるのか 何の説明もしていません。 だから当然、お互いに付き合うというものへの認識に違いが あることもあると思います。 皆さんは異性と付き合うとはどのようなことだと考えていますか? また、付き合うという言葉は恐らく最近できたものだと思います。 その出典や、この言葉の意味の変遷など知っている方がいたら教えてください。
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私が今の時代の独身の女性と仮定すれば、私が付き合っている異性の条件は 私以外の人とは付き合っていない特定の異性で、結婚までの過程です。 友人は離婚して独身で、何十年と既婚者の特定の男性と性的な要素も含めて、付き合っています。 これを不倫というのでしょうけど、彼女は「お付き合いさしてもらっている」といっています。 金銭的には5分5分だそうです。相手の人は奥様が病身だそうなので、私はお互い需要と供給 の関係なのだと思っています。
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- hakobulu
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#4です。 >相手があなたと付き合っているつもりがないということを知っても デートやセックスしてれば相手と付き合ってると思えますか? :「最低基準として、デート」と申し上げたのは、あくまで好き合っていることが前提になっています。 相手にその気がないのであれば、相手側からの「付く(且つ「好く」)」という行為が無いことになりますから、「付き合っている」とは感じないでしょうね。 (「合う」が不成立なので)「相手に付いている」とでもいった心境になるのではないでしょうか。 なぜにそこまでせにゃならんのか、という問題が先立ちますれども。
連続ですみません。 落語で「くっつきあい」という表現があるのを思い出しました。 仲人を立てた結婚を正式として、本人同士が恋愛を発展させて結婚する事、あるいはそうやって結婚した夫婦をこういう表現をしていたようです。 時代は江戸時代~明治 ということだと思います。
No.2です。 アンケートではないので千差万別のそれぞれの異性交友の内容や個人的にしか通じない解釈を答える必要も無いと思うのですが。 「つきあう」ではお互いの解釈が違っていてすれ違うなら、他の言葉を使って誤解の無いようにするというのが言葉の使い方じゃないかなと思います。 「つきあう」≧一対一でのデート の関係でしょう。これが現代での一般的解釈です。 当然ですが売春などでの処理は含みません。ですが、その場合でもビジネスとしての関係の「つきあう」は使えます。 「つきあう」がどういう段階を意味するかを説明していないのは、もとよりそういう恋愛の段階を説明するための言葉ではないから当然ですね。適切な言葉は他にあると思います。 恋愛というのは生物的なプログラムで要は性行為の段階ですから最終的には性交を終点とする一連の段階全てであると思われます。 なお恋愛相談はそういうカテゴリーがあるのでそちらで、文学的表現に関しては文学のカテゴリーの方が適しているように思います。 「つきあう」=「搗き(突き)合う」と解釈するのは異性関係とするとちょっとモロ過ぎる感じがしますね。 落語に「尻餅」という艶笑噺もありますが。 岩波古語辞典には つきあひ【着き合ひ・付き合ひ】 一 1 諸方から一ヶ所に到着する〈日葡〉2 互いに座につく、同席して交わる 例「或は下手、或は初心の者、上手につきあひて連歌せん時は」〈連歌比況集〉→「初心者や初級者が上級者と一緒の座について・同席して連歌をする時は」(この解釈文は私dagu) とありました。〈日葡〉は1603年の辞書〈比況集〉は16世紀
- cxe28284
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この場合の質問は異性との付き合いが前提ですね。両者の間にどのような共通認識があるのか。 例えば昔はお見合いという形式がありました。 お互いに釣り書きという履歴書のようなものを取り交わし、仲介者(仲人)を介して出会い 仲人を通して、お付き合いするかどうか返事をする。 両者の意見が一致すれば結婚を前提にお付き合いする。、 主に男性側から誘い、食事やそのほかいろいろといっても。映画を見たり、音楽会に行ったり、 行動を共にする。お互いに相手の事を知り親しくなるというのがつきあう事の中身でしたね。 初めの出会い方は違っても、今でも適齢期の男女が付き合うなら、余り変わらないと思いますが ただ何を前提とするのか、何がゴールなのか。によって違うと思うし。 最近では付き合いのバリエーションもいろいろあって、一口には言えないし、 当事者のコミュニケーションによってしかわからないので、 これという決定的な客観的認識は難しいと思うし、当事者同士で共通認識を築くしかないとおもいます。 ただ基本的には人間関係だから相手の事を大切にして、傷つけるような事はしてはならない。 これは人間として守るべきでしょうね。
- Samantabha
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私も「付き合う」という言葉の定義に悩んでいます。その感じているところは、たぶん質問者さんと同じだと思います。 中学生や高校生の頃、異性の同級生と一緒に登下校したら、翌日には「A君とBさんは付き合っている」ということになっていました。 たとえ、それがたまたま同じ道で、同じ時間帯になったため、「おはよう」と挨拶して並んで歩いていただけであっても、です。 また、大人になってからでも、休日に美術館や映画へ行って、食事をして、楽しく遊んで帰ってきたら、翌日、会社で「君たち、付き合ってたんだ」と言われます。 ひどい時は、お昼ご飯を二人で食べていただけでもそんなふうに言われます。 まあ中学、高校の頃はともかく、大人になってからは、とにかく異性と二人っきりで出かける、あるいは二人っきりでご飯を食べるだけで、「付き合ってる」ということになるらしいです。 本人たちに恋心があろうとなかろうと。 私自身は、「付き合う」というのは、お互いに恋愛感情があって、そのことを認め合った上での“おつきあい”のことだと思っています。 たとえば、映画を見て食事をして帰ってくるなんてことは、同性の友達とでもすることです。それが相手が異性であるだけで「付き合っている」ということになってしまうのは、非常におかしなことです。 ただ、周囲の人からすれば、一対一であれば「付き合う」にしてしまうみたいです。 さらに言えば、男性の多くは、私自身は仕事仲間や友達のつもりでいて、相手も私に恋心を抱いているなどと一言も言っていない状態(ただ「遊びに行こう」と軽く誘われただけ)で一緒に出かけたりすると、翌日にはもう「オレたち付き合ってるよな」的な態度になります。 こういうのは私の周囲だけなのかもしれませんし、ただ私が相手の恋心に気づかぬ鈍感という要因もあるのかもしれませんが。 そんなこんなで、すっかり面倒になってしまい、私は男性と二人っきりで遊ぶことはほとんどなくなってしまいました。 お蔭で、男性の友達はほとんどいない状態です(あまりグループでわいわい騒ぐのが好きではないので)。 言葉の変遷については詳しくありませんが、三島由紀夫の小説(だったか、そのころの誰かの作品だったか)あたりであれば、「結婚を前提におつきあいしています」みたいなセリフがあったような気がします。それ以前であれば、結婚を前提としない“おつきあい”などというものは存在しなかったんじゃないかなと思います。 ということで、「付き合う」=「恋愛感情に基づく“おつきあい”」というような言葉は、男女関係がオープンになってきた戦後ですから使われ出したんじゃないかなあと思います(推測ですが)。
お礼
回答ありがとうございます。 >「付き合う」というのは、お互いに恋愛感情があって、 >そのことを認め合った上での“おつきあい”のことだと思っています もっと具体的にはどういうことでしょうか? 相思相愛であることが分かれば付き合っていると言えるのでしょうか? そもそも付き合うという言葉は何を言い表している言葉なのでしょうか。 わからないです。
- hakobulu
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#3です。 本題にお答えしていませんでしたね。 >皆さんは異性と付き合うとはどのようなことだと考えていますか? :最低基準として、デートでしょうね。 そこからセックスまで、あらゆる段階を含む言葉でしょう。 他人<友人<【彼氏(彼女)デート~~~セックス】<結婚
お礼
回答ありがとうございます。 相手があなたと付き合っているつもりがないということを知っても デートやセックスしてれば相手と付き合ってると思えますか?
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
今でこそ少なくなりましたが、昔は正月に向けて、どんな貧しい家庭でも必ずと言っていいほど餅を準備したものです。 お供え物としての意味もあり、自ら杵と臼を使って大量の餅を搗くわけですが、人力なので一仕事です。 そのため、町内の誰かが餅を搗く際には数軒のご近所さんが手伝いに行くのがならわしでした。 杵を2,3本用意して、掛け声に合わせて順に振り下ろして搗き、合間に水を入れながら捏ねる係もいます。 助けてもらった家の人は、翌日、他の人の家の餅搗きを手伝いに行きお返しをします。 このように餅搗きは、近所が協力して行なう一種の神事と捉えられており、 「餅を搗き合う」ことが人間関係が維持されていることの証でもあったのでしょう。 餅を「搗き合う」ことがそうであるように、お互いに接近して(付いて)助け合うような濃い人間関係を築くこと。 単に「接近し(=引っ付き)合うこと」から来ていると考えてもよいでしょうが、上のような、生活に根ざした行事が語源という説が、あくまで私の頭の中だけでですが、渦巻いています。
お礼
回答ありがとうございます。
辞書を引いていないんですけど、辞書の記述は参考にされましたか? 仕事上の人間関係の場合には「おつきあい」「つきあいはある」などは浅い、良好な関係を保つための形式的な関係・社交を意味しますけれど。 例えば本来しなくていい仕事を好意としてやってあげる場合などは「つきあいで」ということになると思います。 そうでない場合は同性なら友達関係、師弟関係、相手が異性の場合には恋愛関係やその予備段階を意味します。 「ちょっとつきあって」などは「あなたには利害は無いだろうけど私のために一緒に来て・やって」という、相手の好意を頼むニュアンスですよね。 好意が裏にあるというのと、お互いに支えあう関係というか、「付く」というのは共同・共同体的な関係を結ぶという意味なんですかね。 語源その他は知りません。お互いくっつきあうということでは。
お礼
回答ありがとうございます。 言葉が足りずにすいません。ここで言う異性との付き合いとは 普通の関係ではなく、もっと親しい間柄のことを言っているつもりでした。 辞書は引いていません。 daguwadodgiさんが異性と付き合っていると認識できるようになるには どのような条件が必要ですか?
- spring135
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質問の趣旨がよくわかりませんが、人との付き合い、交際、人間関係の一環として考えればよいのではありませんか。 >付き合うという言葉は恐らく最近できたものだと思います。 昔から使っています。国語辞典には「親しい間柄を保つこと」とでており、それ以上でも以下でもありません。
お礼
回答ありがとうございます。 確かに付き合うというのは人間関係の一環ですが 付き合っているといえるにはどんな条件が要るのか 個人の考えでいいので具体的に教えてください。
お礼
回答ありがとうございます。 客観的認識ではなく、cxe28284さんの主観的認識を教えてくれませんか? つまりcxe28284さんと親しくしている男性がいたとして 自分がその人と付き合っていると認識するには cxe28284さんにとってどのような条件がその男性との間に必要なのですか?