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月や太陽、地球が「天体」であるという知識はいつ頃定着したのでしょうか。

月や太陽、地球が「天体」であるという知識はいつ頃定着したのでしょうか。 竹取物語でかぐや姫が帰る月の世界は、他の天体というよりも、天国や神の国のような別世界として描かれているような気がします。 いった日本人が地球や月、星、太陽などを天体として把握したのはいつ頃のことなのでしょうか。 知識人や天文学の専門家で常識となった時期と、一般大衆で定着した時期、それぞれについて教えてください

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  • Pinhole-09
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回答No.2

町人学者の山片幡桃が18世紀末頃、庶民への啓蒙書「夢の城」を著わしました。 天文の章に太陽を中心に、水星、金星、地球、火星、木星、土星が回る図が書かれ、地動説を解説しています。   地球を回る月も。 このころから西洋の天文知識が庶民に広まって行きました。

yuu024
質問者

お礼

庶民に常識として定着したのは江戸時代みたいですね。ありがとうございました

その他の回答 (2)

  • Pinhole-09
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回答No.3

前答の訂正。  正しくは「夢の代(しろ)」です。   著者名も幡桃は虫偏のばんで「ばんとう」です。

yuu024
質問者

お礼

ご丁寧にありがとうございます

  • isa-98
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回答No.1

昔の天文方を陰陽師と呼びます。 江戸時代に入りますと陰陽師は免許制となり幕府に許された行為だけをするようになります。 日本では長らく宣明暦を使います。(800年使る程精度は高かった。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A3%E6%98%8E%E6%9A%A6 日本人が始めて暦を作ったのは江戸時代の事です。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%9E%E4%BA%AB%E6%9A%A6 鎖国によって海外の書籍は琴書となります。 この禁を緩和したのが徳川吉宗です。 これによって西洋天文学や医学書が輸入される事になります。 麻田 剛立はケプラー並の快挙を成し遂げます。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BA%BB%E7%94%B0%E5%89%9B%E7%AB%8B 渋川 景佑は、太陰太陽暦も決定版とも言える天保暦を作成します。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%BF%9D%E6%9A%A6 当時の暦の精度とは、日食が完璧に予報出来るかどうかです。 これは、天文学と惑星運行の知識が無くてはなりません。 麻田 剛立が暦に無い日食の予報が出来た。 この頃からだと思います。 日本の書籍。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E7%BE%A9%E8%AB%96 地球はじめて。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E6%96%87%E5%9B%B3%E8%A7%A3 ラランデ暦書(和訳) http://library.nao.ac.jp/kichou/open/017/index.html

yuu024
質問者

お礼

色々な事例をお教えいただき、ありがとうございました