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日本では絆を失ってきたという傾向が進んできますか。

日本では絆を失ってきたという傾向が進んできますか。

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  • lions-123
  • ベストアンサー率41% (4360/10497)
回答No.2

>日本では絆を失ってきたという傾向が進んできますか。        ↓ 主に時間・血縁・地縁・学閥・価値観・長幼の序etcから薄れて来ており、その傾向は今後も進むと思います。 なぜなら、<順不同> ◇かぎっ子、一人っ子、核家族化、夫婦共稼ぎ、シングル世帯が増加しており、時間的にも子育てや共同作業が減少・希薄化している。 さらに、冠婚葬祭や共通の話題でのコミニケーションも希薄化している。 ◇地域社会での無関心・プライバシーの尊重・個人情報の過剰な秘匿化が「絆=相互理解や価値観の結びつき」の軽視、減退に拍車を掛け、個人主義&損得論&ビジネス化で表面的であり相互にご都合主義(利用しあう気持ち)の付き合いをしている。 ◇功罪があるが、根性論・しつけ・鍛錬に対しての制裁・暴力・イジメ・パワハラ&セクハラ等との関連からか難しい、表面的な関係&接し方になっている(心身や尊敬&敬愛での人間的結びつきが弱い)。 ◇情報・コミニケーションの手段・ツールが多様化して、匿名性や多面&多元な交流が可能になると共に、一方通行的な関係が多くなり、価値観も多様化する中で、長幼の序とか真の尊敬・信頼・同志等の絆は限定的、部分のみ、利用できる時のみの自己中なフイルターを通す事で軟弱・変化しやすくなっている。 ◇高度情報化社会、マルチメディア、コミニケーションツールの多様化で、個人を取り巻く環境や関係は→薄く広く浅い関係があらゆる交際や交流の中に溢れており、地縁・血縁・学閥・サークル・同郷・同期・同志等の縁は希薄、無関心化している。 都度都度、利用価値、価値観と感性で絆はパーシャル関係として意識されたり無視されたり、時には便乗や悪用もされる。 その兆候や暗示するところは、相手を思いやるよりも自己の意思・損得・都合で判断する利害関係が強まり、絆の希薄さと脆さが「おれおれ詐欺・個人情報流出・祝祭日や行事の商業主義とかご都合主義の日程変更とか手作り感覚の喪失etc」に現れて来ている。 ◇自己責任・自助自立・自業自得や弱肉強食という言葉や価値観は昔から、先人の間でも存在したが、それは信頼と尊敬、相互扶助・共存共栄(連帯感と運命共同体)・人間愛や奇縁の裏づけ、関心の絆がセフティネットとして互いに共通項・価値観の共有として保持認識していたから成立していたのが、バイアスや情報の氾濫、価値観の多様性、共同作業や生活の時間的共有の減少等から希薄化して来たし、今後も一層その傾向が顕著に強まる事は必然的な成り行きだと思います。 その緩和や対策、補完するのが・・・教育・政治・行政・さらに各種のコミニケーション&ボランティア活動・地域行事・家庭生活やしつけ・人間愛の総合的なテーマーであり、相互に補完し維持増進に高め合う為の永遠の課題でもあると思います。

  • pixis
  • ベストアンサー率42% (419/988)
回答No.1

これからあらゆる「絆」は薄れていくでしょう。 まず親子。 親は子供を苦労して育てるものなんです。 それを実感として味わった子供が親を尊敬し 親を大事にするんです。 親は子供を責任を持って育て、より幸せな環境を与えようと 努力します。 しかーーーし! 国策では子供は国が育てる?!とか言って 子供手当て、高校無償化などといってます。 国が育てるのではありません。 あくまで親が育てるんです。 外国ではそういう国もあります。 しかしどこの国でも気質や歴史というもんがあります。 どこの国の人でも同じとは限りません。 日本は親が子供を育ててきたんです。 また親が子供を育てることになんら疑問を抱いておりません。 国が子供を育てるなんて日本人はそういう感覚を持っていないんです。 子供はいずれ言い出すでしょう、 親に向かって「あんたが育ててくれたんじゃねーよ!」と。 毎月2万6千円国からもらってしかも 国が高校へタダで行かせてくれたんだ、親ヅラするんじゃねーよ! ですよね。 そんな子供になっちゃいます。 その子達が親になれば国から銭がもらえると思うから 責任持って育てません。 よって親と子の絆は希薄になります。 同じことは社会全般に言えます。 ようはすべてお金、拝金主義が絆を失わせます。 たとえば銀座 銀座とお客さんの絆は昔と今ではまったく違います。 今や有名ブランドの安売り店が乱立し そこにビンボー人が行列を作ります。 つまり「アーそうですよ私はビンボーですよ」と 開き直っちゃってるわけです。 銀座にビンボー人が行列を作る・・・ なげかわしや・・。 おしゃれのために並ぶ? 並んで安もんを買うこと自体がもうおしゃれじゃねーよ! と思います。 高級店が並ぶ銀座に行列すること自体銀座と客の絆が なくなったといえるでしょう。 銀座に行くなら3回の安もんを我慢してお店に行って 店員さんと世間話でもしながら注文する。 これが銀座です。 銭金、ぜにかね、ゼニカネ、ですべてをお金に換算してしまう根性が 安けりゃそっちに行くという本物のビンボー人を作ってしまい そしてそれがあらゆる絆を希薄にしています。 私の言うビンボー人はただお金がないのではなく 心までビンボー人の人です。 たとえお金がなくとも、並ぶなんて卑しい行動をしてはいけません。 やせ我慢!伊達の薄着!が日本人の気質のはずなんです。 「武士は食わねど高楊枝」という諺があるじゃないですか。 ちょっと「絆」からはずれましたが、本物の(心までの) ビンボー人が絆を希薄にする要因でもあります。 金を持っていても心のビンボー人はたくさんいます。 そこそこ金持ちになってもエルメスのバッグを 安く買おうとする人はたくさんいます。 エルメスなんてお店行って、値段なんて気にせず 「これ頂戴」 「○○円になります」 「はい、○○円ね、あーおつりはいいわ。チップで取っておいて」 で買って初めてエルメスのバッグなんです。 それをオークションで買うやつがいる!!! それはメーカーは本物のエルメスのバッグではあっても オークションなんかで買った時点でエルメスのバッグでは ないんです。 昔は近所の八百屋さん、肉屋さんで買い物の奥さんが お店の人を持ち上げたりすかしたりしながら買い物してました。 お店のだんなも「奥さん、最近きれいになったねぇ!」なんて いいながらより多くの品物を買ってもらおうとしてました。 言われた奥さんも「あら、オヤジさんも若々しいわよ」 と受け答えして値引いてもらってましたね。 近所のお店との絆がありました。 今はどうでしょう。 やはりビンボー人根性です。 3000円で5円でも安けりゃ近所のお店はまったく無視して 安いところに並んでまで買おうとします。 バカじゃねーの、そこまでのガソリン代のほうが 高くつくじゃねーか・・・と思いますが。 就職が決まって田舎から出てきたニーちゃんが都会に出てきます。 田舎では近所のお店でお店の人と冗談交じりで やり取りして買い物していたのに 都会では絆がないので黙って品物をレジに出すだけ・・・ つまらなくなって、あるいは田舎と同じだと思って ついコンビニのレジの女の子に 「おっ、今日は化粧が違うね! デート?」 かわいそうに 「やーね、あの人キモイ!」とかそこのネーちゃんに言われちゃう。 あと30年もすれば「絆」なんていう言葉が なくなってしまうのではないでしょうか。

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