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「死ぬ瞬間を想像してみた」・・・これって心の病なのでしょうか?

先週の昼休み、 天気良くてたまたまベンチでふと寝っころがってたら 「自分が老人になって老衰して死ぬ瞬間」を想像してしまいました。それ以来、 「人間死んでも物になるだけで、何にもならない」 「死んでも生きても意味ないのじゃないか」 「金持ち、貧乏も関係ないよ、どうせ時とともに死んで、回りも死んでみんな存在した事すら忘れるんだから」 「人が死ぬのもゴキブリが死ぬのも同じだ」 といった事をついつい考え込むようになってしまいました。そのことをふと思い出して、考え出してしまうと、まるでドツボに嵌ったかのごとく次々と考え出して 今生きてる事、自分が死ぬことに関して虚無感、無力感、脱力感が感じるようになってしまいます。 ちなみに私は20代の社会人です。 心の病にかかったことは無いです。 こんな経験初めてです。このことが時々頭に離れられず、困ってます。これって病気なのでしょうか? ※宗教勧誘・改造セミナーの書き込みご遠慮ください。

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noname#10247
noname#10247
回答No.10

こんにちは。 先週の昼休み<って、事はまだ一週間程しか経ってないんですよね? 虚無感、無力感、脱力感が感じるよう<だとしても仕事もこなされてますよね? だったら特に問題はないのでは。 死ぬのはほっといてもいずれ、向こうからやってきます。 こちらの意志に関係なくです。 どーしようもないのですから、まだ少しは自分の意志が通る生きるの方で悩む方法が先ですよ。 と言っても生きるのに意義等を求めろと言う訳ではありません。 人間はただ生きる為に生きるのであって、何かの為に生きていく訳じゃないんですから。 生存に関わる生理的欲求には耐えられませんよね。 ただ生きる為に生きるなんて寂しい、そんな事じゃいけない何て言う人もいますが、その言には何の根拠もないですしね。 別に達観しているとか、斜に構えているんではなく、本来そういうモノであるからそれでいい<と思うんです。 天衣無縫<あるがままに、っていう意味の四字熟語なんですけど大好きです。 人間死んでも物になるだけで、何にもならない」 <元々、単なるタンパク質とアミノ酸の固まりです、人間は。 それでも生きているのが不思議じゃないですか。 不思議なモノは何になるとか、何にもならないとか意味づけ出来ないと思うんですよ。 それはただ不思議なだけで。 少なくとも僕の脳では、ですけど。 「死んでも生きても意味ないのじゃないか」 <無くていいと思います。 何故、意味が必要なのか分かりません。 「金持ち、貧乏も関係ないよ、どうせ時とともに死んで、回りも死んでみんな存在した事すら忘れるんだから」 <誰かがあなたの死後、あなたの事を強く思うでしょう。 でもいずれ、その人もなくなります。 延々と語り継がれても地球自体の、宇宙自体の寿命があるかぎり(あると思う。少なくとも、現在の状態の宇宙には)かならず存在すら忘れられてしまう事が。 でもね、それまでは生きる訳で。 金のあるなしはそれなりに重要な要素です。 まだ生きてるし。 「人が死ぬのもゴキブリが死ぬのも同じだ」 <え~と、色んな所に行った事があるのですが、日本では清涼飲料水は買えるが牛丼は食えねぇ、程度の金額が原因で簡単に人が殺されている所もあります。 蚊をつぶす様な感覚で人を殺している人もいます。 快楽殺人犯なんかじゃなくて。 平気でロシアンルーレットをする人たちも。 今の世間一般では目に付かないだけで、自分の感覚でいえば「ゴキブリ」の様に死んでいる人はたくさんいるのでして。 同じかもしれませんね。 ただ、ゴキブリよりも死に対して立ち向かえると思います。 このサイトにもたまにおられますよね、生きるって何とか、自分の居場所がうんぬんとか言う御方。 外を見て晴れてるか曇ってるか雨か。 喉が渇いて腹が減る。 仕事してて疲れて、遊んで疲れて。 眠くなって眠る。 生きてる事が感じられますよね。 その延長線上でしょう、死も。 意外と死後は死後でなにかあるかもしれませんよ? 何もない可能性も勿論。 それを確かめられる時は勝手にやってくるんだからほっときましょう。 ちなみに過去三回程、死にかけた(心停止2回)事も自分にそれなりに影響しているのかも知れません。 でも、仕事をしてます、遊びもしてます、結婚もしてます、子供も欲しいです。 明日は死ぬかもと常に思っていますけど。 特に生きる事に感慨は持っていませんけど。 これでいいと思うんですよ、僕は。 あ、当然、自分自身に不満はありますけどね。 対面じゃないとうまく言えないので説教じみてますけど、そんな気は全くありません。 単に自分が思っていることを書いただけです。 不快だったら謝ります。 最後に回答らしく>悩むなら徹底的に悩んだ方がいいですよ。

thank-U
質問者

お礼

「これでいいと思うんですよ、僕は。」 自分にとってとても心地よい言葉でした。 別に定義立てしなくても、義務感を持たなくても良い。 肩張らずありのままっていうようなニュアンスが入ってて 良かったです。 エンペラー吉田が入れ歯浮かしつつ 「偉くなくとも~正しく生きる~」 って喋ってる場面を思い浮かんでしまいました。

その他の回答 (11)

noname#5798
noname#5798
回答No.12

ごく普通のお考えかと思います。どのくらい普通かというと「風邪をひくこと」と同じくらいでしょう。 なので質問を読みまして、「ほほー、今まで風邪ひいたことなかったんだ~」という感想を持ちました。 人間、身体が丈夫な人も弱い人もいます。しかし弱い人=病人というのはちょっと違いますよね?そりゃ病気にはかかりやすいかもしれないけど。 実は心も同じです。質問者さまは今まで健康優良児だったのでしょう。 熱が出たり、寝込んだ経験がない人が、熱が出ればたしかに「なんだコレは?この状態は?」とあたふたするかもしれません。質問者様の状態はまさにこんな感じかと思います。 でも大多数の人は発熱や病気の経験がありますよね? それを考えると、特におろおろすることでもない、という風に類推できるかと。 まあただの風邪とはいっても、風邪をひいたのに不摂生を続けていると、肺炎を併発したり、のちのち身体が弱くなってしまったりするので、ちゃんとケアしましょう。 軽い風邪の場合、病院に行かずに治すことがほとんどですよね。ご質問を読んでいると重い風邪という感じはしないのですが、しかし字面じゃわかりません。そこはご自分の判断です。もし実際は40度以上の熱が続いてたとしたらやっぱり病院に行きますもんね。 しかし人間には自然治癒力があります。もし軽い風邪であるなら自力で治せます。この場合、民間治療薬として効き目がありそうなのは、「楽しいこと」、より根本的には「夢・希望」だと思うのですが、いかがでしょう? 一足飛びに夢や希望を持てるわけじゃありませんから、まず物理療法をためしましょう。「物理的に身体を動かすこと」「自然に触れること」は効果があります。太陽の光には(心の)殺菌効果があるんですよね~。 どうぞお健やかにお過ごし下さいm(__)m。

thank-U
質問者

補足

【回答してくださった皆さんへ】 すみません、返事遅れてしまって。 結局考え抜いた上 「死んだら記憶も全て無に帰るんだから、息吸って生きてるだけでも有難いものなのだ。」 「じゃあ、毎日生きてる間に情熱燃やして生きてる証を証明しして頑張ろう」って結論になりました。 病院に行くほどじゃないけど精神的に疲労溜まってると自覚してるので、ちょっと体動かして生きてる実感を得ようかなって考えてます。 本当に参考になりました。

回答No.11

 他の方達とダブりますが、全く病気ではないと思います。人は成長する過程において、死の恐怖を感じるようになり、それを乗り越えて大人になるそうです。昔読んだ本によると、大体、十代後半から二十代にかけてこういう事を乗り越えていく事が多いそうですが。  私の場合、挫折が元でこういう事を考えるようになりました。人が生きるというのはどういうことなのか、自問自答してみると、最後にはthank-Uさんが言っている事と同じようなものが残りました。  ほとんどの人にとって、生きる事というのは地獄ではないかと思います。自分の思いを充たせる事などこの世の中には少なくて、思いが通らなくて辛い思いをする事の方が圧倒的に多いです。そんな中で人生を生き抜く為に必要なものこそが、そういう考え方ではないかと思います。  金が無いと人生辛いよな→金があっても墓場には持ち込めない  仕事が出来る奴はいいよな→死ねば全部なくなる、みんな同じ  こう考えると、今の辛さも少しは緩和しませんか?  ついでですので、私の思いを書きます。  人生一度きりです。死ねば全て終わりです。どんな金持ちでも貧乏人でも、墓場に金は持ち込めませんし、仮に死後の世界があったとしても、現世における金銭関係や力関係がそのまま持ち込まれる事は絶対にないでしょう。だからこそ、自分の思うままに、自分のしたい事をして生きるべきだと思います。一度しかない人生なら、先が無であったとしても、どうせなら楽しみませんか?私は、自分が死を目前に控えた時、自分の人生を振り返ってみて「まあまあの人生だったな」と言えるような人生を送る事が目標です。  死んで全てを失うということは、逆の見方をした場合、世の中に存在する価値観を必ずしも崇めなくても良いということです。私には夢があるのですが、どうやらその夢を叶えると金銭的には困窮する事が確実です。お金は欲しいです。お金が無ければ出来ないこと、味わえない快感がありますから。けれども、お金持ちになって成功者となった自分を想像してみても、本当にやりたい事がある私にとっては、その姿は魅力的ではないし理想的でもないのです。欲しいのはただお金だけ。でも、お金と夢、二つを追い求める事は出来ません。そういう時、お金を墓場までは持ち込めないのだよ、という考え方は、今の自分にとって、とても救いになるのです。 *自殺する人に現れる兆候として、死後の世界に対する異常なまでの関心や興味が挙げられます。ですので、死後の世界に憧れる、知りたくて仕方がない、という場合は、少し危険かもしれません。

thank-U
質問者

お礼

同感です。自分の結論に似てます。 偉いから偉い死に方が出来るかといったら否ですよね。その逆も。 損得捉われず淡々でも精神的に満たされてればそれでよしといった感じです。

thank-U
質問者

補足

*死後の世界には全く関心ないですし、自殺もする気なしです。自殺する勇気があるなら他に勇気使うって。

  • kenk789
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回答No.9

カウンセリング等を受けたほうがいいかもしれません。 一度きりの人生というのは、大間違いです。死後の世界は存在して、修行が終わるまで、何十回、何百回と苦しみのこの世に転生させられるのです。修行とは、「人に尽くす」ことです。以前に死後の世界↓の質問 No1 No9No14に回答したので、興味あれば見てください。

参考URL:
http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=568528
noname#38051
noname#38051
回答No.8

哲学者の中島義直さんの著作読まれたらよいですね。 この方のテーマは、質問者の方と近いものです。

thank-U
質問者

お礼

休み貰ったら、本読んで見ます。

  • toukka
  • ベストアンサー率18% (7/38)
回答No.7

病気ではないと思いますよ~。生物として自然な感情ですよ。 私は墓参りに行くといつも思いますね。お墓もよくみるといつも手入れがされているものもありますが、コケだらけで見るも無残なものもありますよね。そういうのをみると、死んでもいつかわすれられてしまうんだな、その人の生前の一生は一体なんだったのだろうか、と思わずにいられませんし、身内がなるとき時は命は有限である、ということを思い知らされます。 人間も動物の一種にすぎないですし、有限な命、自分だけのものですし、いつ終わるかわからないですから、今のうちにやりたいことをやってしまわないと!と考えるのはいかがでしょうか?

thank-U
質問者

お礼

そうですね。 どうせ老いて死ぬんだから、若く生きているうちに徹底的にやれる事やりまくった方がいいですね。

  • jun9031
  • ベストアンサー率42% (51/120)
回答No.6

人間は考える葦であるとはよくいったもので、ほんとにいろんなことを考えて、想像して、毎日を過ごしています。 そのくせ、なかなか頭も固いものですからひとつのことを考えるとなかなかそのことが離れなかったりします。(怖い映画を見た時なんかがそうですね。) で、thank-Uさんの質問ですが、結論から言ってしまえば、今の段階でははっきりわからないが、かなりの高確率で正常だといえます。 死というものは人間だけでなく動物を含めて身の回りにはよくあることなので、そのことに想像がいくことはごく自然のことなのです。 それが時には投げやりな気持ちになるときもあれば、恐怖を感じることもあると思います。所詮人間なんて骨と肉の塊だとか、ただの原子の集まりなどと考え出せばキリもないですしね。 で、人は死に対する恐怖・畏怖から宗教というものを 信仰するようになったわけです。 念仏をとなえていれば死んでも天国にいける・・・というような考えは、もともとはthan-Uさんのように死に対する気持ちからうまれたものです。 ただ、そのように考えることが嫌なのであれば、マイナス思考にならない工夫をすることは可能です。 特に、毎日が同じことの繰り返しでストレスがたまっていたり、抑揚のない生活を過ごしている時や、身の回りで死があった時に、そのような気持ちになりやすいものですので、気分転換に休みの日はそとで体を動かすなどストレスを発散させたり、友達と遊んだり、趣味に没頭していればマイナス思考にはなっていかないと思いますよ。 もうすぐ梅雨でじめーっとしている時はマイナス思考になりやすいので屋内スポーツ(ボーリングとか)をおすすめします。

thank-U
質問者

お礼

アドバイス参考になりました。 仕事の関係で思考停止状態で、マイナス思考になってるのかも…体動かしてみます。 ボーリング最近行ってないなぁ

  • Lyric
  • ベストアンサー率34% (417/1203)
回答No.5

上記の事から直ぐに【心の病】と思うのはよくないことだと思います。 もう暫く様子を見てから、もし身体にも不調をきたす場合であれば医師の診察を受けたりカウンセリングを行うとよいと思います。 心の中のいろいろな考えは人それぞれですし、 他人の私が判ることではありません。 しかし、あまりにその思想が自分にとって害を及ぼすとまで酷く深刻になり、日常生活に支障をきたすのであれば、 心療内科や精神科に行ってみてもいいと思います。 #1さんが鬱病チェックを勧めていますが、私はあまりお勧めしません。 心の病は自己申告みたいなものです。(かく言う私も現在通院中です) 鬱チェックでもしも鬱に掛かっているかも・・・という割合が高く出た場合、もし本当は鬱ではなくても自己暗示に掛かる可能性もあります。 それと心の病気は鬱病だけではありませんし・・・ 最終的にはやはり専門家(Dr)に話すのが1番だと思います。

  • jody-j
  • ベストアンサー率28% (18/63)
回答No.4

人間誰しも同じじゃないでしょうか。 大昔からずっと、誰でもです。 どうせ死ぬのです。だからこそ、存在の意味を模索するのではないでしょうか。 20代ですか。 「そ~のうち何とか、な~るだぁろぉおぉ~♪」じゃ、いけませんか??

thank-U
質問者

補足

返答が早くて驚きです! 補足なのですが、 普段からウジウジ考える性格じゃないのですが、 「死ぬ瞬間」を想像してから、禅問答繰り返すかの如く 嵌ってしまうのです。 こういう匿名性がある所だから質問が出来たのですが、 こういう思考に嵌ることは 心の病気の兆候なんでしょうか? みんな時々考えてるものなのでしょうか?

回答No.3

特に問題ないと思います。 だれだって一度や二度は考えることがあるのでは。 私もふっと考えたりすることがありますよ。仕事が忙しいときや、夜、布団に入ったときなどです。 自分の終末はどうなるのかとか。 自然の感情であり、気にしなくていいことなのでは。

  • mitai
  • ベストアンサー率0% (0/1)
回答No.2

こんばんは。 もしもの話ですが、もしも私があなただったら、 もう一週間ぐらい自分の様子見てみます。 それまで待たなくても心配になるのでしたら、 カウンセリングへ行ってみてもよいかも知れません。 私も死について考えることはあります。 同じ考えるにしても、 死について考えてくらい気持ちになることと、 哲学の方面へと思考が進むことと、 いろいろあると思います。 それに、どつぼにはまったように考えてしまうのは、 私の場合死だけではないですし。 例えば将来の事も、過去の事も、 考えだしたらきりがないことがいっぱいです。 もしくは、友だちに話してみるとか。 けっこう、死について考えている人、いるかもしれませんよ。 ごめんなさい、まとまりない文章で。 考え続けるのも有りだと思いますし、 その過程でそれを共有することも有りだと思います。 カウンセラーにひょいっと行ってみるのも有りだと思います。おもいつめない方がよい気がします。 死そのものについて思いつめるのではなくて、 死について考えてしまう自分に悩んでいるのでしたら。

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