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20代女です。悩みを聞いていただけないでしょうか。長くなると思いますの
20代女です。悩みを聞いていただけないでしょうか。長くなると思いますので宜しくお願致します。 最近進路について悩んでおり足踏みした状態が続いています。自分自身この状況に焦っているのですが体と心がうまく合わず足踏みしている状態です。 今では自分が決めた道への自信のなさと親への申し訳なさでどんどん自分が嫌いになっています。 人前では明るく振る舞いますが一度部屋に戻ると情けなさと不甲斐ない気持ちで涙が出てきます。すべてぶち壊したい衝動に駆られます 死にたいと思うことも多くなりました。こんな奴が生きていていいのかと夜になっても「何か動かなければ」と寝ることが出来ません。きちんと起きている間に何も出来ていないのに寝る時間なんかあるかと自分に言い聞かせている自分もいます。 最近は聖書を見つけたので読んでいるのですがなかなか心も晴れません。(無宗教です) 1歩を踏み出せる御言葉や御知恵を頂けたらなと思います。
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- mdh57
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私も同じような体験をしてきたので、苦しみは、よく理解できます。聖書も読みましたが、あなたと全く同感です。そして、何があっても自殺なんて絶対に考えないで下さい。 私事で恐縮ですが、私は仏教の「法華経文底独一本門(無神論)」という信仰をしています。 これは、10年間かけて勉強と経験を積み重ねて出した結論です。 前半は、外道(キリスト教などの神論)や爾前教(日本人が仏教だと思っている教え)を学び、 後半で法華経を学び、最終的に文底独一本門(無神論)にたどりつきました。そして、邪宗や占い師など、(もちろんカルトも)信じたり、それらにお金を出すのも誤りだと気づきました。 10年かけてしっかり宗教比較学を勉強してきたので、他の人より少しは詳しいです(まだまだ勉強不足ですが)少しでもお役に立てれば嬉しいです。 ここで詳しく説明したいのですが、理解するのに早い人でも2~3年かかる事なので、ここでは省略します。申し訳ございません。
- karnel-n
- ベストアンサー率25% (1/4)
私の回答は独特なので、あくまでも参考程度にしてください^^ 質問者さんの悩みの種は、「理想の自分と現実の自分が違う」という歯がゆさなのではないでしょうか?間違っていたらすみません。合っているということを前提にアドバイス・・・(^_^;)。 その苦しみから逃れるには、「覚悟を決める」ことです。何の覚悟か・・・。自分の運命を受け入れる覚悟です。 自分が最大限に努力しさえすれば、確実に欲しいものが手に入るとお思いになっていませんか?現実はNOです。どんなに練習しようがイチローのように皆がヒットを量産できるわけではありません。 では、努力することによって何が得られるのでしょう?それは夢実現の確率が上がることなのです。なにぶん確率ですから、最後に課せられるものは自分の運となってきます。 運が良ければ理想を現実のものとできますが、運が悪ければ理想は叶いません。でも実現する確率は高い方がいいですよね?1%でも確率を上げるべく努力するのは妥当だと私は思います。 でも叶わない時は、叶わなかった、夢破れた自分を受け入れましょう。覚悟しましょう。質問者さんの投稿を見る限り、夢破れたからと言って死ぬしかない状況下に置かれるわけではないですよね?(^_^;) 生きていればいいことはあります。違う道で成功を収めるかもしれません。そう、実はあなたの未来は明るいと確約されているのです。今やっていることや近い将来に訪れる結果は、遠い未来で栄光をつかむためのプロセスの一つに過ぎないのです。 途中から宗教チックになってしまいましたが(^^ゞ、私が言いたいことは、結果を恐れず今自分にできることをやりましょう、ということです。悩もうが悩みまいが、できることは変わりませんよね? 最高を目指すのではなく、最善を目指しましょう。 大丈夫ですよ。神様は誠実に頑張っている人を見守っててくださるから^^。
- bonosuke
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No.1さんのすばらしい回答に蛇足。 以下は赤塚さんがなくなったときにタモリが読んだ弔辞の一部。 Youtubeとかで動画もあると思うのでよかったらどうぞ。 ただし職場でみることはお勧めしません。涙が止まらなくなります。 以下引用 あなたの考えは、すべての出来事、存在をあるがままに、前向きに肯定し、 受け入れることです。それによって人間は重苦しい陰の世界から解放され、 軽やかになり、また時間は前後関係を断ち放たれて、その時その場が異様に 明るく感じられます。この考えをあなたは見事に一言で言い表しています。 すなわち『これでいいのだ』と。 引用終わり ご自愛ください。
- burahuman
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悩み事は秘密にしておかないで親しい友人やご両親に相談したら如何ですか。 真面目な人に限って全ては自分の責任だと考える傾向にあるようですが世界は貴女しかいないのでは有りませんから自分の気持ちを打ち明けられる相手を探したらどうでしょう。 聖書も結構ですが所詮遠い砂漠の国で気の遠くなるほど昔一部の人たちに必要だった教えですから誰にでも役立つとは思えません。 私なら周囲の人に相談します。
お礼
相談が出来ないのが自分の短所ですね。プライドが高いのでしょうか。小さい頃から抱え込むタイプでした。 聖書は所詮昔の人の教え…同感です。単純に救われるのは神の言葉と考えてしまいました。ハマっていないので大丈夫です。ありがとうございました。
- In_Christ
- ベストアンサー率33% (1/3)
そうですね・・聖書を読むだけでは心は晴れないでしょうね。ヨハネ 5:39-40に「あなたがたは聖書を調べている.それは、その中に永遠の命があると思っているからである.しかし聖書は、わたしについて証しをするのである。しかもあなたがたは、命を得るためにわたしに来ようとはしない。」という御言葉があります。レストランに行くとメニューが出されますが、メニューだけを読んでオーダーをしなければ、いつまでたっても料理は出てきません。聖書を読むことは必要ですが、読んだ結果、イエス・キリストに行かなければ、聖書が示す安息、満足に至ることはありません。 上記の節の「永遠の命」というのは単に永遠に生きるという意味ではなく「神聖な命」、すなわち神がアダムを造られた際に与えようとしていた「命の木(創世記2:9)」の命です。例えるならば、ハイブリッドカーにはエンジンとバッテリーがありますが、バッテリーだけで走っていてはすぐに止まってしまいます。充電が必要です。しかし、エンジンはガソリンがある限り力強く動き続け、車を走らせるだけでなく、バッテリーにも充電を行います。人には霊と魂と体があると聖書は述べています(Iテサロニケ5:23)。また、イエス・キリストは私たちの罪を担って死んでくださっただけでなく、復活を通して命を与える霊となり(Iコリント15:44)、人の霊の中に入り(ローマ8:16, コロサイ1:27, Iペテロ1:11)、人に神聖な命を与えることで人を救う方となりました(ローマ 5:10)。〈詳細は下記の「人生の奥義」をお読みください。〉ローマ 8:11は「そして、イエスを死人の中から復活させた方の霊が、あなたがたの中に住んでいるなら、キリスト・イエスを死人の中から復活させた方は、あなたがたの中に住んでいる彼の霊を通して、あなたがたの死ぬべき体にも、命を与えてくださいます」と言います。今や、イエス・キリストは神聖なガソリンとして人の霊にご自身を注がれ、霊のエンジンの回転によって魂を充電し、死人のように動かなかった体にも命の活力を与えてくださいます。 では、どのようにすればこの神聖なガソリンは注がれ、霊のエンジンは回転し始めるのでしょうか?その鍵は「主の名を呼ぶ」ことにあります。ローマ10:12-13は『ユダヤ人とギリシャ人の区別はありません.同じ主が、すべての者の主であって、彼を呼び求めるすべての者に、彼は豊かです.なぜなら、「主の御名を呼び求める者はすべて救われる」からです」と言います。主の御名とは彼自身、すなわち彼のパースンです。myua12345さんが友人の名を呼べば友人が来るように、主の御名を呼べば主は来られます。主イエスは今や命を与える霊であり、聖書では霊は息や風の様であると言われています(ヨハネ20:22, 使徒2:1-4)。彼は空気のような存在となり、私たちを取り巻いています。そして私たちが「主イエスよ!おお!主イエスよ!」と呼ぶならば、私たちは彼の霊を空気の様に吸い込みます。これはとても簡単な実行です。たとえ、声に出さなくても心の中で情けなさ、不甲斐なさ、苦しみ、悲しみ、つらさ、空しさ、無力さ、敗北感など万感の思いを込めて、主の名を呼んでみてください。最初は古びたエンジンのように何度も鍵を回さなくてはならないかもしれませんが、エンジンが回り始めるまで主の御名を呼び続けるならば、きっと主はmyua12345さんを立ち上がらせ、走ることができるようにしてくださるでしょう。人を救うのは宗教ではありません。救い主が人を救います。myua12345さんに必要なのは宗教ではなく救い主イエス・キリストという個人(パースン)です。以上は私の経験からの言葉なので何の保障もしてあげられませんが、myua12345さんが再び立ち上がり歩むだけでなく、人生を救い主と共に走り通されることを祈っております。 最後に、もう一つ御言葉を贈ります。IIテモテ2:22「ただし、あなたは若い時の欲から逃れなさい.そして純粋な心で主を呼び求める人たちと共に、義と信仰と愛と平和とを追い求めなさい。」この御言葉は「主を呼び求める人たちと共に」と言っています。一人で聖書を読まれることはとても貴いことですが、一人で読み進める内に壁にぶつかり、助け手が必要になることが起こります(使徒8:27-31)。その様な時に共に聖書を読み、共に主の名を呼ぶ仲間が傍らにいることはとても助けになります。下記に参考になるページを紹介しますので、助け手が必要な際には利用してみてはどうでしょうか? 回答の作成時に参照した主な御言葉と解説 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=43_5_39_0_1 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=52_5_23_0_5 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=46_15_45_0_1 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_8_16_0_2 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_5_10_0_4 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_8_11_0_4 http://recoveryversion.jp/FunShow011.php?B=45_10_13_0_1 参照:オンライン聖書回復訳(http://www.recoveryversion.jp/) 人生の奥義 http://www.geocities.jp/church_in_yokohama/9Gospel/Okugi/OkugiHole.html 無料聖書進呈と聖書通読グループの紹介を行っている法人 http://www.biblesforjapan.org/
お礼
宗教も破壊的カルトも同じように見えてしまう私は聖書を読まないほうが良いですよね。なんとなく良いことが書いてそうで軽い気持ちで手に取ってしまいました。救われたい気持ち一心で開いたのが間違いだったようです; 奥が深すぎて深追いするとハマってしまいそうなので今ぐらいで留めておきます。ありがとうございました。
眠れぬ夜にmyua12345さんの求める「人生の秘訣」を 話してみたいと思います。 実を言うと、「人生の秘訣」というのは皮肉です。 なぜ「人生の秘訣」をこぞって多くの人が求めるのか、 「人生の秘訣」を説く本が本屋だけではく、象徴的に コンビニに並んでいるのか。まずこの点を考えてみたいと 思います。 その前に私の話す言葉は知識として鵜呑みにするのではなく 同意、不同意するだけではなく、理解して同じ現実を 見るように努めて聞いてほしいと思います。 答えは簡単で私たちは自分で考えることが嫌で、考える 力もなく、不安で怖く怯えているため、「偉い人」や 「経験のある人」にどうすれば上手く安楽に生きられるか を教えてほしいのだと思います。加えて、自己を成功や 知識によって拡大したいという欲があると思います。 ここからぐっと掘り下げて行きたいと思います。ぐっと。 まずmyua12345さんはご自分のことをひどくけなしていらっしゃい ますが、そして、それは私たちが向上心という美名のもとに 普段していることですが、実はそれは現実逃避だと思います。 自分も最近気付いたのですけれども。 どういうことでしょうか。私たちはあるがままの現実が怖いのだと 思います。自分の貝殻のような空虚さ、空っぽさが、暴力性、 冷酷さが怖いのではないでしょうか。だから、それを見る前に 「駄目だ。よくしないと」という形で未来へ逃げてしまうのでは ないでしょうか。極端に聞こえるかも知れませんが、その空虚さ を知識、友だち、恋人、地位、名声、富、有徳さで覆い隠そう とするのではないでしょうか。できるだけ多くのものを所有して 何かに「なろう」とするのです。 少し飛びますが、その恐怖を克服するには恐怖の原因を直に知る しかないと思います。ちょっと違いますが「こんな奴」である ことは「悪い」ことではないと思います。暴力性と冷酷さを 備えた自分をたかだか有限な観点からの善悪の判断なくただ 見つめることがとても大切だと思います。そのあるがままの 自分を恐れれば、上記の所有物への欲が生まれ、競争や争いが 生じてしまうと思います。他人の評価への欲が生まれ、他人への 依存が生じ、また、心が煩わされない状態を教えてくれる本を 探し、深く理解しないままその教えに自分を無理に適合させて 行くことになってしまうと思います。他人や社会の教えに 深い理解を伴わないまま従おうとすると、葛藤が生じて 心は疲弊しますし、型に押し込められていく精神はどんどん 死んで行ってしまうと思います。 苦しみや悲しみ、醜いと思うものからすぐに逃げないで そこにとどまることが肝要かと思います。 とはいえ、実はえらそうに話す自分もあるがままの自分を 見れてはおらず、その先は本の知識でしか知りません。 知識と経験に基ずく予測や、解放されたいという欲は現実を 歪めるので、あるがままの自分を見ることはものすごく難しい ことですが、これが自由と英知への通路だと思います。 聖書はとてもよい本だと思いますが、自分の失敗経験からすると、 なんとなくこういうことを言ってるんじゃないかと本気で思って 無理やり実践しようとしたり、分かったと思いこんで思いあがる と失敗すると思います。聖書はむちゃくちゃ奥が深く、イエスという 男を理解するのは至難の業(無理)なので、答えや結論を出さず、 一生探究するつもりで読まれた方がいいと思います。 聖書解釈ではありませんが、イエスは「律法」(社会的な規律や 掟、道徳、理想の自分など)に自分を無理に適合させる葛藤に 満ちた苦闘からの解放を教えたのだと思います。その解放が 「愛」らしいのですが(「愛せ、そして、自由に振舞え」アウグス ティヌス(うる覚え))、自分はまだ愛を知りません。 愛は難しいのです。 空っぽな自分同士であれば、争いが生じないと思いませんか。 これは単なる感想ですけれども。 ともかく泣いたり、悔やんだり、落ち込んだりせずに、「とどまる」 ことだと思います。自分もそうやっているので、そのとき、 繋がりを感じつことも可能だと思います。 もっとロングにしようかと思ったのですが、力尽きました。
お礼
ありがとうございます。とどまることは苦痛が伴いますが大事なことですよね。 聖書はキリスト教の学校に行っていたので身近でしたが読んでもサッパリです。だから信じてしまう方達がいるのもよく分からないのです。ただ救いを求める=聖書と単純に考えてしまいました。
- zxc55
- ベストアンサー率20% (160/776)
未来のことは誰にもわからないです。俺が思うに、きっと神様もわかっていないんじゃないかな(^^;。唯一の道しるべは、「10年後私はこういう生活をしている、こうやって生きていく!」って思いなんじゃないですかね。それに対してあなたが努力できるんであれば、「自分の決めた道」やった方がいいですよ。失敗しちゃっても、やらずに後悔するんなら、チャレンジして失敗してからやり直す方を俺なら選ぶかな。あなたの人生ですし、一回こっきりの人生ですから、後悔がない方を選べばあとはやるだけですよ。
お礼
私も神に未来は見えていないと思います。ですが聖書でも良いから何か良い言葉が無いかと手に取るぐらい切羽詰まっていたのです。きっと友達はこんな私信じられないでしょう;どちらかというとお笑い担当ですから; チャレンジして失敗…そうですよね。そのくらいの気持ちがないとダメですよね。ありがとうございました。
- komachikko
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まだ、20代のあなたは、今悩んでいるのですね。 でも、大丈夫ですよ。 まだまだ、若い。20代ですから。本当にあなたはまだ若いですよ。 時間があります。 その困難を乗り越えるために今があると思います。 ご両親に対しても、周囲にも、気を使われる方なのですね。 人前で明るく振舞うことができるのは、周囲に心配をかけないためですね。 弱いところは人に見せたくないのかもしれません。 親の期待に応えられる、いい子を無意識に演じるのに慣れてしまっているのかもしれません。 一人で悩まないでください。 あなたには、あなたができる分だけの困難しか訪れないと思います。 焦っているはずなのに、心ばかり苦しくて、行動ができないのは、 きっと今は、その心の重圧をきちんと受け止める時だからだと思います。 少し落ち着いて、自分の心を見つめて、心の奥深いところの充足を得てから 自分が今できることを1つ1つ取り組んでいかれたらいいと思います。 私が、感動したサイトをお伝えします。 あなたの悩みに、まさにぴったりな内容はないかもしれませんが、 でも、どれを読んでも、心に響く言葉があって、はっとさせられました。 おすすめは下記です。 毎日が嫌で辛いことばかりのあなたへ http://theuniverse.jp/distress/mental/hard_days 恋愛や愛についてのものも、ハッとさせられます。 http://theuniverse.jp/distress
お礼
おっしゃる通りです。弱いところを人に見せるのは苦手です。 親の期待に応えなきゃという考えと自分のやりたいことの間でモヤモヤしています。でも今までは結局親が望むような生き方をしてきました。 あと「乗り越えられる困難しか訪れない」という言葉とても胸に響きました。 オススメして頂いた言葉も読みました。確かにハッとさせられました。 ありがとうございました。
- acuna
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昔から、「下手な考え休むに似たり」と言うじゃありませんか。 今のあなたの状態からすると、きつく感じるかも知れませんが、若い時、職場の先輩の口癖がそれでした。 やがて、もんもんと考えるより、考えながら、何か行動する。行動するには、何らかの目標を自分で立てなければならない事に、やがて気がつきました。 ちょっと深呼吸して、「下手な考え休むに似たり」と声を出して言ってみることをお勧めします。 私の場合は、そうやって乗り越えて生きてきました。個人的には絶大な効果がありましたので。
お礼
「下手な考え休むに似たり」良い言葉ですね。きっとその先輩も良い考え方をする人だったんでしょうね。 考えてるよりも動いたほうが状況が変わりますしね。良い御言葉ありがとうございました。
- kumazoro
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あなたは、少し心の弱い人です。 まず、あれこれ考える前にジョギングなどしてみてはどうですか? 景色が綺麗なところであれば、気持ちいいですよー。 何日か軽いジョギング繰り返した後に、 かなり負荷をかけるジョギングを目標を持ってします。 たとえば、5キロを30以内に走りきるとか。 初めは、辛いので歩いたりしてしまいますが、少しずつ体がついていくようになります。 何度が繰り返すうちに、「もう少し走れそうだから、もう少し頑張ろう」って思う瞬間が必ずあります。 その瞬間こそが、心が少しだけ成長した瞬間かな?と私なりに思います。 少しずつでいいのです。 初めから大きな目標を設定するのではなく、 小さい目標を立てて、1つずつ乗り越えていってください。 自分自身が少し変われたかな?と思った時こそ、 もう一度あなたの今抱えてる悩みと向き合ってみてはどうでしょうか? すみません、あなたの悩みのアドバイスになってないかもしれません。
お礼
確かに心弱いです。だから悩みやすいのです。しかも溜め込むという厄介な性です。 小さい目標…やってみます。変わりたいです。無理なくやれるものを少しずつやっていきます。ありがとうございました。
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お礼
私も見ました。とても良い弔辞でした。きっと赤塚さんも微笑んでいるでしょう。 「これでいいのだ」は魔法の言葉ですね。 ありがとうございました。