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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:宗教は大事ですか?)

宗教の大切さとは?

このQ&Aのポイント
  • 宗教について学び、心温まる体験をした女子学生の質問
  • 最近生きることに疲れ、宗教に魅力を感じるようになった女子学生の悩み
  • 宗教の意義と家族との関係についての皆さんの意見

質問者が選んだベストアンサー

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noname#94854
noname#94854
回答No.20

>尊敬の意を込めて、できれば嘆きの壁にお祈りしに行かなくてはと思 >ってます。(私は無宗教です) 無宗教にもかかわらず、テレビに影響されて 尊敬の意を込めて、嘆きの壁にお祈りしに・・・ って、ちょっとヤバイと思いますよ。 >嘆きの壁や岩のドームに向かってお祈りしている人たちを見て、 >心温まりとても感動しました。 私はあんなものに向かってお祈りする人を気の毒に思います。 あれのどのあたりに感動できるんでしょう。 騙されている人の姿にしか見えませんが・・・ 宗教の演説隊と同じじゃないですか。 >皆様は宗教は大切だと思いますか 私にとっては不要ですが 必要な人には必要なのでしょう。 私は無宗教ですが祈ります。 だからって壁に向かって祈ったり、わざわざどこかへ行って祈ったりしません。。。 そんなことより、一日一回は○にたいと思うって、 何があったのですか?

noname#105617
質問者

お礼

そう思われて残念です。嘆きの壁にお祈りしている人たちは、清き魂の持ち主だと思いますが…

その他の回答 (20)

  • har_69
  • ベストアンサー率42% (12/28)
回答No.21

私は、質問者さんより少し年上ですが近い年になるので 少しでも何かのお役に立てばと思います。 私も昔を振り返れば 質問者さんと同じように『死にたい』と思ってた時期があります。 物事がうまくいかない、自分のあり方など 壁にぶつかる事が多い時があり、とても辛い時期がありました。 きっと、質問者さんは辛さから 【何かにすがりたい】 【自分を救ってほしい】など、孤独な気持ちがあり、 その時テレビで見た宗教に対してとても心を救われたと思います。 でも、それですべてが上手くいくとも思いません。 何かに傷ついたのなら、生身の人間として 救ってもらう方法は、同じ生身の人間と向き合い事です。 自分をさらけ出す、勇気をもって 今の苦痛な気持ちを、あなたの周りにいる人に打ち明けてください。 私がつらい時期を乗り越えられたのは、 私の周りにいる友達でした。 自分の弱い部分をさらけ出す事は、とても勇気が必要でした。 なぜなら、私はプライドが高いから。 でも、さらけ出した時にとても自分の気持ちが楽になりました。 いつも支えてくれる友達がいて、長い時間はかかりました あの時が、過去に思えるほど立ち直る事が出来ました。 そして今、それが人に話せるようになったし 同じように辛い思いをしてる友達を救うことも出来てます。 そしてなにより、友達の大切さを知る事ができ 人を向き合い楽しさをしる事が出来ました。 人に傷ついたのなら、それを救ってくれるものも人なんです。 私の彼氏は、創価学会一家です。 それが原因で、昔とても嫌な思いをしとても深いトラウマがあります。 過去の事を、思い出すだけでも震えが止まらない、涙がでる。 という感じです。 宗教を信じてたり、信者になっても壁にぶち当たるし、辛い事だっ経験するんです。 筵、宗教が原因となり自分の重みになる事もあるのです。 信じてくれる人なんて、大勢でなくてもいいんです。 たった一人の人でもいいんです。 年をとった時に、あの時こんなんだったなー と、振り返る時期が必ず来るはずです。 自分は何があっても、崖っぷちから這い上がってやる! と、自分を信じると、気づいたら強い自分が生まれています。 何がを信じる気持ちは正解ですが、宗教ではないと思います。 何かを信じるなら、まず自分の強さとを信じる事。 弱い自分と向き合い、強気を持ってみてください☆

noname#105617
質問者

お礼

誰かに死にたいと訴えてもいいのでしょうか?

noname#113900
noname#113900
回答No.19

22歳で生きることに疲れましたか。 一体何があったのでしょうか?  私もいろんな嫌な思いをしながら40年以上生きてきましたが、22歳の時のことを思い起こせば、疲れると他人に語れるほどの経験は何もしていないことに改めて気付きます。 宗教のことですが、自分を縛ったりお金を要求するような宗教ならば かかわらない方が良いと思っています。 また、宗教間の争いで多くの人が命を落としていることを思うと、長い歴史の中で変わっていったかもしれない宗教のあり方に、とても疑問を感じます。 神様は私の心の中にいて、時には周りの人の口を借りて助言してくれたりするものだと思っています。(もしかすると神様とは守護霊かもしれません) 特定の宗教を信仰すれば劇的に悪い状況から救い出してくれるなんてことはありません。信仰すれば変われるなんて思ってても何も変わらないんじゃないかな。 宗教は心のよりどころになるかもしれないけど、所詮それだけのものです。 もっと身近な人生の先輩たちの話に耳を傾けてみてはいかがですか? 「あなたの神様」のお導きで良い方向に流れが変わるかもしれませんよ。 そしてくれぐれも、勧誘活動が活発な宗教には近づかないように・・。

noname#105617
質問者

お礼

よく最寄駅付近に、宗教の演説隊をみますが、おかしいと思いました

  • nontro_08
  • ベストアンサー率19% (33/173)
回答No.18

宗教は、人生に不可欠な要素です。宗教とは、何も「神」や「教祖」といった絶対者に服従し、洗脳されるものをいうのではありません。自身の有限性を自覚させ、自分の心を律する哲学的なものです。自身の心の規範となるものです。 そういう宗教性が欠落しているのが、現代社会の病根と言えます。役人など社会的に立場ある者たちの不祥事や、青少年による犯罪の多発などは、「人間、どう生きるべきか」という自身の心の規範が存在しないゆえ、自分の心を「師」としてしまう結果、起きてしまうといえます。 ただ、宗教といっても、玉石混淆です。どの宗教を実践するかで、人生の幸・不幸が決まってしまうからです。宗教を実践するには、自分を本当に高めるような宗教を選ばねばなりません。 真の宗教とは、神とか教祖とかにお願いして、自分を幸福にしてもらうものではなく、自助努力を前提に、その努力が最大限に実るよう、この宇宙を動かしている根本法則に則ることです。その根本法則のことを「南無妙法蓮華経」といいます。この「南無妙法蓮華経」の名号を唱えることによってこの根本法則に則ることができ、様々な努力が実り幸福になるのです。また、自身の生命力は強くなり、心の濁りが取り除かれ、自身の心を善の方向に律することができます。その結果、「人間、どう生きるべきか」という確たる規範を、自身の心に与えることができるのです。 ちなみに私は創価学会の者です。ここで私の実践している宗教を宣伝・勧誘するつもりはありません。あくまでも参考意見として受け止めていただきたく思います。

  • 326S4
  • ベストアンサー率44% (16/36)
回答No.17

はじめまして。 何か手助けになればと思います。 回答された皆さん、良い答えですね・・・。 皆さんあなたの事を考えて真剣ですね。 こんな世知辛い世の中で皆さんお優しい方々だと思います。この世も捨てたものではありません。 宗教は必要です。しかしこのように手を差し延べてくれる方々も沢山います。宗教の宗とは生きるための方法です。即ち宗教とは生きるためのガイドラインを提示してくれす教えと言う意味です。 特にキリスト教などは信仰しやすくとても考えられた宗教です。自分の外に擬似的に「神」と言う対象を作る事で心を楽にしてくれます。 禅宗などの仏教は内(心や心理)に本来の自己を求めて心をコントロールしていきます。 しかしこの反面しているような二つの宗教でも求める事は一緒なのです。 いかにして心を楽にしてあげれるか・・・と、言う事です。 信仰は大事ですが忘れてはならないのは、「それ」をしたから楽になれる訳では無いと言う事です。カトリックの司教様も、禅宗の老師も同じ事を言っておられました・・・「自分が楽と思えば楽に、苦と思えば苦に・・・」。そして司教様は「今生きている事を感謝して日々前す進みなさい・・・」。老師は「日常そのものこそが救いである・・・」とおっしやっていました。 あなたは救いを求めておられる。しかし「他」に「救い」はありません。あなた自身が「救い」を感じない限りそれは訪れません。これだけ見ず知らずの方があなたの事を思っています。それだけで「救い」ではないでしょうか? それを「救い」と受け取るか否かはあなた次第だと思います。それを「救い」だと受け取れないのならばイエス様を信じても救われないでしょう・・・何故なら人の言葉を信じれない人はイエス様の言葉も信じれないからです。 元々宗教の根本は拝火教(ゾロアスター教)です。これは火を崇めた原始宗教です。火を崇めるのが宗教心の始まりです。それは火が人々の生活に大きな役割を与えていたからです。上手く使えば有効に使える味方に、下手をすれば火事や火傷の敵に・・・それを昔の人々は火そのものの意思だと思っていました。しかし現代人はそうは思いませんよね、使う人間によってそれは変る事を知っています。 すなわち既存の宗教もそうなのです。信じる人の使い方によってその効能は大きく変ってきます。上手く使えば薬に、下手をすると毒に変るのです。ですからあなたがほど良く信じれば「いい薬に」、信じ過ぎのめり込めば「猛毒」になります。 イエス様が一番身近に感じるのならばカトリックが良いでしょう。身近の教会に日曜日のミサに行くだけで十分です。司祭様が優しく迎えてくれるでしょう。 近くに禅道場があるなら座禅するのもお勧めです。本来の自己に向き合うことが出来ますしお寺によっては深い悩みも聞いてくれる所もあります。 しかしこれだけ深くお話をしてくれる方々が居る・・・・それがあなたにとっての救いの場である事に間違いはないですよ。

回答No.16

宗教は大切です。 というよりも宗教=道徳です。 日本の知識人の間では神の存在の是非が問われてますが、これを無視して倫理的なものとして見てください。 キリスト教の世界では傲慢 嫉妬 憤怒 強欲 怠惰 暴食 色欲を抑えるためにこれらに悪魔の名前をつけて神話的に描いたりしてます。 本来の宗教の主な役割は神の存在ではなく、自分の中にいる悪魔達の認識です。

  • tmwdl34
  • ベストアンサー率22% (5/22)
回答No.15

>宗教は大事ですか? 大事ですね。国際的には特に。無宗教なんて言ったら入国審査ではねられる所もありますよ。まあ、無宗教とか言っても単に信仰がないだけだったり、無宗教という名の宗教だったり、色んな人がいますね。それが通用する国の中だけに引きこもってる人にとっては別に信仰があろうがなかろうが問題ないでしょうけどね。 >旧約聖書や新約聖書の違いや、宗教の起こり、嘆きの壁や岩のドームに向かってお祈りしている人たちを見て、心温まりとても感動しました。 それは、とてもいい事ですね。なぜ感動したのか良く考えてみましょう。本当の宗教のお祈りというのは神に願い事をするものではないからです。神に願い事をするのは単に神に請求書を突きつけてるだけで、そんなものは本当の宗教ではありません。単なる金儲けと繋がってる似非宗教などその類です。そんなものに感動したとなれば単なる馬鹿ですよ。宗教というのは色々な違いがあっても、自分と向き合う事が一番大事なんですよ。 >ちなみに両親は、私が何かを信仰したら、親子の縁を切りたいとの意見です。 確かに下らないカルト宗教にハマったりしたらダメでしょうけど、真剣に自分と向き合う為の信仰なら、通したらいいではないですか。別に信仰を表に出さず、心の中に秘めたままでも問題はないと思いますよ。

回答No.14

宗教は心強き者には不必要であり、心弱き者には必要とされます。 私には病気や家庭不和、挫折や絶望の者を見つけては擦り寄る宗教団体の 者の姿はハイエナかハゲタカにしか見えません。 生きることに疲れたあなたには藁にもすがるという諺のように何でも 良かったのかも知れませんね。 何が正しい行いなのか、そんな答えを見出せたら哲学者かそれこそ 救い主になるやも知れません。 しかし死にたいと考える者が自殺を悪だとするユダヤ教やイスラム教 に魅力を感じるとは皮肉なことです。(キリスト教も同じ) 神から与えられた命を自ら断つことは自分自身への殺人と見なす からなのですが、ネガティヴな思考から信仰を考えても碌なことは ありませんよ。 我、滅しても神仏に頼らず。 これは誰だか忘れましたが戦国武将の言葉です。 何と力強いことでしょう。 神仏を敬っても是に頼らずという言葉もあります。 弱き者の祈りなど屁ほども生きる糧にはなりません。 あなたが変わらなければ世界は変わらないのですから。 死などどんなに考えても観念的なものしか出てきませんよ。 生きることに疲れるほど長く生きていないのだから、これからを 如何に生きるかを考えてみてください。 同じぐるぐる考えを巡らすならば生産的にね。 頑張ってください。

  • yuimakozi
  • ベストアンサー率22% (25/110)
回答No.13

 私たち日本人の中で宗教が大切だと思っている人なんて1%にも満たないと思います。あなたは、生きる事に疲れ、死にたいと思っているから宗教に魅力を感じているようですが、神はあなたを救ってはくれませんよ。なぜなら、あなたが心の底から神を信じる事が出来ないからです。神は信じる者しか救ってくれません。   私たち日本人は、太平洋戦争の時に宗教を利用して人心を一つにまとめ戦争を遂行したという反省から全く、宗教教育を受けておリません。  私たちは、科学的なものや論理的なものが価値があると教育されてきたので、「創造主、全知全能の神」などという科学的に存在が証明できないものを信じる事が出来ないのです。  だから、神を信じる事のできる日本人とは、学校の勉強が全く理解できなかった知的障害者等のごくごく一部のそのまた一部の人だけです。  どうですか、本当にヤーウエを信じる事が出来ますか。  信じるとは、理性や論理的思考を否定する事なのです。  宗教なんかにすがらずに、心療内科を受診することを提案いたします。

回答No.12

あなたは何故、宗教が始まったと思いますか? 今の時代に宗教は必要ありません。 宗教がどのように利用されてきたか少し勉強したらすぐ分かります。 神も仏もあなたの心次第でどのようにでも変化させる事が出来るのですから、真剣に悩むのは止めましょう。 必要と思えば必要ですし、要らないと思えば要りません。 あなたが自分勝手に心の支えにすればいいんです。 あなたの世界です。 場所によっては壁に話をしてるとおかしい人だと思われますよ。 宗教に振り回される事の無い、自分を創ることですね。 その上で信仰するのが良いでしょう。 宗教で大切な人を亡くすと分かります。 信者と書いて儲けると読みます。

  • thymos
  • ベストアンサー率8% (2/23)
回答No.11

宗教は大事と思うことはつまり一生自分はその宗教の前でかなわず、宗教によって人生が振り回されるということです。 そのことに屈辱を感じなければ 宗教という「波乱万丈」を体験してみるのも ひどく退屈な人生を生き抜くためには時折必要であるのかもしれませんね。