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病気が重くなっている?

精神科に10年通っております。 もちろん回復を信じて治療してきましたが、 だんだん病名が重くなってきているような気がするのです。 治療する意味がよくわからなくなってきました。 本人の自覚では症状は10年前と大して変わってません。 診断内容は 10年前(抑鬱状態) 7年前(抑鬱状態) 5年前(うつ病) 2年前(躁鬱病) 通院は治療のためだと思うのですが、 これはもう、最終的には躁鬱病で、全快はなく 躁鬱病の寛解を目指すってことでしょうか? で、一生服薬なんでしょうか?

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回答No.1

躁鬱病なら一生服薬です。リチウムを一生飲まなければなりません。しかし、服薬だけでほとんど通常の生活が送れるはずです。通院ですんでいるだけましで、入院生活されている方も多いと思います。文章をよむかぎり鬱の気のほうが強いようですので、ものごとをあまり悲観的に考えないように、というかむしろあまり何も考えないように暮らす。ほどほどに力を入れて仕事に励む生活がいいと思います。天理教の教義に「親神様は人が陽気に暮らすのを見て喜ばれる。」というのがあります。あなたが陽気に暮らすことで神様は喜ばれるのです。もちろん、あなただけでなく周りの人も陽気にしてあげる努力も必要です。みんなで陽気になりましょう。自分は天理教徒ではありませんが、その点だけは天理教の教義は正しいと思います。

noname#156415
質問者

お礼

お礼が遅れてすいません。 何も考えないように暮らすというお言葉はほんとうにフィットします。 前向きにと言われるとエネルギーが足りませんが、無心になり、ほどほどの中庸を目指してみます。 陽気になることに、なぜか罪悪感があるのですが(私のような人間が楽しく生きてはいけないような?)、神様が喜ばれるということであれば、むしろ努めて明るく気楽に生きていけそうな気もします。 おっしゃるとおり、欝に傾きやすいです。ぼちぼち服薬して雑念捨ててみます。 ありがとうございました。

その他の回答 (1)

回答No.2

心を病むと言う事は、自分の興味を自分の心に集中させていると言う状態です。心を病まない、或いは精神衛生に良いと言う事は「自分の心(興味を)」外部に向けると言う事になります。 自分の感情に心を向けた時に心は、自分の心に圧迫を加えてきます。この苦しさが貴方が受けている心の苦しさです。人間の自我意識で自分の感情を自在にしようと貴方はしていますが、かなり無理があります。 自分で自分の心の状態を忘れた時に「貴方の心は健康になります」意識や、意思の力や、自分の心のみで、自分の感情を制御しようという試みには効果は出難いと思います。それよりも「自分の心の状態を」忘れるようにした方が良いと思います。それは「症状」らしきものを、受け入れる事です。受け入れる事で、意識しなくなるからです。意識しなくなった時に、貴方は症状を忘れ果てています。

noname#156415
質問者

お礼

お礼が遅れてすいません。 おっしゃるとおり、ここ2年ほど自分の心にばかり敏感になっています。自分で自分をコントロールしようとするのは、自分の襟を自分で持って持ち上げようとするような無理な感じがします。心に圧力を感じていました。 どうこうしようと思わずに、今の状態を受け入れ、どれも自然なことだと思い、心を意識しないようにしてみます。 ありがとうございました。とても参考になりました。

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